大晦日の今日、お正月の買い出しなどで、
慌ただしくしていたけれど、
混雑した売り場は、やっぱり苦手だ。
綾乃さんの実家のお正月の家訓として、いろいろあるらしい。
その一つに、
お正月三が日は、お金を使わないこと。
というのもあるらしい。
子供のころ
野球漫画に出てくる星飛雄馬の父親みたいに、
ちゃぶ台をひっかり返す系の厳しいところがあった父に、
「1年の計は元旦にあり」
と言われて育ったトラウマで(笑)、
今でもお正月になると無意識でやりたくなるというか、
そうしないといけない気にとらわれることがいくつかあるのだと、綾乃さん。
たとえば、2日の「○○初め」。
わかりやすく言えば、子供のころは「書き初め」が必須だったそうだ。
今は習字はしないものの、
やはり、2日は上達を祈念して、
心を込めて「初め」の行いをしないと何か気が済まないらしい。
話題が、それてしまったので表題に戻そう。
明日の正月の朝、おせち料理と一緒に必ず食卓に上がる、
雑煮の椀の具について・・・。
これは、きっとどの内でも、その家の秘伝や伝統のようなものがあると思う。
その地方だったり、代々伝わってきている“おふくろの味”や、
お正月料理というと、“おばあちゃんの味”の方がなんとなくピッタリもするのはだけだろうか。
で、綾乃さんの実家に伝わる雑煮の具の中に、
どうしても入っていないと何かさびしい・・・ものが、あるそうだ。
それが、写真の「打豆」。
これは、「うちまめ」とは読まず、
「ぶちまめ」と方言で読んでいるらしい。
昔、父方の祖母からお正月が近くなるといろいろと父の故郷ならではのものが、
たくさん詰め込まれて送られてくる荷物の中に、
この「ぶちまめ」が、必ずあった。
この「ぶちまめ」は、畑で収穫後、木槌で平たく叩いて干したもので、
写真をよ~く見てもらうと、
つぶれた豆の表面に、木槌の跡が見えると思う。
これを、少し水でふやかして戻して、雑煮の椀の具に入れるのだそうだ。
豆の独特の食感と香りがして、
大根や人参や牛蒡などのたくさんの具の中で、
地味ではあるけれど、
主張しているのだとか。
そして、なにより、その木槌の跡に、
祖母の一粒一粒、愛情と心がこもっているような気がして
なんとも心も体も、じ~~~んと温かくなる。
すでに、綾乃さんの祖母は他界して、
今ではあまり見かけなくなった市販の「ぶちまめ」を
やっぱり気になって毎年末、探し買い求めてくるのだそうだ。
孫の中で、一番おばあちゃんに似ているらしい?
綾乃さんの大晦日が、今年も慌ただしくあと1時間ほどで終わろうとしている。