先日とある大手銀行勤務の40歳代営業マンと話していた際、
その銀行には、定年退職後の人生をどう生きるかを指南する
「たそがれ講座」なるものがあるという話を聞いて、
驚いた。
たそがれ講座。
す、すごいネーミングだと思ったけれど、
そういう講座が社内に存在しているという事実に
色々と考えさせれらた。
そもそも、その≪たそがれ≫という言葉から連想するイメージが
それぞれにあると思うのだけれど、
アヒルのぼく
の場合は、
♪暮れそうで、暮れない、たそがれ時は~
という確か歌詞の曲があったとか、
英語の作品名が「On Golden Pond」で、邦題が「黄昏」という1981年のアカデミー賞で
年を重ねた二人の名優の演技が輝いていた映画を思い出す。
ヘンリー・フォンダとキャサリン・ヘップバーンが、それぞれ主演俳優賞を獲得したというのもうなずける。
で、その≪たそがれ≫という言葉に話を戻すと、
日の盛りを過ぎた頃を指すことから、
人生の盛りを過ぎた年代を例えて言うようになったそうだが、
その語源を語源由来辞典で読んでまた、なるほどとうなづいた。
古くから薄暗くなった夕方の頃、その暗さゆえに
人の顔が判別しにくくなって、
「誰だあれは?」という意味の「誰(たれ)そ彼(かれ)」が変移して、
「たそかれ」→「たそがれ(江戸時代以降)」になったそうだ。
ほほぉ~。
江戸時代の人生の平均寿命から比べれば、
現代は、まさに人生ざっと80年時代。
昔、織田信長の本能寺の変が好きだった綾乃さんの父は、
TVで本能寺の変が放映されるドラマがある度に、
「に~ん~げ~ん~ご~じゅ~う~ね~ん~ げ~て~ん~のう~ち~に~・・・」
と信長が舞うシーンをまねていた父の姿がとても滑稽で、
かつ印象に深く残っているのだそうだが、
60歳定年制が65歳へと変わろうとしている今、
50歳から「たそがれ講座」を社内で行うという試みに、
改めてすごいな・・・とも思った。
で、肝心の「たそがれ講座」では、何をやるのかまでは詳しく聞き出すことが
できなかったのだけれど、
かいつまんで言うと、
定年退職後、家庭や社会の中での≪自分の身の置き所≫を
その時期を迎える以前から自覚、認識、イメージさせて、
いざその時期を迎えてから「オロオロ」
しないように
サポートするものだという。
決まった時間に出社し、組織の中で働いてきたとりわけ男性の場合、
そういった枠から外されてしまうと、
1日をどう過ごしていいのかさえも、
時にはわからなくなってしまって、
何をするにも、奥さんに尋ねたり、
行動を共にしていないと不安で仕方がなくなるという
かつて定年後のある状態を例えた「ぬれ落ち葉」になるのだけは回避しようということらしい。
後日、企業のメンタルサポートを仕事にしているとある女性と話をしていた際に、
すべてがすべてとは言わないけれど、
定年後を活き活きと充実して過ごしている人に割と共通しているのは、
定年退職よりずっと以前から、
趣味や定年後にしたいことを
具体的に見つけて、その準備をし始めている人が多いと伺った。
定年前の人でなくても、何かと忙しい日々の中で、
具体的にやりたいことや、謳歌したい趣味を、
虎視眈々と、あるいは、ニヤニヤと想像しながら過ごすことって、
結構難しいようにも思うのは、このアヒル
だけかなぁ・・・
ただ最近感じるのは、
60歳以上の人で、生きがいと活力に満ちている人が
もしかしたら若い世代のひとより意外と多いかもしれないということ。
話を聞いていると、すごいなぁ・・・
という人がたくさんいる。
あと、そうだなぁ・・・
20年後、綾乃さんとかは、どんな風に生きているのかなと、
ふと思った
である。
機会があれば、その「たそがれ講座」とやらを
聞いてみたいとおもった
である。