アヒルのミューズ~LOHASの森~

アヒルのミューズが棲む
“LOHASの森”から発信するブログ

異業種交流講演会 ゲスト:Aid TAKATA代表 村上 清氏

2012-03-23 | 東日本大震災関連
せっかく春めいた日が続いていたのに、
今日は、冷たい雨の降る一日だった。
そんな中、とてもエネルギーを感じるポジティブな人が沢山集まる
異業種交流会という変わった会に足を運んできた。

主催は、もともとNYを拠点に多岐にわたる分野で活躍する日本人の方々のコミュニティを
支援組織しているNY異業種交流会である。
その代表を務めるのは、板越ジョニーさんという方で、
まだ若いのにその組織力はなかなかのものだと感心してしまう。
世の中には、本当に色々と頑張っている人が沢山いるのだということを通じて、
励まされる思いだった、というのは綾乃さん。

さて、今日の交流会でのゲスト講演者は、
先の東日本大震災で大きな被害を受けた地域の一つである陸前高田市の
内閣府公認NPO法人代表を務める村上 清さんだった。
彼の今夜の講演は、
「陸前高田の被災地報告と、それらも通じて国際人事からみた、世界で活躍できる日本人」
というものだった。

綾乃さんも、昨年4月7日に気仙沼に隣接した陸前高田の大きな被災状況を目の当たりにしてきただけに、90分ほどの講演を真剣な面持ちで聞き入っていた。

話の具体的な内容は、まず始めに陸前高田の被災前と被災後の様子が映像や写真で、
対比しながら紹介された。
そこには、紛れもなく美しいあの有名な「高田松原」の光景が写っていた。
しかし、震災前平坦部に広がっていたかつての町は、
跡形もなくなっていることに、改めてそこに住んでいるものでなくても悲しみがこみ上げてきた。

被災状況を示した数字に続き、
陸前高田市の復興への取り組み、
Aid TAKATAの取り組みや
復興計画プロジェクトなどについて、
スライドを使いながら自ら高田松原のすぐ近くに実家があった村上氏の
純粋で熱い想いと共に復興への想いが語られていった。

そして、話の最後に、挙げられたのが
「混迷した社会で求められる資質」というテーマであった。
幾つかの外資系企業に勤務し、国連の職員も経験し、
グロ-バルに活躍してきた村上氏がその資質として
以下の5つをあげていた。
1.夢・目的・目標を持ち続ける
2.いつも学んでいる
3.自分の魅力がある
4.Pro-Active(絶えず積極的)な行動や発言をしているか
5.負けじ魂 逆境をバネにする力

というものだった。

今、綾乃さんは、6月後半リリースを目標に、
混迷する日本と、被災地と、
そしてその二つをつなぐ被災地での実体験から歌いたいと思った
3曲を盛り込んだマキシシングルCDの制作に、実は取り掛かりはじめている。
今夜の綾乃さんにとって、ある理由から決して縁の浅くない陸前高田のふるさと大使も務める
村上氏の講演に触れることができたことは、現在進行中の被災地支援にも通じる
CDプロジェクトの推進に大きな勇気や、さらなる新しい縁をいただいた素晴らしいものであったようだ。

講演中の村上氏の言葉に、
「同じ町には二度と戻れない」という現実から目をそらすことなく、
復興へ向けた新たな旅立ちへの決意を強く感じたであった。

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希望の灯火が光にかわりますよう

2012-03-11 | 東日本大震災関連
数日前から、テレビほか多くのメディアで、
東日本大震災の特別番組が放映されている。
あれから、1年。
いつも心の中に、被災地のことがあった・・・と綾乃さん。
被災地で目の当たりにした光景や、
感じた多くの想いが、繰り返し脳裏や心に蘇ってくるそうだ。
1年前の今この時間、被災地は
明かり一つない“漆黒の闇”に包まれて、
不安な夜を何とか乗り越えようとしていた人がたくさんいたこと、
察するに忍びない。
1年経った今夜は、その暗がりの中に、
鎮魂のロウソクが沢山ともされている。
復興に向けた動きは、決して十分ではない中、
希望という“灯火”が、少しずつでも夜明けを告げる“光”に変わることを祈って、
やまない。
未だ行方不明のままの多くの方々や、
亡くなられた方々に、
心からの黙祷を捧げたく思います。
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大震災を乗り越えてこられた阪神淡路への鎮魂の祈り

2012-01-17 | 東日本大震災関連
1月17日。
昨年とは、又違った意味でこの日を迎え感じている方が
たくさんいるのではないかと思う。

17年という歳月を、
沢山の困難を乗り越え、
希望の光を見つめつづけてこられた
阪神淡路大震災で被災された全ての皆様と
先に旅立った沢山の尊い命に、
心から祈りを捧げたく思います。

黙祷
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黙祷

2011-09-11 | 東日本大震災関連
3月11日から半年。
東日本大震災で犠牲になった多くの魂が
少しでも安らかにありますよう、
心から祈りを捧げたく思います。

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鎮魂の夏祭り

2011-08-12 | 東日本大震災関連
7月の後半から、これからの旧盆の時期に向けて、
東北各地で、夏祭りが本来の規模を縮小して行われている。

被災して、壊滅的な状態の中、
祭をする“余裕”はないという人、
日々の生活や生業の方が、祭りより先であり
大切だという人もいるのは
あの瓦礫の山と化した被災地を直接見ていなかったとしても
よくわかるはずだ。

しかし本来、日本人にとって夏祭りは、
“死者を迎え、霊を祀り、魂を慰める”目的があったはずだ。
日々、更新される東日本大震災での死者の数を目にするにつけ、
彼らの魂が、少しでも安らかであって欲しいと祈るばかりだ。

毎年8月の第2土曜日に東京湾で開催される大花火大会も、
今年は震災直後の早い段階からいろいろの理由で中止が決まった。
そして、各地での花火大会中止の話が浮上するにつれて、
花火屋さんは大丈夫なのだろうかと当時心配しただったが、
世の中には、いろんな考えの人がいてやっぱりよかったと
昨日被災地沿岸の気仙沼や大槌町で花火大会が行われたことを知り思った。
被災地での花火大会は、震災で亡くなった人たちの
魂を少しでも安らかに導いてくれたことだろう。

そして、北上川など東北の被災地や、
広島、長崎でもたくさんの鎮魂と祈りの灯篭が水面を流れていったよね。
今年は、たくさんの灯篭が日本中で、
祈りと主に流されていることだろう・・・

そうそう、精霊流しといえば、
が好きなちょっと昔?の曲のひとつに、
さだまさしさんの『精霊流し』という曲がある。

その曲の歌詞の中に、

私の小さな弟が
何にも知らずにはじゃぎまわって
精霊流しが華やかに 始まるのです

という部分があったけれど、
ここでまず最初に涙が止まらなくなり、
また、見たこともない本当の精霊流しのその情景が、
目に浮かんできてしまって
ちり紙をたくさんつかって涙を拭いちゃうと、
綾乃さんも同じことを言っていた。


綾乃さんの親しい知人で、
陸前高田の自宅が流されて全壊した人がいる。
その彼女は今、東京で頑張っているが、
故郷への想いは、幼いころからの様々の想いとともに、
今でも変わらずに、いやより深く心に刻まれているそうだ。
高田松原の薪をめぐるここ数日の京都の五山の送り火騒動を聞くにつけ、
故郷の海沿いに見事に並んだ松林が目に浮かぶと、
うっすら目に涙を浮かべていた姿が切なかった。

先に旅立った魂(いのち)へ
生きているぼくたちの
ささやかな祈りが届くこと、
きっと今週末の日曜日の満月を眺めながら
思うことだろう・・・

お盆で帰省される皆さん。
道中気を付けて、故郷へお帰り下さい。





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二度目の被災地慰問報告から~山田町(南小学校)編

2011-05-11 | 東日本大震災関連
桜が美しく咲く、織笠小学校を後にして、
次の訪問先、南小学校へ向かいました。

車では織笠小から約10分くらいの距離にある南小学校は、
広い校庭の目の前に横長に校舎が広がるつくりになっていて、
十名ちょっとくらいのボランティアの方が、
その日の作業を終えて丁度帰る頃でした。

ボランティアの受け入れは、
きっと「取りまとめ」と「人手の仕分け」をする場所が
各被災地ごとにあるのだと思いますが、
自衛隊以外のボランティアを
ある程度まとまって目にしたのは
この時が初めてでした。
そのような点からすれば、
ボランティアの人手ということだけでなく、
物資や目に見えない支援など、
まだまだ色々な支援が
平たく行き渡っていないのかもしれないと感じました。
テレビ局や報道カメラがはいっている場所は、
表現がふさわしいのかはわかりませんが、
“にぎやかで活気のある”特別な場所にも思えました。



この日、4月29日は本格的なGWの初日。
ついに東北新幹線も全線で開通し、
復興への色々な形での支援が
以前よりはしやすくなることと思いました。



南小学校でのコンサートは、
以前この小学校の地区で教育長をされていた80歳になられる木村さんという方が、
南小学校の校歌を作ったほどの縁があり、
是非自らの演奏も含めて慰問コンサートをされたいというご意向もあって
実現したのだと伺いました。

南小学校は、先に訪れた織笠小よりも広い体育館に、
たくさんの住む場所を失った被災者の方が身を寄せていました。

ここでは、段ボール箱での敷居がまったくない状況にあったため、
ステージの上でなく、
被災者の皆さんと同じ高さのステージ下で歌わせていただくことにして、
限られた短い時間で演奏準備にさっそく取り掛かりました。

夕食にはまだ早い、
しかし日がかなり西に傾き始めた頃コンサートが始まりました。



童謡・唱歌・子守唄のほか、
戦後の日本の復興期にこだました『りんごの歌』を
歌った時には、
避難所の皆さんがとても元気に手拍子をして下さり、
勿論、歌詞を知っている方は、
一緒に歌って下さる姿が、
綾乃さんにもはっきりとわかりました。



コンサート終了後、
綾乃さんを驚かせる出来事が・・・
な、なんと、どこのサイトから見つけてきて下さったのか、
綾乃さんの写真がA4サイズの用紙に印刷されている紙を持参されて、
サインを・・・・



も~、びっくり!!
そんな驚きを隠せなかった綾乃さんをよそに、
記念にサインをたくさんの人が集まって下さり、
綾乃さんは、人生初の「お盆」へのサインを何枚もしたようです。



入浴や洗面の際に多分使用するのだと思われるタオルにも、
サインをしたそうですが、
綾乃さんにしてみれば、
テレビでよく目や耳にする芸能人でなく、
ほとんど無名な歌い手のサインを
こんなにも喜んで下さる姿に触れ、
どんな小さなことであっても
それが、その人の小さな元気や明日への何かに、
つながることに、
いつもながら温かなふわっとした想いを
感じたようだ・・・

コンサート終了後、
片づけを手伝ってくださった被災者の皆さんとの写真は、
心のアルバムに長く印象に残る1枚となるだろう。



そして、今回の山田町と盛岡繋温泉での慰問コンサートに
親身にまた尽力下さった皆さまに

この場を借りて心より御礼申し上げます。

また、お目にかかれる日まで・・・。









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二度目の被災地慰問報告から~山田町(織笠小学校)編

2011-05-11 | 東日本大震災関連
先の4月28日から30日にかけて、
現地の要請を受け2度目の被災地慰問コンサートに
綾乃さんと日本子守唄協会事務局長の岩倉さんが、
向かいました。

その2日目に訪問した岩手県山田町の避難所での様子から
織笠小学校での慰問コンサートをご報告します。

繰り返しになるかもしれませんが、
今回の被災地慰問に当たっては、
震災以前から様々な活動をされていた
岩手県盛岡市の赤坂病院の赤坂みどりさんを中心とした
とてもチームワークの良い皆様の惜しみない協力があってのことと
改めて当日を振り返って思うです。

2日目の29日は、
日本子守唄協会盛岡支部の支部長さんも兼務している
赤坂さんの市内にある病院に集合し、
盛岡支部がチャーターして下さったマイクロバスに
機材や支援物資を積んで、一路山田町を目指しました。



天候にも恵まれ、
山越えの道中でも、新緑の美しい緑と青い空が迎えてくれました。


3時間ほど走って、
海沿いの道に通じる道まで来たところで、
前回の気仙沼や陸前高田で目にしたような光景が広がり始めました。



その瞬間、今回の地震と津波による被害のエリアの大きさに
改めて言葉を失うような、
なんとも切なさがこみ上げました。

しかし、震災から1ヶ月半経ち、
三陸の海の色は、随分と震災前に近い色を取り戻し始めているようにも見えました。



しかし、陸地に目を向けると
そこにはいまだ散乱したがれきが山のように放置され、
前回と様子が違ったことは、
持ち主の許可がないと解体も撤去もできない
倒壊した家や陸にうち上がってしまった船に、
赤いスプレー塗料で書かれた
「こわしてください」
「OK」
といった文字がいたるところで目に付いたことでした。



それでも何度か震災以来山田町を訪れている赤坂さんから伺うに、
随分とがれきが片付いているのだとか・・・。

海沿いの道路は、2車線きちんと通れるようになっていたものの、
ふとマイクロバスの窓から横を見ると、
津波でなぎ倒された道路標識があり、
現実をいやというほど見せつけられました。




この日最初に伺った織笠小学校は、
小高い丘の上にあり、
校門からは町や海が見下ろせる場所でした。



予定より少し早く現地に到着して、
機材の準備を先にして、
コンサートの開始までの時間を校舎横の駐車スペースで過ごしました。



校舎の前に広がる校庭では、
8人くらいの子供たちが鉄棒などで遊んでいるのが見えました。
正門わきの桜は本当に見ごろでした。



しかし、桜とともに目に飛び込んでくる景色とのギャップが、
まるでそれと引換のように、桜を哀しくも美しく見せているようでもありました。



お昼の時間が終わった13時からコンサートが始まりました。
テレビでは目にしていた、段ボール箱で囲いを作り、
お互いのプライバシーが確保できるようにされた避難所の体育館は、
とても静かでした。

体育館には、テレビが数台置かれ、
それぞれによってチャンネルが違っていましたが、
その中の1台は国会審議の様子を生で報じているNHKの画面が映し出されていて、
菅首相をはじめとする国会議員の皆さんの声や言葉が、
避難所の皆さんとは関係ないところで“なっている”ように
ふと思ったのはぼくだけだったのだろうか・・・・とも。

昼下がりの穏やかな午後、
段ボールの高さがあるために、
舞台の上からでないと歌っているところが見えないということで、
支援物資や体育館の備品が所せましとぎっしり積まれている緞帳の前で
綾乃さんは歌いました。

ステージからは、できるだけ被災者の方々ひとりひとりと
顔や目が触れ合うように心がけたそうですが、
一見寝ているように見えても、
皆さんちゃんと聞いて下さっていることは、
とてもとても感じたそうです。

そして、前日もそうであったように、
終了後、自ら声を掛けに来て下さる方がたくさんいたとのこと。





織笠小で避難されている皆さん、
ありがとうございました。
そして、祈っています。

次回へつづく・・・
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二度目の被災地慰問を終えて~盛岡(繋温泉)編

2011-05-04 | 東日本大震災関連
先の4月28日から30日にかけて、
現地の要請を受けて2度目の被災地慰問コンサートに
綾乃さんと日本子守唄協会事務局長の岩倉さんが、
向かいました。
その時の様子から、3回に分けて写真と共に報告したいと思います。


前回の4月8~9日は、
最大余震直後ということもあって、
多くの意味で行く方も現地も、混乱と不安要素がたくさんでしたが、
今回は、あれから約3週間が経ち、
また、前回の経験と教訓を活かして
少しでも避難所の皆さんに喜んで頂けるよう
短い時間の中で準備を重ねて現地を目指しました。

お天気に恵まれた4月28日。
綾乃さんが日頃コンサートの際に機材運搬車として使用している
HONDAのステップワゴンに、
これまた綾乃さんのコンサート機材を積んで、
朝6時に、渋谷駅前を出発しました。

2日間で3つの慰問コンサートが予定されていたために、
身体的な負担を少しでも軽減するために、
機材を運搬する車と、飛行機なら花巻空港で、
また、新幹線なら盛岡で合流ということも検討していたのですが、
あいにく新幹線は、仙台~一関の復旧工事が間に合わず、
翌29日に全線開通になるとのことで利用が不可能となり、
飛行機の花巻便は、タッチの差で座席が取れずこれまた利用が不可能となり、
結局、前回と同じく往復車での約1200キロの移動(東京~盛岡)と相成りました。


まず一つ目は、初日の28日16時半から、盛岡市内から少し山側へ向かったところにある
繋(つなぎ)温泉の大きな温泉宿(愛真館)でのコンサートだったので、
とにかく遅れては大変ということで、東北自動車道をひたすら北上。
少しでも現地に早めに着くように努力をしました。

大型連休直前の東北自動車道は、
前回とは大きく違った少し嬉しいことがありました。
それは、長い冬が終わりを告げ、
東北地方にも「春」が確実に訪れていたことでした。

田植えがほど近い沿道の畑は、
田おこしがされ始め、
水を入れる準備の段階にありました。
そして、何よりも被災地へ向かっていることを時として忘れてしまいそうになるほど、
自動車道の両側には、美しい新緑と桜が、並走するかのように出迎えて、
北上する間、ずっとぼくたちの目を楽しませてくれました。


今回は、できれば衣装を着て歌ってもらえると避難所の皆さんも喜んでもらえると思いますので・・・、
との現地からのリクエストを受けて、現地では着替えをしている時間も場所もないことから、
出発時に既に衣装を着て、車で移動ということになり、
現地の状況や機材セッティングのこともあり、
綾乃さんは、着物に“もんぺ”のスタイルで、車に乗り込んだのでした。


これが、東北自動車道の前沢サービスエリアでトイレ休憩をとった時の
記念すべき「初もんぺスタイル」のワンショットです。

何か、時代が少しさかのぼった感じも・・・・

さて、気を取り直して、
東北道をひた走り、
いよいよ盛岡インターチェンジに到着しました。


インターチェンジから約30分ほどで、
ダム湖の湖畔に広がる「繋温泉街」の愛真館に到着しました。


この温泉宿は、経営者の判断で、営業を一時見合わせて、
石巻や宮古など沿岸部で被災して、被災地の避難所には色々な事情でいることができない方々を受け入れるための
避難所として宿をまるまる提供しているという場所でした。
なかなかできることではないと、思いました。

宿のロビーでは、被災者の皆さんの為の色々な掲示や
相談窓口などがあり、
この日も、夕食前のひと時の時間を使って
綾乃さんのミニコンサートが催されることになったのでした。
ミニコンサートを待ちかねて、早々とロビーの会場に
被災者の方々が集まり始めて下さいました。


今回の現地でのつなぎ役となって色々とご尽力下さった
日本子守唄協会:盛岡支部の支部長の赤坂みどりさんとも、
合流後すぐに打ち合わせをして、
いよいよミニコンサートが始まりました。




綾乃さんは、前回の慰問の際に、被災者の方のリクエストにこたえることができなかった
“地元の曲”を今回は、何とか聞いて頂けるようにと
直前まで練習をして盛岡の“チャグチャグ馬コ”という地元の民謡を唄いました。


皆さんも手拍子で、アカペラの演奏を応援して下さいました。



コンサート終了後、
このような催しは避難後、初めてだったとのことで、
聞いて下さったたくさんの方が、
お礼の言葉をかけて下さいました。


でも、お礼の気持ちでいっぱいになったのは、綾乃さんも同じだったそうです。

コンサート中、印象に残ったのは、
とあるご夫婦が並んで聞いて下さってたそうですが、
そのご婦人の方が、
童謡や唱歌、子守唄を綾乃さんの歌を目を閉じながら
ずっと一緒に口ずさんでいる様を、
隣に座っていたご主人が
ず~っと見つめていたことでした。

また、コンサート中には物陰に隠れてそっと聞いていてくれた中学生の少女が、
コンサートの終了後に恥ずかしそうにしながらも、綾乃さんに声を掛けてきてくれたことがあったそうです。

東京から着いてほどなくしての最初の避難所でのコンサートでしたが、
疲れも感じないくらい、ああ、歌う機会をいただけて良かったと
心から思ったこの日の綾乃さんでした。





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盛岡と山田町へ行ってきます

2011-04-27 | 東日本大震災関連
28日~30日、
新幹線は、残念なことに29日から全線開通予定。
飛行機の花巻便も満席で取れず、
結局、またまた走行距離1000キロを超える、
強行軍な車での慰問コンサートに行ってきます。


要請を受けて今度伺う先は、
まず盛岡の繋温泉の宿に避難している方々のところに。
そして、2日目は、盛岡から車で3時間ほどかかる(らしい)山田町の小学校2か所での
コンサートです。

被災地慰問コンサートについては、
いろいろな考え方があるようだけど、
気にしていたら、
何もできなくなってしまうかもしれない。
たとえ一人でも楽しみに待っていて下さる方がいるのなら・・・
と、綾乃さんは、日頃のコンサートと何一つ変わらずに
今ひたむきに準備を進めているようだ。

何がそこまで綾乃さんを駆り立てるのか・・・。
たぶん、綾乃さんが
歌い手の世界に入る決断につながった
島根県隠岐の島の高齢者施設でのコンサートの時と
同じものを感じているからなのだろう。

たった二人の終末医療を受けていた高齢者の為に
親友と機材を持参で向かった人口400名足らずの島に着くと、
待ってましたよとたくさんの人が出迎えてくれた
いい意味で期待を裏切る島をあげてのコンサートとなった日のことを、
彼女は一生忘れないと心に誓っているからなのかもしれない・・・。

どんなに想いを巡らせて準備を重ねて現地に臨んでも、
被災者の方々そのものの気持ちは、決して同じようには理解ができないし、
正直なところよくわからないからこそ、
日頃のコンサート以上に、難しいと本音とともに不安も少し・・・。

今の時期、被災者の人にとって、本当に必要なものは、
もっと別なものなのかもしれない・・・と綾乃さんの自問自答は続く。

それでも、
何もできなかったかもしれないと
心打ちひしがれたとしても、
地元の人たちのつらい時期の心のアルバムの小さな一枚の写真になれば、
それでいいのかもしれない。
その写真の色がたとえすぐに色あせてしまっても、
それでも、今できることを
とにかく頑張ってやってみようと決めた綾乃さんは、
地元の人たちと一緒に歌える民謡を、
出発直前の今、練習している。

耳には聞こえない声援や、
直接触れるわけではない「行ってらっしゃい!」とポンッと
背中を押してくれている手を
心の糧に、ぼくも、
綾乃さんと一緒に、2度目の被災地へ行ってきます。

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三越劇場チャリティコンサートご来場御礼

2011-04-20 | 東日本大震災関連
先週末の4月16,17日の二日間、
日本橋三越6Fにある「三越劇場」で、
日本子守唄協会が主催する
「東日本大震災復興祈念チャリティコンサート」が行われました。
歴史と風格を感じさせる三越劇場に、
開場予定時間の1時間ほど前からお客様が集まり始め、
予定を繰り上げての開場となったようです。


ご多忙の中、二日間ともたくさんの方がお越し下さり、
出演者の一人として、心より御礼申し上げます。
と綾乃さん。

その綾乃さんの当日の衣装は、
珍しく着物姿。
まだステージでは、そんなにたくさん着物姿での
登場がない綾乃さんですが、
楽屋でのワンショットから、
ちょっとだけご紹介。

へっ?
他の写真に比べて、綾乃さんの着物ショットの掲載写真が、
随分と小さいって?
だって、なんか照れくさいもの・・・
という綾乃さんの意向を尊重してのサイズになりました。
悪しからず。
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被災地へ祈りを込めて~気仙沼編

2011-04-14 | 東日本大震災関連
先の最大余震直後の4月8日~9日、
現地の要請も受けて慰問コンサートのチームのメンバーとして
1泊2日で1,000キロをまわってきました。


7日の夜、出発を控えてのあの最大余震で、
東北自動車道は通行止めとなり、
予定通り気仙沼へ発つべきか検討した結果、
翌8日早朝4時の時点で、
白河ICまでは開通したことを確認し、
順次不通区間が短くなることを祈りつつ、
とにかく今回のメンバーが集まった浅草橋を出発することになりました。
万が一、不測の事態には無理は可能な限りせず、
場合によっては、途中で引き返すことでの出発を選択したのです。

夜明けの東北自動車道は、
余震の直後ということもあり、
走っている車は、ほんのわずか・・・。


そして、そんな中で目についたのが、
自衛隊の何台にも及ぶ災害救援車両の列でした。

見えないところで、本当にたくさん被災地のために頑張ってるんだな・・・と
改めて感じました。

トイレ休憩のために
那須高原のパーキングエリアに立ち寄ったのですが、
余震で停電地域が拡大し、サービスエリア内のトイレは、
水が流れず、臨機応変さをまず試されました。




そして、被災地へと今まさに向かっていることを
感じました。
そして、この時、まだ気が付いていなかったことがあったのでした。
それは停電のため、給与所にガソリンがあっても、
給油ができないこと・・・
東北自動車道のサービスエリアは、
ガソリンの給油ができない状況にあったのです。

福島県内を通過し、東北自動車道は、仙台のすぐ先の古川ICまでは、
なんとか通行ができました。

仙台市内に入り、現地サポータの協力で、
ガソリン携行缶で20Lだけ緊急給油をして頂き
地割れや信号機がつかない大渋滞の一般道を、気仙沼へと向かいました。
震度6強の仙台若林地区付近は、
橋の前後に段差ができて通行不能だったり、

本震による家屋倒壊に拍車がかかった家も見られました。



そして、夕方4時、ざっと12時間かかって気仙沼に到着しました。
最初の慰問先のお寺は、市内のかなり奥の高台にあり、
今年できたばかりの浄念寺というところでした。
真新しいお寺の建材と、
津波の後3日間焼け続けた市内の状況との落差が、
とても異様な光景に思え、またなんともいえない切なさを感じました。


お寺の本堂には、家を失った被災者の皆さんが、
待っていて下さいました。

お寺の前には、猫も出迎えてくれて、
同行メンバーのひとりのハーモニカ奏者:斉藤寿考先生は、
自宅で猫を飼っていらっしゃるとのことで、
なんとカバンの中から、キャットフードをおもむろに取り出して、
猫に早速餌を与えていたのが、印象的でした。



ようやく復旧したばかりの電気が、
7日夜の最大余震で再び、停電。
その為、コンサートは急遽音響機材なしの、
ハーモニカ伴奏のみで、マイクなしでの歌唱とあいなりました。

もう1箇所訪れた中学校の避難所でも、
大きな体育館の真ん中に立ち、
すべての被災者の方に聞こえるように
360度向きをときどきかえながらの演奏で頑張りました。

共に、歌って下さる方、
たちのところにまで、でてきて、
一緒に歌うおばあちゃんや、
アカペラの子守唄や童謡唱歌に涙される方・・・・
ただ、ただ、出来ることは、心をこめて歌い演奏することだけでした。

たぶん、3月11日からずっと続いている「緊張」や「不安」によって、
感情を顔や表に出さないでたくさん頑張っている方が多かったのだと思いますが、
演奏終了後、何か少しでも役に立てたようで、
何人もの人が、玄関まで見送りに来て下さいました。


震災から1カ月。
いまだに、焼けた匂いがするがれきの山の中には、
多くの行方不明者がいることを目の当たりにして、
言葉になりませんでした

今回の慰問メンバーで、運転手ほか現地とのコーディネートほか、
尽力して下さった東京練馬の浄土宗のお寺のご住職は、
がれきの山に向かって、手を合わせていらっしゃいました。

ニュースや、新聞ほかで多くの写真をご覧になっていることと思います。
現地の写真の一部を掲載するとともに、
犠牲になられた皆様のご冥福を心から祈りたいと思います。

*走行中の車中より撮影したものなので、ピンがボケていたり、
見にくい写真も多いのですが、ご了承下さい。


























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気仙沼での慰問コンサートに行ってきます

2011-04-07 | 東日本大震災関連
現地からのメンタルサポートに是非音楽をという要請を受け、
明日、早朝東京を発ち、
被災地のひとつ、宮城県気仙沼市へ慰問コンサートに
音響機材持参で綾乃さんと行ってきます。

これまでにも、被災地支援のコンサートをいくつか経験している綾乃さんですが、
今回は、とにかく現地に赴いてみないと
わからないことがたくさんありそうだと、
少しの不安を感じているようだ・・・


音楽の、そして歌の力を信じて、
とにかく、頑張って行ってきます。

無事に、使命を果たして
戻った後、
このブログで、報告ができるといいな・・・

では、
行ってきま~す
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東日本大震災チャリティコンサートのお知らせ

2011-04-04 | 東日本大震災関連


★東日本大震災復興祈念コンサートに応援アーティストのひとりとして出演致します。

お時間ございましたら、是非お運びください。

  日 時:2011年4月16日(土)、
           4月17日(日)の2日間

  時 間:各 開場:午後12時30分
        開演:午後1時~午後5時まで(節電も考慮)

  場 所:三越劇場(東京:日本橋 三越本店 6F) 地図のご案内


入場料:無料(当日入口に設置の支援金受付箱に御協力を頂ければ幸いです)

      被災地に向け以下の物を1点ご持参ください。
      ・女性、男性、子どもの下着 ・マスク
      ・ホカロン ・ガーゼ ・粉ミルク ・うめぼし

  主 催:日本子守唄協会
  共 催:日本民族音楽協会
  協 力:株式会社オスカープロモーション
      ブルーレディオ・ドットコム

詳細は、こちらをご覧ください。http://www.komoriuta.jp/ar/A11040101.html
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急性ストレス障害&心的外傷後ストレス

2011-03-24 | 東日本大震災関連
綾乃さんのファンクラブメンバーの方のひとりに、
今回の震災で被害の大きかった場所の一つの石巻市エリアで病院を営んでいる
女医さんがいる。
被災後の状況の中で、何か具合的に東京から支援出来そうなことがあれば・・・と
メールを送ったところ、地震当日ならびにその後に関する
以下のような状況を医師としての立場も踏まえてお知らせ下さった。
その文章から、以下に一部抜粋しました。


・・・・・・・
「当地では津波の直接の被害はありませんでしたが、院内は足の踏み
場も無くなり、地震直後から停電、断水、そして固定電話、携帯電
話、ネット通信のすべてがダメになりました。
幸い田舎ではガスはプロパンなので、これだけは残りました。
おかげさまで家屋も小破で済み、家族や岩手県宮古市に住む義母一
家も無事でした。

医院の方では、宮城県沖地震(まさかこんなに大きく来るとは思っ
てもおりませんでした)に対して備えておいた2.5キロワット
の自家発電機を引きずり出して医院と薬局に給電、震災当日から何
とか休まずに営業を続けることができました。
日赤に努める同級生等ははいち早く災害現場に入って、第一線での
壮絶な医療活動に従事いたしましたが、私の使命はその後方支援に
ありと考え、周辺のほとんどの診療所が休診する中、可能な限り通
常通りの診療を続けることにいたしました。

当地のすぐ近く、車で15分程の所には、最も被害の大きかった町の
1つの石巻市があります。
3/12からの外来では、まさに着の身着のまま、命からがら逃げて助
かった患者さん達が、行きつけの診療所が流されたとのことで、お
薬を求めて来院されるケースが増えました。
大津波によるあまりのショックと恐怖から「ASD(急性ストレ
ス障害)」をきたし、診察中にただただ震えるばかりの方、待合室
で突然失神される方、無表情で感情が鈍麻してしまった様な方、落
ち着かず意味不明の言葉を繰り返す方等々…、様々な患者さんが来
訪され、その心的衝撃の大きさを伺い知ることができました。
これら多くの患者さんが、この先PTSD(心的外傷後ストレス
障害)
となって、長い間苦しむことになるのではないかと心配致し
ております。

震災から1週間後のの3/18、やっと待望の電気が回復。
生活はぐっと楽になりましたが、相変わらず水は出ず、時折試験通
水で出る事もありますが不安定で、毎日給水車のお世話になってお
ります。
現在では何にも増してガソリンの不足が深刻で、職員達は毎日遠い人では
40分以上もかけて休まずに自転車通勤で医院を支えてくれており、
本当に頭が下がります。

このようにこちらは無事で、元気に災害時地域医療に専心致しており
ますので、どうぞご安心下さい。
心配なのは前述の急性ストレス障害からPTSDに進行する患者
さん達です
。」

と。

そして、そのあとに、

「宮城県だけでも現在30万人を超える方々が避難所生活を余儀
なくされており、心を病んだ方々の数は計り知れません。
どうか綾乃さんの歌で、被災された方々の傷ついた心を癒して
差し上げて下さい。」

と結ばれていた。

彼女によれば、
被災地の皆さんが落ち着かれて、
被災地でのライブなどを受け入れることは、
まだ先になるだろうけれど、もし、被災地ライブをされるなら
応援したいとも、書かれていた。

はい。綾乃さんはきっと行きますよ~
待ってて下さいね~

ところで、被災地にとってばかりでなく、
直接的には被災しなかった地域の人の中にも、
あの日の揺れの無意識の恐怖やショックから、
「いつも揺れている感じ」や
「耳鳴り」や「よく眠れない」といった症状があったりするようで、
このも、多少そんな感じであったりするのです・・・。

出先で人に会うと、「あ。同じ、同じ!!」と
いうような話題にここ数日なります。

そんな症状で、もし悩んでいたら、
ドクターに相談してみるのも一つの手だと思います。

誰かに、その不安を聞いてもらうだけでも
症状が緩和したりすることもあるようです。

くれぐれも、
がんばり過ぎに、
ご注意ください。

注意報発令中です・・・・





備考:

急性ストレス障害(きゅうせいストレスしょうがい、Acute Stress Disorder - ASD)とは、心的外傷後ストレス障害(PTSD)と似たような症状を起こすが、主に生死に関わるような要因でトラウマ(心的外傷)を経験した後、これによる神経症の症状が数時間、数日から4週間以内に自然治癒する一過性の障害を指す。

心的外傷後ストレス障害(しんてきがいしょうごストレスしょうがい)またはPTSD(Post-traumatic stress disorder)とは、危うく死ぬまたは重症を負うような出来事の後に起こる、心に加えられた衝撃的な傷が元となる、様々なストレス障害を引き起こす疾患のことである。
心の傷は、心的外傷またはトラウマ(本来は単に「外傷」の意だが、日本では心的外傷として使用される場合がほとんどである)と呼ばれる。心的外傷後ストレス障害は、地震、洪水、火事のような災害、または事故、戦争といった人災や、テロ、監禁、虐待、強姦、体罰などの犯罪など、多様な原因によって生じうる。

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放射線量掲載専門ブログを本日開設しました

2011-03-22 | 東日本大震災関連
みなさん、こんばんは。

いつも、つたないブログをのぞきに来てくれてありがとう!

さて、今朝まで、このブログ内にカテゴリーとしてアップしていた、
東京渋谷付近の放射線量について、
別のブログを今日作りました。

東京渋谷付近の放射線量に興味がある方は、以下のサイトを今後はご覧下さい。
一応、リンクを貼っておきます。

ブログ名:平和を祈るアヒルの放射線情報
 http://blog.goo.ne.jp/duck-muse-radi-info?fm=rss

放射線についての、たぶん知りたいとか、よくわからない・・・
といった疑問についても、きちんと解説しているサイト情報を
リンクで見られるようにしありますので、
よろしければこの機会にという方は、是非のぞいてみてください。

気象庁のアメダスのページなど、全国の風向などもリンクしておきました。

では、取り急ぎご案内まで。

 
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