何気につけたテレビで、
『心の糸』というドラマをやっていた。
聾啞者の母親に育てられた“聞こえる”息子。
その息子は、芸大受験をめざしてピアノを弾く日々にありながら、
自分が母の、母親から息子を取り上げよとした人たちへの
復讐いや、証明の道具として“ピアノを弾かされている”と
反発を強めてゆく。
息子に限りない夢を果たして欲しいと、
そう願い続けることで、
自分を励まし続けてきた・・・・母。
ドラマの終盤、
息子が、母に向かって
「もう、そこから、その復讐から、僕は逃げてもいいですか?」と訴える。
ずっと以前に亡くなったと聞かされていた母が離婚した
息子にとっては実の父親の死と葬儀の連絡を再婚相手の女性からの連絡で知り、
彼の心は、激しく揺れた。
母は、首を縦に振った。
そして、彼が幼いころから弾き続けてきたピアノが、
ある日、業者に引き取られてゆく。
その引き取られていったピアノをつんだトラックを必死に自転車で追いかける息子は、
本当の意味での自分にとっての“ピアノ”への思いに気づく。
そこには、母との間に長い時間をかけて築き、育まれてきた
“心の糸”がまるでピアノの弦のように、
いくつもなびいている。
そして、そのバックには、切なく美しい、
ピアノの音色が流れていた・・・。
彼に、本当の意味での“心の糸口”を気づかせたものは、
かつて聾学校の生徒だった母が、
後輩達へ託した言葉だった。
聞こえないことによる3つの“ネガティブ”を
聞こえないからこそ感じることのできる3つの“ポジティブ”に
強く意識を持ち替えることで、
“限りない可能性ある未来”を
自分だけでなく、後輩たちにも
夢見て欲しいという言葉だった。
でも、その3つのポジティブな出来ることに象徴されていることは、
聞こえない人だけものもではなく、
誰にでも当てはまることだと、
は強く感じた。
「限られた現実の中での夢を持つこと」は、
“限りない可能性ある未来”への始まりだと、
信じている。
そこに、とても感動して、が、
流れてきた。
日ごろ、音楽に寄り添う世界にいる綾乃さんは、
きっと、歌を通じて、音楽を通じて、
たくさんの“心の糸”を感じてきているに違いない。
そして、これからも、
たくさんの“心の糸”をたくさんの人と
紡いでいって欲しいと、
は、願っている。
『心の糸』というドラマをやっていた。
聾啞者の母親に育てられた“聞こえる”息子。
その息子は、芸大受験をめざしてピアノを弾く日々にありながら、
自分が母の、母親から息子を取り上げよとした人たちへの
復讐いや、証明の道具として“ピアノを弾かされている”と
反発を強めてゆく。
息子に限りない夢を果たして欲しいと、
そう願い続けることで、
自分を励まし続けてきた・・・・母。
ドラマの終盤、
息子が、母に向かって
「もう、そこから、その復讐から、僕は逃げてもいいですか?」と訴える。
ずっと以前に亡くなったと聞かされていた母が離婚した
息子にとっては実の父親の死と葬儀の連絡を再婚相手の女性からの連絡で知り、
彼の心は、激しく揺れた。
母は、首を縦に振った。
そして、彼が幼いころから弾き続けてきたピアノが、
ある日、業者に引き取られてゆく。
その引き取られていったピアノをつんだトラックを必死に自転車で追いかける息子は、
本当の意味での自分にとっての“ピアノ”への思いに気づく。
そこには、母との間に長い時間をかけて築き、育まれてきた
“心の糸”がまるでピアノの弦のように、
いくつもなびいている。
そして、そのバックには、切なく美しい、
ピアノの音色が流れていた・・・。
彼に、本当の意味での“心の糸口”を気づかせたものは、
かつて聾学校の生徒だった母が、
後輩達へ託した言葉だった。
聞こえないことによる3つの“ネガティブ”を
聞こえないからこそ感じることのできる3つの“ポジティブ”に
強く意識を持ち替えることで、
“限りない可能性ある未来”を
自分だけでなく、後輩たちにも
夢見て欲しいという言葉だった。
でも、その3つのポジティブな出来ることに象徴されていることは、
聞こえない人だけものもではなく、
誰にでも当てはまることだと、
は強く感じた。
「限られた現実の中での夢を持つこと」は、
“限りない可能性ある未来”への始まりだと、
信じている。
そこに、とても感動して、が、
流れてきた。
日ごろ、音楽に寄り添う世界にいる綾乃さんは、
きっと、歌を通じて、音楽を通じて、
たくさんの“心の糸”を感じてきているに違いない。
そして、これからも、
たくさんの“心の糸”をたくさんの人と
紡いでいって欲しいと、
は、願っている。