今日のメインは、行政との連絡会です。年に1回必ず行われています。毎回、テーマがあって、それについては場所の提供をする側が原案を作って相手側と打ち合わせて決めています。今回は防災をテーマに取り上げました。
行政との防災協定がありますが、総括的なもので具体的な事項はないも決まっていませんでした。3月11日の震災を経験し、今後のことを考えると、このあたりを詰めていかなくてはなりません。双方から防災の観点で報告を行い、意見交換になっていました。液状化の問題もあって、1週間ほど前に、独自に防災の研究会が開かれて、専門家の意見を聞くことが出来ました。そのときの話では、震度5であったために液状化が起こらなかったということです。これ以上の震度になると起こると報告されていました。
古い地形から言えば、東京湾が堆積して出来た場所ですので、市内は沼地が多かったと言われています。民話の中にも沼にまつわるものが残っています。当地が開けてきたのは、江戸時代に入るころからと言われています。市史編纂室の方の話を聞いたことがありますが、奥州街道が出来たころは余りにも道がひどかったようで、すぐに御成街道が出来て、将軍の日光詣では御成街道を使ったようで、奥州街道は参勤交替に使われたようです。そんな場所ですので、液状化の地図はほぼ市全域に広がっています。今日の連絡会を基点に、これから実務者レベルの連絡会を作り具体的な検討に入ります。
今日の1枚は、昭和記念公園で写したまゆみです。
行政との防災協定がありますが、総括的なもので具体的な事項はないも決まっていませんでした。3月11日の震災を経験し、今後のことを考えると、このあたりを詰めていかなくてはなりません。双方から防災の観点で報告を行い、意見交換になっていました。液状化の問題もあって、1週間ほど前に、独自に防災の研究会が開かれて、専門家の意見を聞くことが出来ました。そのときの話では、震度5であったために液状化が起こらなかったということです。これ以上の震度になると起こると報告されていました。
古い地形から言えば、東京湾が堆積して出来た場所ですので、市内は沼地が多かったと言われています。民話の中にも沼にまつわるものが残っています。当地が開けてきたのは、江戸時代に入るころからと言われています。市史編纂室の方の話を聞いたことがありますが、奥州街道が出来たころは余りにも道がひどかったようで、すぐに御成街道が出来て、将軍の日光詣では御成街道を使ったようで、奥州街道は参勤交替に使われたようです。そんな場所ですので、液状化の地図はほぼ市全域に広がっています。今日の連絡会を基点に、これから実務者レベルの連絡会を作り具体的な検討に入ります。
今日の1枚は、昭和記念公園で写したまゆみです。