小千谷から(Ojiya kara)

新潟県中越大震災の、とある被災者からのメッセージ
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美しき花

2006年05月25日 01時12分41秒 | 日常
あのあと泣いて泣いて目が「おいわさん」になって、日曜日だったので朝ごはんも作らずに11時ごろまでダラダラ寝ていた。
寝てると忘れられるからいい、と思って。
というか、なにもする気が起きなかった。
いつまでたってもおなかがすかない。胃は痛い。
こんなことははじめてだ。
子供が「ママー携帯鳴ってるよ~。」と携帯を持ってきた。
おねえちゃんだった。
しまった!先にかかってきちゃった!
亡くなったおにいさんが今自宅に帰ってきた、という報告だった。

自分が崩れてしまいそうだから、親戚にも親しい人にも誰にも話さなかったこと。
闘病生活はキツくて最後には痛み止めもきかなくなりもがき苦しんだけど、最後までおにいさんはがんばって家族の前では苦しんでいる姿をできるだけ見せないようにしていたこと。
息を引き取ったときのこと。
などをはじめは淡々と、でも「今、おとうさん、そばにいるけどね。顔見ながら話してるけどね。私のことも家族のことも本当に愛してくれてたからさ・・。しあわせだったから・・。」と口にした途端におねえちゃんが泣き声になってしまった。
気丈に振舞ってたおねえちゃんが素になったときに私も糸がきれ、電話口をとおして私たちはいっしょに泣いた。
「なんとかして会いに行くからね。ありがとうって直接言いたいから。」と私が意思表示をすると、おねえちゃんは「あぁ。○○ちゃん来てくれたらおとうさんも喜ぶわぁ。ありがとね、ありがとね。」とまた泣き崩れた。

「最後のお別れ」をするまで全然ピンとこなかった。
ただただ涙が出るだけで。
いつもふざけたことばかり言ってたおにいさんだからほんとは「どっきり」なんじゃないかと思うくらい。
告別式では遺影もちゃんと見られずに、お経をききながら鼻水と涙がいっしょになったものをどうやって最小限の音ですするか、目立たないようにささっと涙をぬぐうかに専念していた。

一般の弔問客にはご退場いただき、遺族と親族だけが「最後のお別れ」を許された。
そのころにはもう涙と声を殺そうとしても肩がひっくひっくしゃくりあげてしまって自制できなくなっていた。

しずかにお花をたむけて次の人に順番を譲る親族。
私はその最後についた。
棺に近寄りおにいさんの顔が視界に入った。
おにいさんがあまりにきれいな顔だったので「じゃじゃーん!」って両手パーしておどけて起きてきそうで私は我慢できなくなっておねえちゃんたちといっしょに声を出して泣いてしまった。
「○○さん(おにいちゃんの愛称)。。。ありがとね。・・ありがとね。」
と言ったときに
「○○ちゃんが来てくれたよ!おとうさん!!」
とおねえちゃんがおにいさんに呼びかけてくれた。

ほっぺを触らせてもらったときにまたひとつ、私の五感がおにいさんの死を受容した。
「ほんとに死んじゃったんだ・・・」

ひとつひとつプロセスを踏む中で私は冷静になったり、急に涙したり忙しかった。
火葬場に向かうマイクロバスの中では10年も20年も会ってないような親戚と近況報告をする。
誰も地震の話などしない。
もう終わったと思われてるんだろうなぁ。とちょっとシニカルな気分になったりした。

都会の火葬場ってこんなに事務的なんだ。。とへんなとこでびっくりしたりもした。
どんどん仏様が運びこまれてくるので感傷的になる余裕がなく、いちばんびっくりしたのは炉の外側にボタンがないこと!
私の田舎のほうでは大抵火葬場の炉の外側には丸いボタンがあり、喪主がそのボタンを押すようになっていた。(それが当たり前だと思ってたしそれが儀式なのだと思っていた。)
おねえちゃん的には「あのボタンを押すときのボッという音がダメなの~~」と言ってたので結果オーライだったのだけどw
またうちの田舎のほうでは仏様のお骨を「この方はここが悪かったのですね。」などと解説してくれるおじさんがいたりした。
もちろんそこではそんなおじさんはいなかったし、隣の遺族のお経がきこえたり(手をつなげるほどの至近距離)、隣のお線香を間違えて持ってしまったり・・とめっちゃがちゃがちゃムード。
「拾骨は10人でお願いします。」などと最初から制約があったのもびっくり。(ふたりでひとつの骨を拾うので5箇所の骨のみ)
ここで一気に涙が乾いた。

3人のこどもたちは告別式では涙涙だったけど、火葬場の控え室ではおねえちゃんも交えて談笑もでき、いい時を過ごせた。

日付かわったけど、きょう(昨日)はましゃの新曲の発売日。
「美しき花」という曲をおにいさん家族に捧げたい。
この曲はある実在する家族をイメージして作られた曲なんだということをトーキングFMを聴いてて知りました。
その家族の親御さんもお子様を残してはやくに旅立たれたということでした。

あなたの残した宝がこの先いろんな場面で花を開くごとに青い空の向こうで温かく見守っていてあげてほしいという想いをこめて。

おにいさん ほんとうにありがとう。