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THE SAPPORO TRANSIT AUTHORITY (S.T.A)

札幌で活動しているブラスロックバンド、STA(The Sapporo Transit Authority)です。

矢沢永吉 /フラッシュ イン ジャパン

2017-08-07 00:36:25 | CHICAGO

ジャパニーズロック界のボス、矢沢永吉さんは、広島出身です。
永ちゃんのロックスタンスとして「政治や反戦などを歌うというつもりはない」と以前からインタビューでも答えていて、あのベストセラー自伝的「成り上がり」の中でも、広島については触れる程度です。父親は軽度の被爆者。永ちゃんもずっと広島の少年時代では辛い思いをしてきたので、憎しみさえ抱いていたのではないでしょうか。
で、高校を卒業後、すぐに東京を目指して夜行列車に飛び乗りスーパースター伝説が幕を開けるわけであります!
そしていくつかのバンドを経てキャロルでデビュー。ソロになってからも一貫して若者たちの共感を生む恋愛、友情や悩み、喜び、夢や希望などを例の矢沢節で構築して数々の傑作ナンバーを生み出してきました。
ところが、1987年にアメリカ発売された第3弾アルバム「フラッシュインジャパン」のタイトルソングでは、広島原爆のことを情感込め切々と歌い紡いでいるのですよ。
このパワーバラードの作者マイケルランは永ちゃんがヒロシマ出身とは全く知らなかったそうです。ただ単に日本の歌手が歌うのだからこの題材ならば話題になるだろう、くらいの狙いだったらしいです。
私はまずこのタイトルに少なからずショックを受けました。
フラッシュとは原爆光線、つまりピカドン!のことではないですか!?
あの永ちゃんがよくこの歌を取り上げたものだなあ、と思いました。永ちゃんも年齢を重ねて故郷に対する捉え方に変化が出てきたようです。
当初は永ちゃんの意向でアルバム「フラッシュインジャパン」は海外のみの発売で、結果レコード会社からはなんのバックアップも得られずに五万枚のセールスで終わったのです。日本の熱狂的なファン達からはこのアルバムは超高値で取り引きされてもいました。
かなりの年月を経て、ジャケットデザインを一新、めでたく日本でも発売されましたがね。
この曲はアメリカではシングル発売もされて、なんとMTV用にプロモーションフィルムまで撮影されました。
場所はなんと原爆ドーム!本来あの中には立ち入る事はできないのですが、特例許可がでたそうです。しかし後に永ちゃんはその件について「あの中は戦争のお墓だから立ち入るべきではなかった」と悔いていたそうです。
因みに名曲フラッシュインジャパンのバックにはギタリストに職人マイケルランドー、コーラスには元シカゴのビルチャンプリン、ジェイソンシェフが参加しています。
永ちゃんは英語の発音に苦労したようで、英会話の先生からのレッスンで「フラッシュインジャパン」の出たしで駄目出し連発…影像ソフト「矢沢永吉ヒストリー2」でそのシーンを見ることができます。

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