中学生の頃、洋楽の魅力にはまりこみ、むさぼるように聴きまくりながら、あらゆる音楽雑誌に目を通していた懐かしい日々。
当時は音楽ジャンル分けされているような書籍や番組はほとんどなくごちゃ混ぜで良い時代でしたね。
おかげさまで聴かず嫌いせずに、多方面の洋楽を楽しむ事ができました(いやおうなく聴いちゃうしね)。
「雑食趣味で節操のない奴」とよく陰口も叩かれましたが・・・・。
その中でも、やっぱり若い男性ならば、ほとんどといっていいくらいにお世話になるのが激しいロック・・・・つまりハードロック(まだへヴィー・メタルという言葉が一般的に生まれる前)。
私が最初に大好きになったのは、ディープ・パープル(皆さんもそうでしょう!)
ちょうどその頃はスタジオ・バージョンの「ブラック・ナイト」がラジオでヒット中。
「ファイアー・ボール」をはじめて聞いた時にはただやかましい音に、友人と「これってちゃんとした音楽?」と意見が一致。でも毎日聴いていく内に迫力、スピード感、ハイトーン・シャウト、テクニカルな演奏とそれまでに体験したことのないサウンドの虜になっちゃいました。
その後は、お馴染みの「ハイウエイ・スター」「スモーク・オン・ザ・ウォーター」「ネヴァー・ビフォア(これも実は物凄くかっこいい)」「ウーマン・フローム・トーキョー」などがシングルヒットして、ますます彼等の動向を気にするロック小僧になっちゃいました。なんたってこのバンドはしょっちゅうトラブルを多発する個性も強烈な集団だったので。
度重なる脱退、メンバーチェンジ、解散、再結成、他のバンド結成、セッション、ソロワーク、出戻り、そして再脱退、他界などなど紆余曲折を経て今も尚元気に活動中。
1968年の「ハッシュ」でデビューした第1期からですから、もう今年で50年目を迎えるわけですなあ。
それだけの年月を経ているわけですからファミリー・ツリーも複雑化、膨大な人脈図が形成されるわけです。
誰もが口を揃えて最高の編成は!と問われれば「第2期」と答えることでしょう。
私個人的にはそれらを比較するのって愚問のような気がしますが。3期だって4期だってお気に入りのものがいっぱいあります。
そんなカリスマの塊のようなミュージシャン達ですから、パープル・ファミリーといわれる各メンバー達が結成したバンドも人気を集めました。
デヴィッド・カバーディルは遂に「パープル・アルバム」などという、確実にメタル界で話題独占するであろう音源を発表し、先頃ホワイトスネイクで来日、ここ札幌でもコンサートを開きました。
あのマエストロ、リッチー・ブラックモアも信じられない事に限定ということでレィンボウを再結成、ライブを行なったのですから驚きです。
彼らも年齢を重ねてジョン・ロードが他界、リッチーとカバーディルが和解、老齢期に入って気持ちが丸くなってきたのでしょうね。
他にもまだまだ素晴らしいバンドがいます。
ディオ、イアン・ギラン・バンド(後にギラン)、キャプテン・ビヨンド(ファーストは名盤)ETC・・・・。
故トミー・ボーリンはパープルにおいては悪評しか聞こえてこない不運なギタリストでしたがソロのファースト「ティーザー」は大傑作。
ビリー・コブハムのアルバム「スペクトル」ではまだ無名だった彼はスーパーミュージシャン達と互角に渡り合い火花散る白熱のギターを披露。それを聴いたパープルのメンバーから参加のオファーを受けたそうです。「スペクトル」はあのジェフ・ベックにまで多大なる影響を与えてBLOW BY BLOWのヒントになったとか)。
そのトミーと一緒に第4期パープルで奮闘していたのが、グレン・ヒューズ。
彼はトラピーズというバンドで実績を積んでいた期待のホープとして注目されていたB&VO。
パープルのメンバー達に口説かれて、すでに脱退が決定していたロジャー・グローバーの後任として加入。
遅れてテープ・オーディションで採用されたデヴィッド・カヴァーディルとのツイン・ボーカルが凄まじいアルバム「紫の炎」で華々しく登場ました。
伝説のカリフォルニア・ジャムを見てもわかるようにまだ素人っぽさの抜けないカヴァーディルを差し置いて、グレンは長髪を振り乱してシャウトの連続で(明らかにグレンのほうが場慣れしていて、上手いし声に厚みがあり声域広い。まあ好みは別として)、しまいには禁断のリッチー・スペースにまで足を踏み入れる始末。
このグレンが好むファンク系の音楽がリッチーは大嫌い
「スティービー・ワンダーのような音楽は聴く気がしない」とインタビューでも吐き捨てています。
そもそも、この頃のリッチーお気に入りのボーカリストはソウルフルなポール・ロジャース・タイプ。実際に彼に加入のアプローチをかけますがバッド・カンパニー結成に動いていた矢先ということで丁重にお断りを受けたそう。
パープルの次回作「嵐の使者」はリッチーいわく「駄作!1曲くらいしか好きになれない。指一本でギターソロ弾いた曲もある」と一刀両断、酷評。そして脱退しちゃいます(私は名盤だと思います)。
そして後任としてトミー・ボーリンがやってくるのですが、グレンとトミーはやんちゃすぎてバンド内はボロボロ。
アルバム「カム・テイスト・ザ・バンド」を引っさげて悪夢の来日公演を行います(ライブ・イン・ジャパン「紫の燃焼」はよくもまあ発表したものです。私は発売直後に購入して腰砕けました)。
トミーとグレンは酒とドラッグでヨレヨレ。もううんざりで嫌気がさしたカヴァーディルは脱退。虫の息だったパープルはここで解散を発表。
先にあげたパープルのメンバー達が結成したバンドはそれぞれにNWOBHMブーム到来のさなか常に注目の的。
グレン・ヒューズはソロ「プレイ・ミー・アウト」やヒューズ・スロールなどの音源を発表するも、たいした成功を得る事もできず、加入するプロジェクトなどでも他のミュージシャン達と意見のぶつかり合いもありドラッグ&アルコール癖、極度の肥満なども災いし音楽界から忘れ去られようとしていました。
これではいけないと我が身を案じたグレンは自ら脱ドラッグのリハビリテーションを行い奇跡の復活を遂げたのです。
「THE VOICE OF ROCK!!」健在。
体型も無駄なく引き締まりルックスもお洒落にイメチェンして、コンスタントにアルバム、プロジェクト参加、セッション、ツアーにとマイペースに多忙な毎日を送っています。
元々この人のボーカルは以前から定評があり、劣れ知らずの強靭なる喉、ソウルフルなる表現力はいまだに引っ張りだこです。
膨大にあるグレン作品群の中からここでは2001年のソロアルバム「ビルディング ザ マシーン」を。12曲入り。
まだまだ、紹介したい音源山積みなのですが、それはまたの機会にということで。
ビルディング…の内容はといいますとよくある単純なハードロックには安易に収まらず、即効で迫力満点のエモーショナルなグレンのボーカルにノックアウトされること必至。泣きのバラードも絶品。この人の感情表現は天性のものなのでしょうね。魂の咆哮。開巻から圧倒的なナンバー連発で聴く者をノックアウト!この人の強靭なる歌唱力は別格ですね。一言で表現するならば、唯一無二のファンキーメタリックストロングボイス!パットトラバースやボビーキンボールらをゲストに迎えながらも強烈な個性が渦巻いてます。そしてリッチーが嫌っていたアルバム「嵐の使者」から隠れた名曲「ハイボールシューター」をセルフカバーしています。グレンってちょくちょく自分が在籍していたパープルの曲を自身のアルバムに再録してますよね。ファンとしてはとても嬉しいです。
札幌公演にはホワイトスネイクをはじめパープル、ディオ、ジョー・リン・ターナー&グラハム・ボネット(!)、忌まわしい事故がおこったレインボウ、ゲイリー・ムーア(DRはイアン・ペイス)がやってきていますが、グレン・ヒューズも一度だけ札幌ペニーレイン公演を行っています。
1997年2月12日(水)
コンサート後は、グレンたっての希望で急遽握手&サイン会が実現。
1番に私はもらっちゃいました!!写真はその時のサインとチケット半券。
その時のグレンは上下ジャージ姿、髪型は短髪、泣けるのが親友トミー・ボーリンのTシャツを着ていたことですね。
ちょっと体育の先生みたいでしたが(笑)若々しくて健康的なグレンはかっこよかったです。
日本の音楽テレビ番組に出演したグレンがスタジオ・ライブで歌ったのですがそこで共演した聖飢魔Ⅱのデーモン閣下との「BURN」は2人とも負けじと叫びまくっていて圧巻でした。
ちなみに彼がパープル加入前に在籍していたバンド、トラピーズは来日できずに終わっちゃいましたが、私はグレン以外にも2人のライブを観ています。
ギタリストの故メル・ギャレーはホワイトスネイク、ドラマーのデイブ・ホーランドはジューダス・プリーストで、共に日本武道館にて。
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