先日、惜しまれつつ亡くなった名優、左とん平さん。
左さんの大ヒット曲「ヘイユーブルース」は今聞いてもゾクゾクするほどにカッコいい!
あのバックをつとめていたのが伝説のロックバンド
「イエロー」です。
ドラム担当はジョニー吉長。
ジョニー初のレコーディング。
その後の彼の活躍はもはや説明不要でしょう。
左とん平さんの訃報で、ふとジョニー吉長さんのソロキャリアを振り返ってみたらば、10枚ほどアルバムをリリースしているのですね。
写真のアルバムは
「天ten」1992年のライブ。15曲入り。なんとピンククラウドの曲なんかもかなり収録しています。
バックに当時の奥さん金子マリ、竜童組のロミー木下、四人囃子の森園勝敏(金子マリの現在の夫)
ジャズ界の鬼才、佐山雅彦。
もう1枚は「J」
9曲入り。
ここではラブチャイルドという名義のバンドでレコーディング。
金子マリ、森園勝敏、そしてチャー、伊藤コウキ、マック清水、愛息ケンケン、本田泰章、亀渕友香らが参加しています。
2人の息子さんはチャーの愛息ジェシーとRIZEを結成して今では爆発的な人気者。
金子ノブアキに至ってはドラムだけにとどまらず俳優としても超売れっ子です。
ここに以前の書き込みを再アップ。
「ジョニー吉長、享年63歳、肺炎により2012年6月4日死去」
私がジョニーをテレビで初めて見たのはイエローのライブイベント映像でした。
泉谷しげる氏のバックバンドをイエローが担当していたこともあり、彼の初期のメッセージ色濃いナンバー「国旗はためく下に」を渾身のパフォーマンスで演じていた(ボーカルが大きな旗を長髪振り乱して本当に振っていた)のが印象的でした。
バンド解散後、私がジョニー当人を本格的に認識したのはジョニー・ルイス&チャーのデビュー限定日比谷野外音楽堂でのライブアルバム「フリー・スピリット」でした(私は今でもこのアルバムは日本ロック界の中でも、ライブ盤として重要な1枚であり、そしてJL&Cのある意味では最高傑作だと思います。捨て曲なし)。
同じハーフミュージシャンでもある元ゴールデン・カップスのベーシスト、ルイズルイス加部とアイドル路線からの脱却を図っていたチャーによる日本史上最高のロックトリオの誕生です。
ピンククラウドに改名後も数多くのアルバムとライブによって人気を不動のものとします(3人揃ったルックスは男達から見ても憧れのかっこよさ。これぞロックミュージシャンの鏡)。
ジョニーはバンドと並行してソロ活動も活発で10枚以上ものアルバムを発表したり他にもプロジェクトを組んだりもしました(コンポーザーにプロデュースも)。
また日本のジャニス・ジョプリンと言われた金子マリさんと結婚(1999年に離婚)、2人の息子達もプロ・ミュージシャンとして(DR&B)チャーの息子ジェシーとRIZEで活動。
ジョニーは音楽界以外にもそのルックスをいかして俳優やモデル業にも進出します。
私がジョニーの演技で最もインパクトがあったのは金城武主演で彼の父親役を務めた「2000年の恋」です。
クール且つ言葉少なに演ずるのに存在感たっぷりでした。
ピンククラウドのライブは1度だけ見たことがあります。
1981年、品川プリンスホテルのスケートリンク会場で催された宇崎竜童氏企画のロックイベントでテレビ放映もされました。
左右に2つのステージがセットされて出演バンドはデビュー直後のモッズ、そしてARB,メデューサ、ダウンタウン・ファイティング・ブギウギバンド等・・・。
司会進行は宇崎氏が担当し、原田芳雄氏もゲストで駆けつけてきていました。
そんな中でも最小人数なのに最もハードにロックしていたのがピンククラウド。
舞台右端の楽屋通用ドアを自ら開けて登場した3人の強烈なオーラに瞬間、その場の空気がピーンと張り詰めたのがはっきりと伝わってきました。
チャーとボーカルを分けあって熱唱しながらドラムを決めまくるジョニーに会場中が釘付け。
マーちゃんとのリズムコンビネーションはいぶし銀のうねりを醸し出しています。
特に脳裏にしっかりと焼き付いているのはESPカタログにも載っていて当時話題にもなったギター&ベースのダブルネックをチャーとマーちゃんの2人がプレイした「ディ・トリッパー」。
ベースとギターを交互にチェンジしてリフやソロをバトンタッチする荒業には興奮しつつもそのアイディアに「なるほどなあ・・・」と関心しきり。
もちろんテクニックとセンスあっての演出です。
札幌のピンククラウド・ファンの知人も偶然、コンサート当日に会場近くの歩道で向こうからこっちに向かって歩いてくるあの3人に遭遇したそうです。
でも全員が長髪、髭、ベルボトムを風になびかせて並んでいるのを見て緊張とビビりまくりで何も反応できずにすれ違ったそうです(というか怖かったらしい・・・)。
ジョニー吉長氏は決して真新しい音楽分野には食指を伸ばしたりはしませんでしたが、日本に於けるロック界が本格的に確立、進出、浸透する時代の流れのど真ん中を常にアグレッシブに突きぬけていった人だと思います。
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