≫ 続き~<744>
1933(昭和8)年、女性初の海峡横断に挑んだ朴敬元(パク・ギョンウォン/박경원)飛行士は、その記念すべきフライト途中、静岡県田方郡多賀村(現熱海市)の玄ケ獄山中に墜落し、事故死した。
2005年には、その生涯を描いた映画『青燕(청연/チョンヨン)』が公開された。

韓ドラなど見ていて、韓国の人は、一番である事、起源にこだわる傾向があるなぁ~と感じていた。
だから、朝鮮で最初の女性パイロットともなれば、その扱いは極上だと思っていた。
世界でもまだ珍しかった時代に、努力の末、見事女性パイロットとなった彼女の姿は、絶好の映画のヒロインのモデルになるだろうと・・・
しかし、彼女の祖国、韓国では以外にも知名度は、皆無に近い状態だった。
制作費60億ウォンを掛けた話題作であったが、韓国での興行は冴えなかったと言う。
ユン・ジョンチャン監督による『青燕』は、昨年胃がんが見つかり闘病中の女優チャン・ジニョンさんが主人公(朴敬元/パク・ギョンウォン役)を演じ、『プラハの恋人』などで知られている キム・ジュヒョクssi(ハン・ジヒョク役)が相手役として共演している。


あらすじは・・・
幼い頃から空を飛ぶのが夢だったキョンウォンは、ある日初めて、丘から大きな鳥(飛行機)を見手以来、 飛行士になろうと決心する。
飛行士になる為、日本に渡り、飛行学校に通うキョンウォンだったが、学費を得るためタクシー運転手を始める。
偶然タクシーの乗客として乗せた韓国人留学生ジヒョクと出会う・・・と恋愛話も盛り込まれたストーリー。
実際、朴敬元飛行士は裕福な家庭のお嬢様ではなく、『東亜日報』が後援し、朝鮮全土からの寄付と看護婦として働いた僅かな資金で、飛行学校に入り、飛行士の免許を取ったそうだ。
その後、飛行行技能大会で入賞した賞金で、愛機を購入したと言う。
陸軍払い下げの中古ではあったけれど、フランスで設計されたサルムソン2A2型。
愛機の名前には、朝鮮の伝説で幸せを運ぶと言う言い伝えのある「青い燕」からとり、「青燕」号と命名したそうだ。
日本統治の時代、彼女の夢の実現には、厳しい現実があった。
当時の日本政府の「内鮮満一体化」推進の為、彼女が「日満親善・皇軍慰問」飛行の任を受けた。
協力する事で、自分の夢を叶えようとした事は、当然の成行きだったと思う。
が、これを「親日行動」とされ、韓国では「親日派」人物とされてしまっている。
映画公開に当たって、朴敬元飛行士の「親日行動」に対する批判が再燃したと言う。
韓流ブームに乗り、何の屈託もなく「韓国大好き!」とかしましい日本とは大きな温度差がある事を改めて知らされた。
今でも「親日派」タタキは根強く、子孫に相続された資産までもが没収されると言う現実がある。
ネット上では、朴敬元さんの「親日行動を暴く」的な様々な記事で賑わったそうだ。
当時の逓信大臣、小泉又次郎氏(小泉元総理のおじいちゃん)との浮名の噂にも波及したそうだ。
愛機「青燕」も、小泉逓信大臣がプレゼントしたと言う内容も・・・
事の真偽はともかく、艱難辛苦を乗り越え飛行士資格を取得した事実は賞賛されるべきだと思うが、彼女が愛してやまなかった祖国は、未だに彼女へのバッシングで傷つけた。
この騒動の中、映画製作者のユン監督は「日帝時代飛行士になった朴敬元が、親日人士と言う批判を受けていると事は知っている。」と語っている。
ユン監督は・・・
「朴敬元と言う名前をネットで検索すれば、全ての資料がみんな出てくるのに、映画的に脚色して歴史的史実まで葬る事などできるはずがない。」
「その時代、飛行士と言う夢をつかむためには、日本の飛行機に乗らなければならなかったし、日本の助けを借りるしかなかった。」と
親日批判があると言う事を知りながら、映画化した理由については
「朴敬元は、歴史的原罪を犯した女だが、夢をつかむために駆けぬけた。」
「今の時代とは違って、飛行士と言う夢が、当時には達成しにくい夢だった。」 「しかし彼女に『どうしてそんな夢を持つようになったのか』と言う事はできない。」
「 白日夢みたいな悲しい感じがした。」
「 日帝時代の人物を親日なのか、違うのかと言う両極端の観点ではなく、その時代に白日夢みたいな夢を抱いた女性の人生に関心があった。」と説明したそうだ。
彼女に目を向け、作品を作り上げた監督さんの口から「歴史的原罪を犯した女」なんて表現が飛び出すなんて・・・(-_-;)
操縦席でハンドルを握ったまま絶命していた彼女。
腕時計は11時25分30秒を指し、愛用のハンドバックには拓務大臣などから「満州国」へ託された三通の親書が入っていたと言う。
墜落現場に近い多賀村で、彼女の遺体は荼毘に付された。
熱海市制施行60周年記念の熱海歴史年表には、当時の状況が詳しく掲載されている。
・・・当時小学6年生だった西島厚氏は、村長であった祖父が「朴さんがかわいそう、かわいそう」と繰り返していたのを鮮明に覚えている。
その従兄弟の斎藤陽三氏も「毎年、飛行機仲間が空から花輪を落として行った。 8月7日は朴さんの日だ。」と家族で語り合ったと話す。
元多賀村村長、西島弘氏は、朴敬元飛行士の事故死1周年に「鳥人霊誌」と揮毫した慰霊碑を建立している。
また、7回忌にあたる年には、慰霊祭も開催している。
昭和56年には、上多賀町内会が、慰霊の石柱を建立している・・・
墜落現場となった多賀村の方々や飛行機仲間が、彼女の死を心から悼み、時が経っても追悼している。
一人の女性に向けられた日韓のこれほどまでの違いをどう捉えるか?
深く考えさせられた・・・
1933(昭和8)年、女性初の海峡横断に挑んだ朴敬元(パク・ギョンウォン/박경원)飛行士は、その記念すべきフライト途中、静岡県田方郡多賀村(現熱海市)の玄ケ獄山中に墜落し、事故死した。
2005年には、その生涯を描いた映画『青燕(청연/チョンヨン)』が公開された。

韓ドラなど見ていて、韓国の人は、一番である事、起源にこだわる傾向があるなぁ~と感じていた。
だから、朝鮮で最初の女性パイロットともなれば、その扱いは極上だと思っていた。
世界でもまだ珍しかった時代に、努力の末、見事女性パイロットとなった彼女の姿は、絶好の映画のヒロインのモデルになるだろうと・・・
しかし、彼女の祖国、韓国では以外にも知名度は、皆無に近い状態だった。
制作費60億ウォンを掛けた話題作であったが、韓国での興行は冴えなかったと言う。
ユン・ジョンチャン監督による『青燕』は、昨年胃がんが見つかり闘病中の女優チャン・ジニョンさんが主人公(朴敬元/パク・ギョンウォン役)を演じ、『プラハの恋人』などで知られている キム・ジュヒョクssi(ハン・ジヒョク役)が相手役として共演している。


あらすじは・・・
幼い頃から空を飛ぶのが夢だったキョンウォンは、ある日初めて、丘から大きな鳥(飛行機)を見手以来、 飛行士になろうと決心する。
飛行士になる為、日本に渡り、飛行学校に通うキョンウォンだったが、学費を得るためタクシー運転手を始める。
偶然タクシーの乗客として乗せた韓国人留学生ジヒョクと出会う・・・と恋愛話も盛り込まれたストーリー。
実際、朴敬元飛行士は裕福な家庭のお嬢様ではなく、『東亜日報』が後援し、朝鮮全土からの寄付と看護婦として働いた僅かな資金で、飛行学校に入り、飛行士の免許を取ったそうだ。
その後、飛行行技能大会で入賞した賞金で、愛機を購入したと言う。
陸軍払い下げの中古ではあったけれど、フランスで設計されたサルムソン2A2型。
愛機の名前には、朝鮮の伝説で幸せを運ぶと言う言い伝えのある「青い燕」からとり、「青燕」号と命名したそうだ。
日本統治の時代、彼女の夢の実現には、厳しい現実があった。
当時の日本政府の「内鮮満一体化」推進の為、彼女が「日満親善・皇軍慰問」飛行の任を受けた。
協力する事で、自分の夢を叶えようとした事は、当然の成行きだったと思う。
が、これを「親日行動」とされ、韓国では「親日派」人物とされてしまっている。
映画公開に当たって、朴敬元飛行士の「親日行動」に対する批判が再燃したと言う。
韓流ブームに乗り、何の屈託もなく「韓国大好き!」とかしましい日本とは大きな温度差がある事を改めて知らされた。
今でも「親日派」タタキは根強く、子孫に相続された資産までもが没収されると言う現実がある。
ネット上では、朴敬元さんの「親日行動を暴く」的な様々な記事で賑わったそうだ。
当時の逓信大臣、小泉又次郎氏(小泉元総理のおじいちゃん)との浮名の噂にも波及したそうだ。
愛機「青燕」も、小泉逓信大臣がプレゼントしたと言う内容も・・・
事の真偽はともかく、艱難辛苦を乗り越え飛行士資格を取得した事実は賞賛されるべきだと思うが、彼女が愛してやまなかった祖国は、未だに彼女へのバッシングで傷つけた。
この騒動の中、映画製作者のユン監督は「日帝時代飛行士になった朴敬元が、親日人士と言う批判を受けていると事は知っている。」と語っている。
ユン監督は・・・
「朴敬元と言う名前をネットで検索すれば、全ての資料がみんな出てくるのに、映画的に脚色して歴史的史実まで葬る事などできるはずがない。」
「その時代、飛行士と言う夢をつかむためには、日本の飛行機に乗らなければならなかったし、日本の助けを借りるしかなかった。」と
親日批判があると言う事を知りながら、映画化した理由については
「朴敬元は、歴史的原罪を犯した女だが、夢をつかむために駆けぬけた。」
「今の時代とは違って、飛行士と言う夢が、当時には達成しにくい夢だった。」 「しかし彼女に『どうしてそんな夢を持つようになったのか』と言う事はできない。」
「 白日夢みたいな悲しい感じがした。」
「 日帝時代の人物を親日なのか、違うのかと言う両極端の観点ではなく、その時代に白日夢みたいな夢を抱いた女性の人生に関心があった。」と説明したそうだ。
彼女に目を向け、作品を作り上げた監督さんの口から「歴史的原罪を犯した女」なんて表現が飛び出すなんて・・・(-_-;)
操縦席でハンドルを握ったまま絶命していた彼女。
腕時計は11時25分30秒を指し、愛用のハンドバックには拓務大臣などから「満州国」へ託された三通の親書が入っていたと言う。
墜落現場に近い多賀村で、彼女の遺体は荼毘に付された。
熱海市制施行60周年記念の熱海歴史年表には、当時の状況が詳しく掲載されている。
・・・当時小学6年生だった西島厚氏は、村長であった祖父が「朴さんがかわいそう、かわいそう」と繰り返していたのを鮮明に覚えている。
その従兄弟の斎藤陽三氏も「毎年、飛行機仲間が空から花輪を落として行った。 8月7日は朴さんの日だ。」と家族で語り合ったと話す。
元多賀村村長、西島弘氏は、朴敬元飛行士の事故死1周年に「鳥人霊誌」と揮毫した慰霊碑を建立している。
また、7回忌にあたる年には、慰霊祭も開催している。
昭和56年には、上多賀町内会が、慰霊の石柱を建立している・・・
墜落現場となった多賀村の方々や飛行機仲間が、彼女の死を心から悼み、時が経っても追悼している。
一人の女性に向けられた日韓のこれほどまでの違いをどう捉えるか?
深く考えさせられた・・・
まさに白日夢のような人生。
夢を追い続け、駆け抜けるように
生き抜いた。
彼女の生き様を感じました。
熱海梅園の中にある彼女の慰霊碑…それが、この作品を観るきっかけになったのですが…
この映画は、とても考えさせられました。
内容とその背景にあるもの…
日韓の温度差…
主演のチャン・ジニョンさんも、闘病の末、亡くなられ…私の観た韓国映画の中でも、特異な作品となってます。