pride and vainglory -澪標のpostmortem(ブリッジ用語です)-

初歩の文書分析と論理学モドキ(メモ)

空の翳り CODA 彼岸❹

2021-03-04 07:00:05 | Λαβύρινθος
 夜明け前の高円寺駅前。真夏の熱気がビルと高架線路の間にまだわずかに蹲っている。これだから都会の夏は嫌だ。ふとそう思った。
 際限も無く繰り返される退屈極まりない革命神学論争と、その裏にねっとりと絡みつく暴力の匂い。それも肉食獣の猛々しい匂いならともかく、追い詰められた獲物の分泌する恐怖と、それから逃れる為の弱いものいじめの匂い。
 退屈極まりないモラトリアムの時間と空間で繰り広げられる擬似演劇。多分ぼくを含め、あの場に居たものは暴力を使いきる意思など持ち合わせないまま、暴力を弄ぼうとしていた。
 そんなものにうんざりして、占拠とやらをしている事になっていた駒場の校舎を抜け出し、道玄坂上の百軒店にある24時間営業のロック喫茶へ向って歩いていたはずなのに、いつのまにか高円寺駅近くの中央線の高架下に来ている。どう考えても渋谷へ歩いて高円寺に辿りつくのは可笑しい。
 首を捻りながら、改札口を出た所にある交差点を渡った向かいにある古本屋へと向う。常識的に考えればこんな時間に開いている訳は無いのだが、この近くに来た時の癖なのだ.。事実夜明け前にこの店の親爺に招きいれられて、お茶をご馳走になりなった事もあった。
 閉店の表示が戸口にぶら下がっているものの、ショーウィンドウ越しに薄明かりが漏れている。あの爺さんの事だから、とんでもない時間に本の整理でもやっているのかも知れない。 そう思ってショーウィンドウの奥を覗いてみた。残念だが人影は見当たらない。一度ご馳走になった抹茶と金沢の和菓子は逸品だった。あれがいただけるのなら、存外の力仕事である本の整理を喜んで手伝う所なのだが。それに時に思わぬ掘り出しものに出会う事もある。そんな時爺さんは採算度外視で譲ってくれる。
 残念だが仕方が有るまい。ぼくは先へと進む事にした。

 古本屋の横の路地を数十メートル進むと高架下を潜るすこし広い道路にブツカル。その角にあるのがブラックホーク。ドアを開けるとDJの松平維秋が仕事を終えて出てくる所。秋とは言えまだまだ暖かいのにインバネスにディアストーカー。ご丁寧に念が入ったアングロフィリー振りだ。 店の中からはStains-Morrisが聞こえてくる。
ここまで来るとめちゃくちゃだ。いつのまにか季節まで変わっている。それだけではない、確かにぼくが最初に目指していたのは百軒店。ブラックホークは確かにそこにあった。しかしあの店は深夜営業はしていなかったし、選曲は好みだたが、薀蓄たれべえが正座して謹聴すると言った雰囲気が好きになれなかったから、こんなささくれ立った気分の時に出かけるはずがない。
 聊か薄汚いが、横になって大音響でLed Zeppelinでも聞きながら仮眠できる24時間営業のBYGへ向っていたはずだ。
 しかし、もしぼくが高円寺にいるのなら、古本屋の先を曲がった所に有るビルの一階にあるのはムーヴィンとサイドワインダー。
 ムーヴィンなら店のドアを開けると、ちゃんちゃんこを着た蜂蜜パイの和田博巳が、裂きイカを炙っていたりするはずなのだ。
 ドアの向うから微かに、The BandのThe night they drove old dexie-downが聞こえてくる。これで良い。これでこそ高円寺。
 なぜかすっかり安心してしまったぼくは店には入らず、また駅前の古本屋へと取って返す。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 空の翳り CODA 彼岸❸ | トップ | 空の翳り CODA 彼岸❺ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Λαβύρινθος」カテゴリの最新記事