鎌倉仏教 . . . 本文を読む
比叡山西塔黒谷別所です。大黒天がこの地に顕現したことから命名されたとされ、法然修行の地であった事から、彼が道場を開いた岡崎一帯が新黒谷と呼ばれ、江戸期以降はこちらが黒谷と呼ばれる事が普通になったようです。
比叡山の元黒谷の方は、信長の焼き討ち後、江戸初期に再建されますが、寺勢は振るわず一時は廃寺寸前まで行ったとされますが、明治になって本堂である青龍寺は修復され、戦後は天台宗寺院ではあるものの、 . . . 本文を読む
余り一般的な用語ではありませんが、中世天台の学僧の学風を区分して、顕、密、戒、記と区分して天台四宗と呼ぶ事があります。以下に述べるような問題点があるため最近では顕密戒記または円密戒記*と記される事多いようです。
現代では円密禅戒とされる事が多いようです。(+念仏になったり、+修験になったりします。)
①好むと好まざるとに関わらず、学侶たる者の謂わば必修課程であった止観業(顕)、遮那業(密)に . . . 本文を読む