pride and vainglory -澪標のpostmortem(ブリッジ用語です)-

初歩の文書分析と論理学モドキ(メモ)

空の翳り CODA 彼岸❸

2021-03-03 07:12:14 | Λαβύρινθος
 しかしどうして今秘鍵の真言分などが、薄明の世界にイメージとしてマントラの音と共に幻のように浮かんだのだろうか。
 そもそもどうしてぼくはこのような状態にあるのだろうか。
 薄明の中にぼんやりとイメージが浮かんでは消えていく。
 子供の頃、塾からに帰り道自転車に載って家路に急ぐぼく。田舎の小都市の夜は早く、町並みには人影も通行する車も無い。
 シャッターの下ろされた町並みを鈍く照らす薄暗い街灯に映し出されて、この年最初の雪が舞い下りてくる。中学生になって、始めて買って貰ったウールのコートに落ちてくる雪を片手で払いのけながら、ぼくは歌を歌い始める。“Tombe la neige Tu ne viendras pas ce soir” 。
 どうにもおかしなイメージだ。そのころぼくはフランス語など知りはしなかった。ぼくが歌っていたのは“雪が降る。あなたは来ない。” いや。 違う。
 多分ぼくがその頃歌っていたのは“雪が降ってきた。ほんのすこしだけれど、私の心の中に積もりそうな雪だった。”

 火鉢の上で薬缶がシュンシュン音を立てている。
 厚い綿の掛け布団とその下の小夜着にくるまったぼく。体はとても熱いのにふるえが止まらない。枕元で父と医者とが話している。「今日越せるかどうか五分五分です。」
 昼間のはずなのにひどく暗い。廊下の障子を前足で開けてミヤがはいってくる。
 「ねえ寝てないで遊ぼう。ねえ。」
 不意に体が軽くなったぼくは立ち上がり、ミヤと遊びに廊下へ出て行く。
 これも可笑しい。6キロもある巨大な猫だったミヤは、ぼくが病気になる前の年に死んだはず。それに猫が喋るわけもない。
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