pride and vainglory -澪標のpostmortem(ブリッジ用語です)-

初歩の文書分析と論理学モドキ(メモ)

言葉の迷宮② マーヒーヤとフウィ―ヤ❷

2018-07-22 09:13:55 | 分別の赴くままに
Ⅰ 「いかなるものにも、そのものをまさにそのものたらしめているリアリティーがある。だが(ここで注意すべきは)このリアリティーが一つではなく二つであるということだ。その一つは具体的、個体的なリアリティーであって、これを術語でフウィーヤという。もうひとつは普遍的リアリティーで、これをマーヒーヤと呼ぶ。」
 ー意識と本質 pp40より孫引き:一部ローマ字アラビア語表記を省略、カタカナ化  

Ⅱ この二つをイスラームの哲学者たちが二つながらに、事物の「本質」と考えていることは、彼らが後者を「特殊的意味での本質」(mahiyah fi alma na al-khass)、前者を「一般的意味での本質」(mahiyah fi alma na al-amm)と呼んで術語的に区別しながら、それらを共に広義のマーヒーヤに含まれるものとしている事実によっても明らかである。
 ー意識と本質 pp41

 簡単に整理すると
 ①事物の本質には以下の二種類ある。
  ❶その事物に共通な本質であるマーヒーヤ
  ❷その事物に属する個体の本質であるフウィーヤ
 ②マヒーヤは「特殊的意味での本質」(mahiyah fi alma na al-khass)と呼ばれ、フウィーヤは「一般的意味での本質」(mahiyah fi alma na al-amm)と呼ばれる。

 まず頭に浮かぶのは
 ア。 フウィーヤにネオプラト二スムのプネウマの影響があるのではないか、
 イ。 ここのマヒーヤ(ex.机、人)の定義範囲はどのようにして確定されるか
 前者はYES、後者はイスラームに取って間主観性はあらかじめアッラーによって担保されている。というのが簡単でラフな答えです。これからの論議の中でまた出会うと思いますので、その時詳述します。

 さてこの部分を読んだとき、私に全く理解できなかったのが①と②の関係です。当初は誤植では(Ⅱの文の前者と後者が逆)ではないかとさえ思いました。
 「共通な本質が特殊的本質、個体的本質が一般的本質」、こう読んで、頭がウニになりました。勿論誤読です。!(^^)!

 ‡脱線ですが、哲学書は誤植の多い事では数学書と双璧です。所謂プロの編集者による校正を受け付けないからだと思います。誤植に躓くのも楽しみの一つ(^^♪
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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2022-07-15 17:29:58
言葉と本質

ではなく

意識と本質

ですよ。
返信する
Unknown (澪標)
2022-07-15 22:50:12
ありがとうございます。
訂正しておきます。
返信する

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