今度はショーウィンドウの向うで親爺が手招きしている。何時しか日は翳り夜の帳が落ちてくる。コートを立てて通りすぎようとする俺の耳に、分厚い硝子越しなのになぜか親爺の声が聞こえてくる。
「お前さん達向きの本が手に入ったよ。対象が語り手に、語り手が対象に幾重にも螺旋のように絡まって入れ替わっていく話さ。」
冬の雨に濡れたジーンが凍えそうだ。ここで入ってはいけない。そう思いつつも、親爺の前で暖かそうに燃えているアラディンの石油ランプに吸い寄せられるように、ドアを開ける。
そう、お前の仔猿の時はこれから始まる。
眸の色。たしかあの小説は眸の色についての記憶の移ろい易さについての述懐から始まる。そして時間割や心変わり、段階。ビュトールが触れていないのはクロソウスキーとの出会い。クロソウスキーを通じたコレージュドソシオロジーのメンバーとの交流、取り分けミシェルレリースからの影響を考えれば、夢幻と現実の交差にたいする偏愛は説明できるだろう。
でもぼくは夢想する、クロソウスキーとの出会いの向うに、ナントの寡黙な地理学者の影を。ビュトールの都市や館はシルトや森のバルコニーの子供。無限と夢幻の出会う場所だ。そしてボルヘスの語り手はその出会いの場を通りぬけて虚実の回廊を行き来する者。
多分ぼくはいつかそんな世界を描きたいと、このときから思い始めたはずだ。
イメージが崩れ落ち乳白色の霧の中に戻る。
ga te ga te paa ra ga te paa ra sam ga te boo dhi sva haa。行行として円寂に至り、去去として原初に入る。彼岸と言い、此岸と言い、単なるラベルに過ぎないのだろうが。ぼくは何処に居て、何処へ到ろうとしているのか。
ぼくの周りに浮かび上がるイメージの内容が矛盾したものであるだけではない。
ぼくの知らない、ぼくの育った時代とは異なる時間軸上の出来事やぼくの好みとは異なる評価が、ぼくの記憶として浮かび上がってくる。たしかにぼくが学生の頃高円寺の高架下に、シュールレアリスムやヌーボロマンを始めとしてかなりマニアック品揃えを誇る古本屋があった。
たしかにあの古本屋で当時絶版だったミッシェル・レリスやジュリアン・グラックの翻訳やマンディアルグやクロソウスキーの原本にぼくは出会った。当時関心があったフーコーの原本や英訳を東京中捜し歩いた末の出会いだったと思う。「俺」が書いた小説の中で小道具として使ってあった「仔猿のような芸術家の肖像」を見つけたのも、この本屋の廉価本の籠だった。
この本屋に出会ったお陰で、研究上必要だったフーコー・デュエム・バシュラールの本が大量に入手できた事は嬉しかった。
そして頻繁な本屋通いの中で何時しか、1960年代の終わりから70年代の盛んに翻訳されたクロソウスキーやビュトールと言ったマニエリストとでも呼ぶべき一群の作家達に魅入られてしまったのも事実だ。
でもぼくの好みはまずジュリアングラックであり、シオラン、シモンだったはず。記憶が語るビュトール、クロソウスキーの組み合わせはあくまで二番手だった。
「お前さん達向きの本が手に入ったよ。対象が語り手に、語り手が対象に幾重にも螺旋のように絡まって入れ替わっていく話さ。」
冬の雨に濡れたジーンが凍えそうだ。ここで入ってはいけない。そう思いつつも、親爺の前で暖かそうに燃えているアラディンの石油ランプに吸い寄せられるように、ドアを開ける。
そう、お前の仔猿の時はこれから始まる。
眸の色。たしかあの小説は眸の色についての記憶の移ろい易さについての述懐から始まる。そして時間割や心変わり、段階。ビュトールが触れていないのはクロソウスキーとの出会い。クロソウスキーを通じたコレージュドソシオロジーのメンバーとの交流、取り分けミシェルレリースからの影響を考えれば、夢幻と現実の交差にたいする偏愛は説明できるだろう。
でもぼくは夢想する、クロソウスキーとの出会いの向うに、ナントの寡黙な地理学者の影を。ビュトールの都市や館はシルトや森のバルコニーの子供。無限と夢幻の出会う場所だ。そしてボルヘスの語り手はその出会いの場を通りぬけて虚実の回廊を行き来する者。
多分ぼくはいつかそんな世界を描きたいと、このときから思い始めたはずだ。
イメージが崩れ落ち乳白色の霧の中に戻る。
ga te ga te paa ra ga te paa ra sam ga te boo dhi sva haa。行行として円寂に至り、去去として原初に入る。彼岸と言い、此岸と言い、単なるラベルに過ぎないのだろうが。ぼくは何処に居て、何処へ到ろうとしているのか。
ぼくの周りに浮かび上がるイメージの内容が矛盾したものであるだけではない。
ぼくの知らない、ぼくの育った時代とは異なる時間軸上の出来事やぼくの好みとは異なる評価が、ぼくの記憶として浮かび上がってくる。たしかにぼくが学生の頃高円寺の高架下に、シュールレアリスムやヌーボロマンを始めとしてかなりマニアック品揃えを誇る古本屋があった。
たしかにあの古本屋で当時絶版だったミッシェル・レリスやジュリアン・グラックの翻訳やマンディアルグやクロソウスキーの原本にぼくは出会った。当時関心があったフーコーの原本や英訳を東京中捜し歩いた末の出会いだったと思う。「俺」が書いた小説の中で小道具として使ってあった「仔猿のような芸術家の肖像」を見つけたのも、この本屋の廉価本の籠だった。
この本屋に出会ったお陰で、研究上必要だったフーコー・デュエム・バシュラールの本が大量に入手できた事は嬉しかった。
そして頻繁な本屋通いの中で何時しか、1960年代の終わりから70年代の盛んに翻訳されたクロソウスキーやビュトールと言ったマニエリストとでも呼ぶべき一群の作家達に魅入られてしまったのも事実だ。
でもぼくの好みはまずジュリアングラックであり、シオラン、シモンだったはず。記憶が語るビュトール、クロソウスキーの組み合わせはあくまで二番手だった。
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