今日(2020年8月11日)の11時30分付で、朝日新聞社のサイトに「首相主導『看板方式』の限界 戦略空回り、でも責任は?」という記事が掲載されています(https://digital.asahi.com/articles/ASN8956XHN85ULZU022.html)。読んでみると、私が自治総研という雑誌に掲載された何本かの論文で書いてきたことなどと重なるところがありました。
この記事は、「『アベノミクス』を7年掲げても経済の生産性は上がらず、少子化対策を打っても出生率は下がり、地方創生の時代に人口はむしろ首都圏に集中する。安倍政権は、こうした専門家の検証結果をやり過ごし、『次なる成長戦略』『新たな社会像』の名目で、また違う看板を探す。首相主導の『看板方式』は、コロナ禍でも変わらないのか」という文章で始まります。
第二次安倍内閣発足以降、デフレ脱却と経済再生の二つが最大の柱とされているはずで、実際に2019年度まで与党の税制改正大綱にはこの二つが必ず頭に書かれていました。しかし、毎年のように繰り返されるということは、たとえどのような成果があったとしても、デフレ脱却と経済再生という大本は実現していないことを示しています。
また、「三本の矢」などが典型的ですが、あれこれと新しい看板が掛けられ、あるいは看板が取り替えられたりしても、総括らしい総括がなされていないようです。このあたりのことについては、批判的観察力を持った識者から有益な指摘がなされています。今年であればアベノマスク配布が良い例でしょう。5月21日付で掲載した「論拠(根拠)は?」という記事において記したように、アベノマスク配布政策によってマスクの流通が進んで価格も下がったという主張がなされたのですが、根拠が具体的に示されていませんし、仮にその主張の通りであれば4月の段階で、遅くとも5月中旬までの段階にで流通が進んで価格が下がっていたはずです。実際には逆でした。「需要が抑制された」という、5月20日の記者会見で出された発言についても同じことが言えます。記者会見で十分に出せなければ、他の方法で出せばよいだけです。むしろ、インターネットの場であれば積極的に論拠を出せるでしょう。効果的な宣伝にもなります。
今日付の上記記事には「安倍政権の成長戦略は、生産性を高めて高成長を実現することをめざしてきた。大企業だけでなく中小企業や地方も豊かになって、経済の好循環と呼ぶトリクルダウンを実現する。税収が増えて財政状況がよくなれば、さまざまな人を支援できて、格差の是正にもつながる。数々の看板政策も、この高成長、好循環のためのものだった」と書かれています。安倍内閣がトリクルダウンを明言したかどうかには疑問もありますが、実質はこの通りでしょう。税制改正大綱などにも、経済成長あるいは成長戦略なくして財政健全化なし、という表現が繰り返されていました。何よりも経済成長が優先し、それが実現すれば自ずと財政も健全化するとまでは言えなくとも健全化の土台はできる、ということでしょう。
しかし内閣府に設置された「選択する未来2.0」という懇談会が、今年の7月に「経済全体の生産性をあらわす全要素生産性(TFP)」のデータなどから、経済財政諮問会議が毎年発表する通称「骨太の方針」に書かれてきた地域活性化や少子化政策などについて厳しい指摘を行いました。この懇談会のまとめの詳細を読んでみたいものですが、失敗点は何かということなどについての総括はなされているのでしょうか。
また、経済財政諮問会議のあり方そのものも問われるべきでしょう。「大きな政府ほど生産性は悪くなる」という意見が同会議の民間議員から出されたとのことですが、一般的に大きな政府とみられている北欧諸国などのほうが生産性が高いとすると(そのような研究結果などが示されている文献はいくつもあります。たとえば、井手英策教授の近著などをお読みください)、何ら科学的な根拠もない言葉が政策立案の現場などにおいて繰り返されていることとなります。まるでうがい薬騒動と同じです(まあ、血液型占いが信じられている国ですから、科学的根拠のない話のほうが信じられるという状況も理解できます)。今年の骨太の方針においてこれまでの政策について「データに基づく見直しの視点には踏み込まず、少子化対策や一極集中の是正の必要性をまた繰り返す」ということがなされていると、上記記事においても述べられています。経済財政諮問会議が掲げてきた政策の成果と問題点について、同会議はどの程度まで検証したのでしょうか。
そして、上記記事は、最後に次のように述べています。
「首相の『看板方式』は、戦略と実態の乖離(かいり)を直視せず、看板政策を積み重ねることに力点を置く。支持率をあげて、選挙で勝つための手法の一つにも使ってきた。成長戦略を検討する首相主導の会議は複数あり、議論が重複するムダへの指摘もある。実現しなくても責任を問われることは、まずない。」
1930年代から40年代前半の日本と、何処かで共鳴し会うような話です。
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