ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2007年9月4日、日田市を歩く(4)

2014年03月29日 08時50分07秒 | 旅行記

 〔「待合室」に、2007年9月13日(第228回)、2007年9月20日(第229回)、2007年9月27日(第230回)、2007年12月6日(第241回)、2008年1月7日(第246回)、および2008年1月15日(第247回)掲載。2008年10月27日、統合および一部修正の上で、別室13として再掲載。2010年10月17日、別室12へ移行。2010年11月28日掲載終了。〕

 

 (以下は、第241回として2007年12月6日に掲載したもので、一部を修正しました。)

 かつて岩田屋日田店があり、現在はマンションが建っている交差点を左折して北へ進路をとり、久大本線の下を潜り抜けます。すぐに咸宜小学校に出ます。そこに交差点があり、右へ曲がると日田市役所のある田島本町などに出ますが、直進すれば豆田に行けます。そして、その交差点が淡窓町の入口でもあります。

 この町名は、日田市出身の儒学者で咸宜園を開いた広瀬淡窓(1782~1856)に由来します。広瀬淡窓は、大村益次郎(1825~1869)や高野長英(1804~1850)の師でもあった人です。日田市は、旧国名で言えば豊後にありますが、かつて、中心部は天領(江戸幕府の直轄地)でして、九州の金融の中心地ともなったところですので、学問なども相当に発展していたのでしょう。

 日田の淡窓町、豆田と言えば、以前、この「待合室」でも取り上げたことがあります。同じような写真を掲載してしまうのですが、仕方のないところです。上の、「中城町  祗園山鉾」も、以前に取り上げたことがあります。 考えてみると、日田市を訪れるのは4年ぶりだったのですが、淡窓町から豆田までを歩いたのは2002年8月19日以来、およそ5年ぶりのことでした。

 このあたりを歩いていると、私が何処を歩いているのかを厳密に知る必要がない、ということに気付きます。町名標識もそれほど多くありませんし、何処までが淡窓町で何処からが豆田なのか、その境目などが明示されていないからでもありますが、このような感じの通り、建物がしばらく続くからでもあります。

 それにしても、上の写真を見ていて、改めて、道路の幅のことを考えてしまいます。手前のほうは少し広いのですが、奥へ進むと少しばかり狭くなっています。道の左側は真直ぐのようですが、右側が曲がっています。土地の所有権など、様々な問題があるでしょう。近所で道路の幅などについてのトラブルを体験しているだけに、しかも土地の面積が測量屋によって変わることがあるということを知っているだけに、「市などとのトラブルはないのかな?」などと想像してしまいます。

 淡窓町、豆田の通りは、小型車であれば何とか対面通行ができるものの、大型車などでは離合が困難なほどに狭い道路です。ここには大分交通グループのバス路線もあります。通り過ぎるバスを見ると、車種などはわかりませんが路線バスとしては中型くらいのものでした。渋谷あたりで言えば、新橋駅や六本木ヒルズなどへ向かう都営バスの大きさではなく、目黒不動尊経由五反田行の東急バスの大きさくらいでしょうか。そのくらいでないと、この道路を抜けるのは難しいでしょう。さらに適切な大きさはハチ公バスでしょうが、これでは輸送人員が少なすぎます。

 しかし、考えてみると、人が通る道路、とくに商店街であればこの程度でよい訳です。むしろ、淡窓町から豆田にかけては大分県西部きっての観光地でもありますから、曜日などによっては交通規制をしたほうがよいのではないかと思われます。路線バスを通さないわけには行かないので、路線バスと地元の商用車だけは通行を許可する、というようにしたほうが、観光客にとっては安全でしょう。こんな道路でスピードを出されたらたまりません。

 写真館、八百屋のあたりを通ります。奥のほうに大分銀行の支店があります。この街並みに合わせた建物の姿です。マンションなどの高層化に疑念を抱き続けている私としては、街、建物は2階建てか3階建てが最も望ましいと思うのです。圧迫感などがありませんし、日もよくあたりますし、適度に風を通してくれます。西新宿を歩いていると、超高層ビルばかりのために何処から何処へ吹いているのかわからないような強風や突風に悩まされることがあります。傘が風で壊れたこともあります。そして、地震や火事などが生じたらたまらないだろうと思うのです。医学的なことなどはよくわかりませんが、おそらく、超高層ビル、超高層マンションは、人間の精神面、心理面にもかなり悪い影響を及ぼしうるものではないでしょうか。

 上の写真を見る度に、そして、実際に歩く度に、日田市の淡窓街から豆田までの雰囲気は、川崎市高津区の溝口(みぞのくち)から二子(ふたご)までの旧大山街道(とくに、高津交差点から北のほう)と似ています。5年前に歩いた時は、一瞬、私が日田市を歩いているのではなく、川崎に帰って旧大山街道を歩いているかのような錯覚に囚われました。道路の幅は旧大山街道のほうが広いし、自動車や自転車の通行量も旧大山街道のほうが多いですが、建物の外観などが似ているのです。日田市のほうは天領の中心、旧大山街道のほうは宿場町、出自は違いますが、歴史に彩られている点など、共通している部分もあるのです。旧大山街道のほうで残念なのは、高い建築物が増えていることであり、せっかくの風景や景観が台無しになりつつあります。また、旧家の建物なども減ってしまいました。

 豆田上町にたどり着きました。日田市には、駅前など、所々に上の写真のような町名表示(?)があります。

 淡窓町からはのんびりと歩いています。このあたりは盆地ですし、30℃を超える9月上旬なのでかなり暑いはずなのですが、東京に比べればさわやかなものです。汗をかいても、むしろ心地よさを感じます。

斜めから写していますので、何屋さんなのかはわかりません。

 こちらも、建築されてからかなりの年数が経っていると思われる日本建築です。お土産屋さんです。日田に限らず、各地で見られるような造りではあります。そういえば、5年前、このようなお店で古本を買ったことがありましたが、その店がこの通りのどこにあったかはわからないままに終わりました。 それにしても、ゆっくりと歩ける、少しばかり昔に戻ったような雰囲気の街はよいものです。上の写真では、いかにもという感じの旧家があり、隅のほうにコカ・コーラの自動販売機があるという、或る意味で昭和時代の日本らしい、少しばかりの懐かしさを思い出せる風景を捉えたものになりました。


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