小うつな人・ケアマネな人、を応援する日記

小うつな方・ケアマネな方、どっちでもある方のために捧げる、ネタのたわごとです。めざそう癒し人!?

現実療法(5)

2010-03-22 20:55:05 | 思考ツール


前回は、クライアント側に必要な資質について伝えた。

関わりを持とうとする意思の大切さであった。それがあるからセラピーを受けに来ていると思われがちだが、その力を発揮するためにはセラピスト側に「伝える力」がないとならないと考えた。
今回は、セラピストの条件を定義してみる。

セラピストの条件
○ タフで関心が強く
○ 人間的で
○ 感受性豊かな極めて責任ある人間でなければならない。
○ 自分のクライアントに対する苦闘について喜んで討論しなければならない。
○ 自分の振舞い・表現・評価といったものは「たいして重要ではない」とほのめかしてはいけない。
○ 関わり合いを継続できる強さ。
○ 自分の価値をクライアントに吟味してもらう強さ
○ クライアントの強烈な批判に耐える強さ

これらを持たなければならないと思われる。
セラピスト、大変…たぶん、どのカウンセラーも全ては持っていないだろう。
だからこそ、日夜勉強が必要で、全ての体験はセラピストにとって重要なセンテンスとなりうると思われる。

セラピストはどのような誤りや欠陥もクライアントから攻撃される。セラピストは完全ではない。しかし、どんなに大きな努力が必要になっても、「人は責任ある行動が可能なのだ」ということを示してやらなければならない。ご都合主義であってはならない。クライアントの無責任な行動に対して、決して容赦はしないが、それにより苦しむ姿を、ある種、喜んで見守らなければならない。セラピストは責任ある生活を送る力だけではなく、クライアントが無責任さを認めて欲しいという現実に立ち向かうときや、クライアントがいかに苦しんで現実と闘っているときも、その現実を指摘し続ける力を「付け加える」必要がある。

○ 欲求充足ができないために孤立した、または、変則的な特異な状態にある人のことを十分に知り、理解しなければならない。
○ あるがままに受容する。
○ その行動を理解する。
これらの実行には能力が必要である。驚いたり、批判したりしてはならないと考える。

次回は、セラピーの状況において、クライアントの行動を考えてみる。

現実療法(4)

2010-03-19 22:25:25 | 思考ツール
現実療法適用の条件
① 関わりがあること。
② セラピストは非現実的行動を拒みつつ、クライアントを受容し、関わりを維持する。
③ 現実の限界内での欲求充足の、よりよい方法をクライアントに伝えなければならない。

もっとも、困難であるのは①である。非行者や病識のない人には、これが難しい。関わり合いの成立の仕方を理解しようという方法の1つは、クライアントに必要な資質を伝えること。持てば持つほど、十分な関わり合いを発展させることが可能となる。

セラピストの条件
○ タフで関心が強く
○ 人間的で
○ 感受性豊かな極めて責任ある人間でなければならない。
○ 自分のクライアントに対する苦闘について喜んで討論しなければならない。
○ 自分の振舞い・表現・評価といったものは「たいして重要ではない」とほのめかしてはいけない。
○ 関わり合いを継続できる強さ。
○ 自分の価値をクライアントに吟味してもらう強さ
○ クライアントの強烈な批判に耐える強さ

これらを持たなければならない。

どのような誤りや欠陥もクライアントから攻撃される。セラピストは完全ではない。しかし、どんなに大きな努力が必要になっても、「人は責任ある行動が可能なのだということを示してやらなければならない。ご都合主義であってはならない。クライアントの無責任な行動に対して、決して容赦はしないが、それにより苦しむ姿を、喜んで見守らなければならない。セラピストは責任ある生活を送る力だけではなく、クライアントが無責任さを認めて欲しいという現実に立ち向かうときや、クライアントがいかに苦しんで現実に闘っているにせよ、現実を指摘し続ける力を付け加える必要がある。

○ 欲求充足ができないために孤立した、または、変則的な特異な状態にある人のことを十分に知り、理解しなければならない。
○ あるがままに受容する。
○ その行動を理解する。
これらの実行には能力が必要である。驚いたり、批判したりしてはならない。

現実療法(3)

2010-03-19 06:12:54 | 思考ツール
長らく、頓挫していた「現実療法」について再開。

前回は

現実療法の根本について。
○誰かが真にクライアントに関心を持ち
○その人がクライアントのことを気遣ってくれる
○思っていてくれる
○そしてクライアントもその人に関心を持ち
○その人を気遣い
○その人のことを思っている
という関係の構築について伝えた。

今回は「責任」という問題について考えてみたい。

「責任」とは何か?
それは「欲求を充足する能力であり、しかも他人の欲求充足能力を、その人から奪わないような方法で充足する能力」と定義できる。
例えば、一発だけヤリたいオトコが、そのためだけにオンナの心を操り、つけ込む行為(その後オンナは傷心し自殺などしようものなら)は「無責任」と言える。

他人のために、ある行動を遂行する、という時、要求されたことを他人のためにだけでなく、自分のために自己価値の尺度を得ようとして行うこと。
無責任な人は言ったこと・印象・しなければならない努力などが、自分にとって利益になるかどうかによって行為に移したり、移さなかったりする。こういう人は他人の尊敬も自尊心も得られない。それは自らも他人をも苦しめる原因となる。

しかし、責任を身につけることは、生涯にわたる複雑な問題である(私が思うに、これはエリクソンの「発達心理学」にも通じると思う)。生涯にわたり学習されなければならない。ということは、大変困難である。自他共に無責任に行動した結果が、現代の社会となっているような気がする。そして、なぜか、そういう人々が、この国や世界を仕切っているような気がする。
市民がちゃんとしなきゃ、ダメな時代になりましたなぁ。

そこで、こう、定義づけよう。
責任ある人=精神的健康
無責任な人=精神的な病気

と定義する。こうすると、わかりやすいかもしれない。周りを見渡して、自分自身も振り返って、考えてみましょうか。

認定調査後記

2010-03-17 19:59:04 | 日記
ここのところ、認定調査をしている。
認定調査とは、要介護者の要介護度を決めるための1つの調査である。
この調査票と主治医の意見書で、認定審査会にかかって、新しい要介護度が決まる。もちろん、「自立」と判定されることもある。
とはいうものの、認定調査の比率については、高いか低いか…自治体によって体温差があることは以前にも伝えた。

それは今回のテーマではない。
要介護高齢者の血族である家族のことを打ちたい。
簡単に言おう。家族に言いたい。
あなた方の人生には、色々あるだろう。それは誰もがそうなのだ。
その状況において、あなたの大切な、あなたをそこまで育んでくれた、親を、放置するのはやめてもらいたい。
あなた方には責任があり、あなたの親を最期まで面倒をみる根拠とそれだけの愛情があることに気づかないのか。

要介護者の家族関係は、たいていは複雑であることが、最近、分かってきた。

おそらく、要介護者本人の、子どもたちへの育み方に問題があり、それにより、あなた方要介護者が辛い思いをする…という構図が、少なくはないということだ。
もし、適正な子育てが行われていれば、たぶん、あなたがたは要介護者であっても、適切かつ満ち足りた生活ができるであろう。
それをしてこなかったのだから、因果応報といえるかもしれない。

だとしても。
子どもたちに告ぐ。
あなたをそこまで育んだ親に対しての現在の仕打ちに対し、罪の意識を持ちなさい。
本人を含め、あなたがたは、ちゃんとしていない。だから、介護保険などというサービスや、親類に迷惑をかけているのだ。

なぁ、頼むから、自分の親は自分で責任を持とう。
そして、あなたがた一族が、平安で安定した幸福な時間を持つように、日々を過ごしてほしい。

自分の親ぐらい、真摯に関わっても、よいだろう?

私的ブス論

2010-03-16 19:54:17 | 日記
ここのところ、イラつくことが多い。
その1つがブスである。

ブスとは、顔が不細工ということではない。それ以前の問題だ。

こういう出来事があった。
昼食時、お弁当を広げていたアラサー独身女子の会話。
「そのお弁当は誰が作ったの?」
「お母さん。自分で作る気なんてない」(吐き捨てるように)

この会話を聞いた時。
かなり激怒したが、表情にも発言にも表さなかった。

この場合、怒りの原因と、こいつをブスと定義した根拠は2つある。

①作ってくれた母親に対する感謝が全くない。
女子高生なら許そう。20代後半でこの発言。てめぇの人格的要素の欠落・欠陥を吐露したようなものだ。

②自分で作ることができない。
これはつまり「あたしは料理を作ることができない」という宣言である。
ということは結婚した場合、こいつは、だれにメシを作ってもらう気なのだろう?
それとも「結婚したらする」とでもいうのだろうか?
それは無理だ。結婚したらする、ということは永遠にしないことと同義語だ。だいたい日常的に調理をしないヤツが結婚をした瞬間、できるようになるはずはない。または、結婚した相手が、「クッキングパパ」でない限り、食料獲得は難しい。

これにより、こいつをブスと認定した。

もしかすると障がい等により、愛する人に食事を作ることが出来ない人もいるだろう。
その場合、少なくとも「感謝」はあるはずだ。他者に対して。

人という動物の基本として「感謝」と「食い物を獲得する方法」を身につけていないならば、こいつと結婚するオトコは、かなりバカだろう。まぁ、そこまでしても一緒になるっているのならばいいけど。このオンナには、その価値は全く見出せない。

そういう家族が増えているような気がする。
少なくとも、夫婦は、お互いが料理ぐらいできるの能力を保有していない限り、生存は難しいと思う。

あぁ、明日もブスは出勤だよ。なるべく、顔を合わせないようにしようっと。

でもさ、せめて「感謝」はしようよ。お母さん、泣くよ。悲しいよ。