小うつな人・ケアマネな人、を応援する日記

小うつな方・ケアマネな方、どっちでもある方のために捧げる、ネタのたわごとです。めざそう癒し人!?

人はみな1人では…

2010-03-15 21:06:51 | 弱さへの思考
ケアマネジャーなので認定調査員をやっている。区から委託で行っている。
これは、大変重要…というふうに思われるかもしれないが、保険者=市区町村によって、温度差がある。
要介護者の要介護度を決めるのだから、認定調査員の調査報告も重要と考える保険者もあれば、それよりも主治医の意見書の重要度比率が高い市区町村もある。
厚生労働省は「そんなはずはない」というかもしれないが、すまん。本当にそうである。これが、この国の現実である。うそだと思ったら、厚生労働省の皆様、各自治体の介護保険関係所轄を調べて統計を取って欲しい。

それは今回のテーマではない。

本日調査に伺った86歳独居男性高齢者の話である。
彼は某九州地区で生まれ、その後、叔母宅に養子に入り、その後、東京へ出てきて、戦争に行き、帰国後、東京で65年余り生きてきた。結婚もせず、働きずくしで現在に至る。
退職後、彼は3つのことをしたいと考えた。
1つはサッカー。これは、時々、少年少女サッカーの支援をしている。
もう1つは山登り。しかし、これは視力の低下に伴い、行えなくなった。
そして、もう1つは読書。これにより知識を得たいと考えた。
彼は、ほとんど毎日を日曜日のようにして過ごしている。
そして、他者との関わりを極端に避けていることが話からわかった。
そこで、誰かとつながることの大切さについて話をした(これ事態が認定調査員として失格なのだが、流れの都合上そうなった)が、
「コミュニティとか言われすぎていて、興味がない」とのことであった。

ただ単に「偏屈なじじい」で済ませてはいけないような気がした。
それは、人はみな1人では生きていけないものだからという中村雅俊(字あっています?)の歌にあるように、全ては他者とのかかわりが重要であるということなのだが、80歳後半にして、それがいまいち理解されていない。
そういう人がいても致し方ないと思う一方、そういう人にこそ、人々とのふれあいが大切なはずなのだが…と思いつつも、それは、もしかするとこちらの考え方の押し付けであるような気もしてきた。

でも、やっぱり、孤独は大変で、辛い…と思える。
人はみな1人では、生きていけないものだから。