小うつな人・ケアマネな人、を応援する日記

小うつな方・ケアマネな方、どっちでもある方のために捧げる、ネタのたわごとです。めざそう癒し人!?

現実療法(4)

2010-03-19 22:25:25 | 思考ツール
現実療法適用の条件
① 関わりがあること。
② セラピストは非現実的行動を拒みつつ、クライアントを受容し、関わりを維持する。
③ 現実の限界内での欲求充足の、よりよい方法をクライアントに伝えなければならない。

もっとも、困難であるのは①である。非行者や病識のない人には、これが難しい。関わり合いの成立の仕方を理解しようという方法の1つは、クライアントに必要な資質を伝えること。持てば持つほど、十分な関わり合いを発展させることが可能となる。

セラピストの条件
○ タフで関心が強く
○ 人間的で
○ 感受性豊かな極めて責任ある人間でなければならない。
○ 自分のクライアントに対する苦闘について喜んで討論しなければならない。
○ 自分の振舞い・表現・評価といったものは「たいして重要ではない」とほのめかしてはいけない。
○ 関わり合いを継続できる強さ。
○ 自分の価値をクライアントに吟味してもらう強さ
○ クライアントの強烈な批判に耐える強さ

これらを持たなければならない。

どのような誤りや欠陥もクライアントから攻撃される。セラピストは完全ではない。しかし、どんなに大きな努力が必要になっても、「人は責任ある行動が可能なのだということを示してやらなければならない。ご都合主義であってはならない。クライアントの無責任な行動に対して、決して容赦はしないが、それにより苦しむ姿を、喜んで見守らなければならない。セラピストは責任ある生活を送る力だけではなく、クライアントが無責任さを認めて欲しいという現実に立ち向かうときや、クライアントがいかに苦しんで現実に闘っているにせよ、現実を指摘し続ける力を付け加える必要がある。

○ 欲求充足ができないために孤立した、または、変則的な特異な状態にある人のことを十分に知り、理解しなければならない。
○ あるがままに受容する。
○ その行動を理解する。
これらの実行には能力が必要である。驚いたり、批判したりしてはならない。

現実療法(3)

2010-03-19 06:12:54 | 思考ツール
長らく、頓挫していた「現実療法」について再開。

前回は

現実療法の根本について。
○誰かが真にクライアントに関心を持ち
○その人がクライアントのことを気遣ってくれる
○思っていてくれる
○そしてクライアントもその人に関心を持ち
○その人を気遣い
○その人のことを思っている
という関係の構築について伝えた。

今回は「責任」という問題について考えてみたい。

「責任」とは何か?
それは「欲求を充足する能力であり、しかも他人の欲求充足能力を、その人から奪わないような方法で充足する能力」と定義できる。
例えば、一発だけヤリたいオトコが、そのためだけにオンナの心を操り、つけ込む行為(その後オンナは傷心し自殺などしようものなら)は「無責任」と言える。

他人のために、ある行動を遂行する、という時、要求されたことを他人のためにだけでなく、自分のために自己価値の尺度を得ようとして行うこと。
無責任な人は言ったこと・印象・しなければならない努力などが、自分にとって利益になるかどうかによって行為に移したり、移さなかったりする。こういう人は他人の尊敬も自尊心も得られない。それは自らも他人をも苦しめる原因となる。

しかし、責任を身につけることは、生涯にわたる複雑な問題である(私が思うに、これはエリクソンの「発達心理学」にも通じると思う)。生涯にわたり学習されなければならない。ということは、大変困難である。自他共に無責任に行動した結果が、現代の社会となっているような気がする。そして、なぜか、そういう人々が、この国や世界を仕切っているような気がする。
市民がちゃんとしなきゃ、ダメな時代になりましたなぁ。

そこで、こう、定義づけよう。
責任ある人=精神的健康
無責任な人=精神的な病気

と定義する。こうすると、わかりやすいかもしれない。周りを見渡して、自分自身も振り返って、考えてみましょうか。