香港の様子は、ほんと、なんというか嘆かわしいものを見ているという以外の感想はない。
香港警察突入に際しては、火炎瓶を投げ込んでたようで(動画も見た)、こんなことになった。
Protesters set Hong Kong university on FIRE, pelt petrol bombs as riot police block campus (VIDEOS)
https://www.rt.com/news/473677-hong-kong-university-rioters/
で、並み居るお上品なメディアさんは、警官が実弾を使うと警告したということに異常な関心を払っている模様。
香港デモ、大学で激しい衝突 警官隊は実弾使用を警告
BBCニュース-1 時間前
香港警察、大学内デモ参加者への発砲を警告
詳細-ウォール・ストリート・ジャーナル日本版-5 時間前
試しに、こういうことをロンドンとかニューヨークでやらしたらどうなんだろう。こういうのって治安警察にとってはとっても難しい事態。そこで、威嚇せずにどうやって火炎瓶野郎たちを鎮静化できるのか、是非試してもらいたいものだ。
要するに、なんとかして「天安門2」を作ろうとしたんだけど、中国当局は乗ってこなかったという話でしょうね。
で、実働部隊は、韓国、台湾、日本を繋げている地下水脈とでもいうべき世界反共連盟(World Anti-Communist League)の流れの人たちなんじゃなかろうか。
右派人脈とリベラルに垣根はない&反共集団のレゾンデートル
米国務省の繋がりだけが強調されるけど、実働部隊はどこなのかの話がほとんど出回らないけど、多分そうなんだろうと思うけどなぁ。あと、オリジナル「天安門」もこれ系だったんでしょう。だから、石平は日本の一部右派団体に匿われていると考えると無理がない。
このネットワークのレゾンデートルは反共一色なので、中国当局のなんらかの怖い動きを引き出そうと必死だったってところ。
台湾が加勢にまわってるのももちろん同じ機構。というか反共運動の騎手はやっぱり台湾でしょう。
香港デモ、台湾の蔡英文総統が国際社会に呼びかけ「共に立ち上がろう」
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5dccbf96e4b0d43931cf213c
「警察は人々を守るため、政府は人々に奉仕するために存在します。私は国際社会に呼びかけます。一連の弾圧行為に立ち向かい、香港と共に立ち上がり、行動しましょう」という投稿と共に、声明全文を英語と中国語、日本語で掲出している。
声明では、「警察が人々を守らなくなり、政府が人々のためにという考えをやめた時、必ずや人々からの信頼を失うでしょう」と警告し、「北京当局の機嫌を取るために、香港の若者たちを犠牲にするべきではありません」と呼びかけた。
国際社会には、誰だかわからない火炎瓶野郎を応援しないとならない義理はないでしょう。
各国だって、こんなの放置していて自分んちの首都で火炎瓶投げ込まれて、都市部のあちこちをブロックされ、その暴徒が「国際社会のみなさん」とか言って呼びかけると英米の主要紙があたかも正義であるように取り上げる、みたいな話に出来る限り関わりたくないと思う。
結局、双方で話し合えないのか、みたいな話が一切ないのがこれらの暴徒の特長。
どうしてこうなるのか。
それはだって、レゾンデートル(存在理由)が「反共」であれば、ソ連、中国、北朝鮮あたりが一切の前提を排除して悪だからでしょう。
であれば、そこには対話とか理解という契機がなくなるは理の当然。
これこそ問題だと思うなぁ。
で、ウクライナの馬鹿者集団もまったくこれと同じ。
何をどう考えてもおかしいことをしている暴徒が、ロシアが襲ってくる~という言い訳と共に支援を受けたり、儲けたりする。
終いには、米国の国会まで動かす事態となっているのが、要するに現在のトランプ弾劾問題。ほんとーにアホ。
■ MRA
しかしながら、よく考えてみれば、これこそ過去70年ぐらいの「西側」の要諦みたいなもの。
いわゆる冷戦の始まりには複数の経緯があることはあるが、最も大きくなったのは日本とドイツがアメリカのブロックに正式に組み込まれていくことになるタイミングだと思う。
そのころ一般住民をよそに、エリートを集めて、道徳再武装運動なるものが世界集会をしていた。
道徳再武装運動というのは、Moral Re-Armamentの訳でしばしばMRAと呼ばれている。では一体何を武装しようというのかというと、コミュニズムの進展に対し、我々はクリスチャンの道徳によって対抗する、精神を武装せよ、というのをメソジストの牧師ブックマン氏が1920年代に言い出した運動。
だがしかし、
日本のwikiの「日本での展開」によると
1949年(昭和24年)◇片山哲元首相夫妻及び毎日新聞記者、MRA世界大会(スイス・コー)に出席。
1950年(昭和25年)◇中曽根康弘ら国会議員7名・広島市長・長崎市長、石坂泰三・本田親男ら経済人、労働組合代表など72名がMRA国際チームの招待で、スイス・コーを始め独・仏・英を歴訪。吉田茂首相は「1870年日本の代表が西欧に行き、日本の歴史を変えた。今回の日本の代表がコーに行くことによって、新しい日本を築くことになろう」と述べた。
1951年(昭和26年)◇加藤シヅエ参議院議員、戸叶里子衆議院議員、渋沢敬三元蔵相、片岡義信(国鉄)、木村行蔵(国警)、高橋東芝専務、長谷川東芝労組、久保等(全電通)ら、アメリカ・マキノ島でのMRA国際会議に参加。
という具合で、全然宗教にも道徳にも関係ない人たちが集ってる感じですね。
そう。これはまさしく政治的な運動。それも超お金持ちがついているとしか理解できない仕様の運動。
1946年、MRAはスイスのコー (Caux)に遺棄されていたコー・パレス・ホテルを購入、改修した。このホテルは、欧州における各国の和解の中心地となった。ドイツのアデナウアー首相やフランス外相ロベール・シューマンをはじめとして、数多くの人々が集った[10][11]。彼らがブックマンの仲介で和解した結果、欧州石炭鉄鋼共同体が誕生した[12]。
で、ドイツのアデナウアー首相率いるキリスト教民主同盟(CDU)というのはまさしくこのMRAの理念そのものを体現するべく設置された党だっていっていいんじゃなかろうか。
MRAの1950年あたりの世界大会を記した本によれば、アデナウワ―はブックマン博士と懇意だったそうで、MRA運動に感謝感激していた模様。
MRA運動は、コミュニズムに対抗して特に、class struggle(階級闘争)を嫌って、キリスト教を媒介にした調和とか理解があるんだ、みたいなことを言うから、ここから労使協調路線というものが生まれていったんだろうし、そうなら資本家、会社経営者にとっては現実的、世俗的な便益がある。
で、日本の中では、MRAという存在はまったくしっかり認知されてるところでは認知されていたらしい。敵扱いされた共産党だけが言えたってことなんでしょうね。昔の(今のじゃない)共産党のリーダーだった宮本顕治さんの奥さんが1951年に書いたこの文章はかなり正確。青空文庫に入ってるからこの短いが貴重な文章は全文読める。
再武装するのはなにか
――MRAについて――
宮本百合子
https://www.aozora.gr.jp/cards/000311/files/3496_12402.html
けれどもこんにちでは事情がちがっている。共産主義の敵でさえあれば、それが何であろうと歓迎せずにいられなくなっている人々にとって、MRAは国際的な反民主勢力の「教団」となった。ルール地方の有力者、シューマン仏外相、国民党右翼の暗殺団C・C団の指導者陳立夫などの熱烈な支持をうけている。ブックマン博士の「新世界創造の闘争綱領」というものには、「民主主義のためのイデオロギー」として「霊感的民主主義」を必要として「かつて軍隊が闘い得ず、政治家が思いも及ばざるイデオロギーの高度武装をせよ」と宣言している。(ニュー・ウヮールド・ニュース。MRA機関紙)そしてこの道徳高度武装内容をシューマン外相は、はっきり「経済分野にはマーシャル・プラン、政治・軍事の分野には北大西洋条約、この上に精神生活の基礎を与える」ようにといっている。(毎日六・六)
■ アンチ運動の限界
アデナウワ―や日本のお歴々は別に道徳に興味があったわけでなく、資本家、大金持ちがどっちを向いているかを判断すればこっちだろう、という路線を取ったと考える方が妥当だろうとは思う。
が、こういう具合に、そうだコミュニズムこそ悪なのだ、という設計に迂闊に入ることは後々のためには、それってどうなの、と思わざるを得ない。少なくともオールマイティーの解決法ではないんだからどこかで話を整理すべきだったでしょう。それは後付けで言っているのではなくて、当時だって頭があればわかる。
反・コミュニズム運動に共鳴するというのは、構造として、実を言えば、益体もない新興宗教や占い師にくっついていってしまうような話と同類だと思う。
このへんの運動に参加した人は、そもそもコミュニズムとは何を指しているのか、どんなものに抗しているのか知らずに、我々は反対だという立場を取っている人が大半でしょう。
人によってはソ連そのものかもしれず、思想としてのマルクスかもしれず、場合によっては社会思想上の過激派のことだ、かもしれないし、少なからぬドイツ人にとってはあのあたりのユダヤ人のことだとなるかもしれない(ドイツで社会思想が過激化していった時の主要プレーヤーはユダヤ系が多数だから)。
また、ウィロビーのケースで見たように、人によっては20世紀になんなんとする頃に勃興してきた一般人そのもののことかもしれない。「顔のない大衆、下等の人間(underman)」が封建領主のように「立派な」人を下そうとしているという不快感を持つ人たちは何もウィロビーだけではない。
ファシズムとの戦い変じてファシズム内左右となる
つまり、内実が不確かなものを「悪」扱いしている。したがって、各人各様にいい加減なことを言っても、最終結論が反コミュニズムならOKみたいなことになるので、馬鹿を誘発することに繋がる。
また、この時点ではそれがどこまで続くか誰も深く考えていなかったのだろうが、こういう不確かな「アンチ」が続くと、ahistorical(無歴史)的にならざるを得ない。
いずれにしてもなんらかの必要性があって発展してきた社会運動を頭から否定するわけだから、社会の構造を考える際に不都合が当然生じる。
そしてそれが長く続けば、ものの考え方が狭まるのも当然だし、事実を糊塗していくしかなくなるのも当然でしょう。
今のアメリカなどはまさにその代表例ではあるまいか。絶望的なまでのホームレスを生み出し、世界一金持ちな国の中で人々は第三世界的なインフラに住む社会となって久しいが、これを社会的に改善しようと発想することが否定すべき悪の方向の思想と分類されてしまう傾向を強く持ってしまったため、それを有効なプラットフォームに載せることができない。
多分、今後も長くできない。なぜならこの夢のアンチ思想(つまり破壊をゴールとするものの考え方)を長くやりすぎたから。
ということで、現在各地で跋扈しているのは、冷戦体制を維持するために資金投入した、実にまったく創造性もなければ生産性もない、むしろ破壊性だけがある(だってすべてはアンチなんだから) ネットワークなんだろうと思うが、どうするのこれ、といったところ。
でもって、この人たちが1950年あたりのように勝ち抜くことはできないですよ。だって基礎条件が違うんだから。
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