大昔はともかく、現在のIOCというのが腐った組織だというのは結構な数の人が気づいていることではある。
その欧州貴族だか腐ったリンゴだか知らない特殊利権団体が、日本にオリンピックをやらせるとマジになっている様が気持ち悪すぎる。はっきり言って、気が狂ってる。
IOC重鎮委員が独占告白「菅首相が中止を求めても、大会は開催される」
「昨年3月、延期は一度と日本が述べたのだから、延期の選択肢はテーブル上に存在しない。日本国民の多くが開催に否定的な意見であるのは、残念なこと。ゲームを開催しても追加のリスクはないという科学的な証拠があるのに、なぜ彼らはそれを無視して、科学的なことはどうでもいいと言うのか。ただ『嫌だ』と言っているだけではないのか。開催したらきっと成功を喜ぶことだろう」
リスクはない、といったって、病気対応で人的資源が割かれて、混乱しているわけで、日本国民の生活にはリスクはあるでしょう。あんたの事業リスクはしらないが。
で、そこよりも、気持ち悪さの肝はここ。
「安全を考えると、観客を入れるべきでない。保守的可能性だが。ただ、率直に言って、世界の99.5%はテレビや電子プラットフォームで楽しむのだから。会場に観客がいるかどうかは重要ではない。なぜなら、すべてのカメラはアスリートとパフォーマンスに焦点を当てており、観客には焦点を当てていないから。つまり、雰囲気を味わうために生の観客がいるのはいいことだが、必須ではない」
オリンピックのゲームに集う人々を、雰囲気の足しぐらいにして思ってない、と。
基本的に、これって、現在の、コロナを餌にしたstay home運動と同じ発想を感じる。人々が会って、話して、冗談言って、動作をしてその総合として何かをする、ということを異常に嫌ってる人たちがいる。
人が人と会って、なにかこう、いわく言い難いケミストリーが生まれる、みたいなこととか、人と人とが対面してこちょと話す、言語化されないけど意思が通じる、いいアイデアがみんなの中で生まれる、育つ、みたいなことが嫌いなんだろうと思う。
多分、コントロール・フリークの病なのではなかろうか。つまり、人の行動のすべてがデジタル化されたら管理できると思ってる。
で、まぁ、この団体に戻っていえば、観客がオマケなんだし、デジタルでみんなが見ることが素晴らしいというのなら、選手だっていらないじゃん。CGでオリンピック作ればいいじゃん。人がいるから盛り上がる、サッカーでいえば12人目のプレーヤーは観客、といったことが嫌いなんでしょ、だって。
この異常な団体に付き合ってると、何かみんなが異常になりそうだ。この壮大なリスクを避けるためにも、ここまで来たらちゃんと日本国として中止すると宣言すべきだと思う。菅は言うべき。頼りないパフォーマーだが、言え。
それでIOCがお前はもう二度と五輪に呼ばないというのなら、それでいいでしょう。このイカレた団体に食い物にされるより、ずっといい。
ただの民間団体であるIOCが国家主権を超えるとでも思っているのか。首相が中止できるかどうか、やってみせればいい。
— 池田信夫 (@ikedanob) May 26, 2021
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そして、選手だって別に五輪しか競技できないってわけじゃない。
観客と切り離されたただの人形としてしか選手を見てないような団体に奉仕する機会はなくていい。
■ 中止を求める署名
change.orgにこういう署名サイトが立ち上がっていた。
個人的には、そういう問題じゃなくて、IOCを解体しろ運動をしたいぐらいだが、ともあれ、一般受けするものとしていいんじゃないかと思う。