気軽にでっちゃん

誰にでも立ち寄って欲しいので「気軽に」とつけました。でっちゃんと呼んでください。。。

 ●母の本音

2011-08-07 00:49:19 | weblog
先週末は帰省しました。金曜日の夕方の新幹線で、東京には日曜日に戻りました。二か月に一回帰ることにしていますが、大学院があるときはその頻度では帰ることができません。三か月ぶりの帰省でした。

父は股関節の手術から3カ月がたち、杖がなくても歩くことができるようになっていました。

苦しいのはわかっている商売ですが、詳しいことは弟も、父も、母も自分たちからは話しません。僕が貸借対照表と損益計算書を自分で見るまではほんとの実情はわかりません。ふさぎがちの母は資金繰りの厳しさを自分だけが実感しており、父も、学のない弟も、きちんとは意識しようとしません。毎日手を動かしてさえいれば気がまぎれるのでしょう。僕と二人になったとき、涙ぐみながら、「食べられるだけでいい」と母はつぶやきました。

この今日もメールしてみましたが母からは返信がありません。便りがないときは塞いでいるか、怪我をしたか、また身体表現性障害のなにか発作がでたんだろうかと思っています。父から母のことで連絡くれることもありません。そんなときほど、父が僕に連絡してくれればいいのにと思います。それは心配するだろうと僕のことを気遣う母は自分からは連絡しないので、父から連絡くれればいいのにと思うのです。心は気丈でも、身体がついていかないから発作がでるのです。

自分だけぜいたくなお金の使い方をしているのが、やるせない、ままならない、許せない気持ちになります。


お昼に母と話しているときに、僕をどうしても私立に行かせたかったという話をしてくれました。母がどうして僕を私立に行かせたかったのか、その本音を教えてくれました。

参観日で僕の学校に行くのが楽しみで仕方なかったというのです。それは家を出ることができるからです。まだお祖父ちゃんもお祖母ちゃんも元気なことです。つまり母にとっては義父と義母が元気なころでした。母は、商売をしている家を、平日に抜けるということが全くできなかったのです。どこでも商売をしている家に嫁いでいれば、みんなそうだろうと思います。家は商売しているから。常にみんなそんなことを言っていました。

母は家を抜けられることがほんと楽しみで僕の参観日に来ていたと言っていました。嬉しかったです。母のために電車通学をする学校に行くことができていたと知って。
コメント
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