気軽にでっちゃん

誰にでも立ち寄って欲しいので「気軽に」とつけました。でっちゃんと呼んでください。。。

●投資の世界の入口/ニューヨークでのデート

2005-03-27 00:33:32 | 投資の世界の入口
当時、僕は仕事で悩んでいました。いや仕事という領域まで達しているわけではなく、そもそも身分不相応な会社に入ってしまったことに悩んでいました。このままではいられなくなると思い始めていました。これは事実ですが、もう一つは僕自身の性格にも問題があったと思います。のんびりやとか小さいことにこだわらないタフなタイプだったら、そこまで悩まず乗り切っていたんじゃないかとも思います。英語の不安は致命的でしたが、それよりも仲間とのコミュニケーションがうまくありませんでした。ただドライな考え方の人が多かったのも事実ですが、、、なぜ僕は急にニューヨークに行くことになってしまったんだろう?先輩たちにも申し訳なくて話しにくくなっていっていました。人が聞けば、うらやむようなビジネスマンのスタート年のようですが、実際はおちこみっぱなりでノイローゼでした。

このころ仲のいい女性がいました。同じ年でオーちゃんというニックネームで、大学3年(1990年)のときアメリカにホームステイいったのですが、そのグループの中にいた女性でした。のちに僕が会社を辞め、失業していたときも、転職先の小さい規模の証券会社にはいって直通電話のない寮で生活しているときも連絡を同じようにくれていた人でした。彼女は全日空の国際線スチュワーデスとなって上京してきて、留年経験のある僕が四年生のときからしばしば会ったり、よく電話したり、葉書をだしたりするなりました。全日空が東京/パリ便がスタートしたときに乗務していたことを葉書で教えてくれたりしました。そんな彼女がニューヨークにフライトできました。待ち合わせは会社が終了後の僕のマンションのロビー。僕が帰ると先に到着しており、ひかえめな態度だったと思います。晩御飯に行く前に、せっかくだからと部屋を案内しましたが、彼女は部屋のドアがきちっと閉める勇気がなくて、僕もちょっと緊張してしまって、入口ドアは半開きのまま数分部屋で過ごしました。つきあっていたわけではなく、正式には仲のいい友達でした。でも心はすごく近かったです。(続く、、、)
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●投資の世界への入り口/本能剥き出しのお金稼ぎ

2005-03-24 21:52:41 | 投資の世界の入口
あまりに疲れてたんだけど、BANJOで飲もうと思い一人で新宿へ。しかし店は閉まっていました。友人にメールすると来週の金曜が最終ということで、今日はタマタマ閉めてしまったようでした。さみしいです。それと小悪魔で有名な蝶々さんという女性作家の日記が久々に更新されましたが、でっちゃんのこと触れてくれています。。。。嬉しいです。
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さて債券のトレーディングルームっていうのは、ほんと迫力があります。日本でも国債ってあるでしょ。政府が借金している証書なんだけど、これって売ったり買ったりされてるんですよ。満期には元本で返ってくるんだけど、途中は上がったり下がったりします。取引される金額ってすごく大きいんです。個人が買うお金だと100万円とか、大金持ちでも1億円とかでしょ。でも大きな金融機関は一取引で1000億円くらい売ったり買ったりもするんですよ。証券会社で、会社の資金で債券を売ったり買ったりしている人をトレーダーって言います。すごくタフな奴らしかできないです。すごいスピードで、大声で、値段も常に動いているので、ほんと職人なんですよ。このオフィスのトレーディングフロアは体育館くらいの広さで、米国債担当は2年、3年、5年、7年、10年、30年とか分かれています。またお客さんの注文と市場の値段をうまく鞘をとる担当者と、完全に会社のお金で買ったり売ったりする担当者が分かれています。フロアの地区ごとの営業担当者から内線電話がひっきりなし、シカゴやほかの支店からの電話もひっきりなしでした。債券は国債だけじゃなく、会社が発行しているもの(社債)、不動産の抵当権を担保に発行したもの(モーゲージ債券)とか、外国のものとかいろいろあります。
 非情な光景を見ました。営業マンが注文内容を間違えて会社またはトレーディング担当者が大損をしたんだと思います。トレーディング担当者と思しき人が営業マンに「馬鹿馬鹿、、、」という感じの罵声を連呼していました。これって普通の光景、いや普通ではないにしても、こういう人たちは本能剥き出しで叫びながら仕事してる人も多いので、特別なことではないようでした。
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●投資の世界の入口/トレーニングプログラムの内容

2005-03-23 23:45:34 | 投資の世界の入口
沖縄・福岡・山口県と出張行って来ました。「世界文学を読みほどく」少し進みました。「異端」という言葉が出てきました。忘れていた言葉でした。「異端」を受け入れられる人、「異端」として生きられる自由な人も好きです。好き嫌いは別として、福岡・久留米はホリエモンでわいており、孫さんもホリエモンも久留米大附設高校出身だそうです。
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トレーニングプログラムはまじめな授業がたくさんありました。数学の勉強といった感じでした。今考えると大学卒業したばかりでよく頑張ったなあと思います。ほんとのエリートさんは、こういった連中のなかでも生き抜いて競争に勝つんだろうけど、でっちゃんはその領域の人ではありませんでした。お腹が大きな女性も講師として登場しました。当時の日本では考えられないことでした。パソコンも90年代初頭でサンマイクロシステム社のソフトで、エクセル画面がいくつも同時に表示できるようになっており、マウスも使っていたし、ビックリ仰天でした。ある講義のなかで、キャピタルマーケッツ部門の説明がありました。私は隣に座っていた女性に「投資銀行部門とキャピタルマーケッツ部門は何が違うのかな?」と尋ねると、彼女は「質問すべきよ?」と促してくれるのですが、英語ができないでっちゃんは遠慮してしまいました。そのとき彼女は冷たい表情をしたように思います。わからないことは積極的に質問するのが当然で、それをニヤニヤ笑って躊躇した日本人をちょっと軽蔑したような風でした。
 あしたはトレーディングの風景について話したいと思います。すごく迫力がありました。書くうちに、いろいろなことが思い出されてきます。ほんと貴重な体験でした。。。
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●投資の世界の入口/仲間たちの素顔

2005-03-21 19:16:16 | 投資の世界の入口
 初めての出社の日です。まず受け付けのシステムがよくわかりませんでした。Park Avenue Plazaというビルだったと思います。今でこそ日本でもIDカードの提示はありますが、当時は日本では珍しく、ビルに入るために必要というのはやっかいでした。日本での社員証カードというのを提示しましたが、最初はことわられました。どのように許可もらったか今では覚えていませんが、苦労しながら入りました。
 全米各地から集まった精鋭、イギリスやプエルトリコや香港からも来ていました。カリフォルニア出身で海軍にいたという変り種もいました。彼との握手について記憶があります。実際には握手はしなかったのですが。彼が右手を差し出し、僕は差し出す前の右手のひらをズボンで拭いて差し出そうとしました。なぜか彼は僕が手を差し出す前に手を引っ込めてしまいました。これってエチケットなのか?僕は一旦、手を引っ込めようとしたと思われたのでしょう。別の人に、握手の前に手を拭いちゃダメだよって言われた記憶もあります。
 システム(今で言うIT)には大学の新卒者もたくさんいましたが、僕の仕事は業界で言うとことのフロントでして、まあ言うなれば本業の最前線に立つ営業部門といった感じの部門でして、こちらには新卒者はほとんどいません。すごく気後れしました。ほとんどの人がMBAを持っていて、さらに会社で務めた経験もあるおいうのが大半でした。MBAもコロンビア、シカゴ、ハーバードとかいわゆるエリートがたくさんいました。カルチャーショックだったのは、会食のとき隣の席の人に質問され、僕は新卒で社会人経験ないよといったふうなことを言うと、質問した彼は僕に興味がなくなったというか冷たくなったような気がします。いろいろなことがアピールできてバックグラウンドを持つ人が好まれるんだな~と実感しました。
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三連休は久々に自分の時間を過ごせました。土曜日はジャズダンス、北千住のキャバレー・ハリウッド、本日の月曜は千葉の鳳琳カントリークラブというところでゴルフでした。俳優の美木良介さんがいました。
 
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●投資の世界への入り口/1992年マンハッタンへ2 (夏目漱石な気分に)

2005-03-20 22:14:14 | 投資の世界の入口
到着したのはアッパーイーストにある高級長期滞在型ホテル兼マンションでした。入り口にはユダヤ人のおじさんがベルボーイのように待ち構えていました。コンシエジュの人に片言英語で話しましたが、なんせ嫌な顔をされているように感じられて緊張モードでした。僕の部屋は、このマンションのなかでは一番安い部屋じゃないかなと思う部屋でした。それでも三つ部屋があって、テレビが二つ、キッチンと大きな冷蔵庫、キングサイズのベッドと、こんなところに住まわせてもらっていいのかなという気分だったことを、今綴りながら思い出しています。

近くには、エンポリウムという高級スーパーマーケット、個人経営のコリアン・デリ、日本食の丼やさん(9年後訪れたらスターバックスになっていました。)がありました。それと近所の住宅の地下にハンバーガーやさんがありました。これがすごくおいしいところで、地元のの近所の人しかしらないような小さなお店だったのですが、今でもあるのでしょうか???名前もわかりません。
何もかもが新鮮でした。不安でした。緊張しました。マイノリティーを意識しました。これからアメリカではなくて、マンハッタンというこの国の中でも特殊なドライなビジネスの街を二ヵ月半体験することになります。 夏目漱石状態になり、現実逃避のために睡眠をとろうとする日々でした。
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●投資の世界への入り口/1992年マンハッタンへ

2005-03-20 11:38:59 | 投資の世界の入口
そんなわけで、投資の世界の入り口に入ったでっちゃんですが、一年目の夏に突如アメリカに一人で研修に二ヵ月半行ってくるようにとの命令がでました。これってあの「ライアーズポーカー」で紹介されていた新人研修でソロモンブラザースでも毎年、日本から数名だけ参加しているプログラムなんだなぁ~と思いました。英語もできないのに、それに飛行機だったツアーでなく一人で乗るのは初めてです。ニューヨークは一度行ったことがあったのですが不安で不安で仕方ありませんでした。でも二ヵ月半あれば英語も話せるようになるとの希望ももっていました。僕の上司は日系アメリカ人で敬虔なクリスチャンの人だったんですが、当時、僕は彼とコミュニケーションをうまくとれず悩んでいました。けれども今でも付き合いのある人で縁を感じています。六本木の飯倉片町近辺の鉄板焼き屋さんPanicCafeによく一緒に食べに行きます。

飛行機は非常に身分不相応にユナテッド航空のビジネスクラスでした。今考えるとビジネスクラスをもっと有意義に楽しめばよかったのですが、何せ英語もできない田舎もんが一人ですので萎縮していました。記憶しているところでは、JFK空港からマンハッタンの長期滞在型高級ホテルへは黄色のタクシーで行きました。これもそう簡単なものではありません。当時はアメリカは不況ですので治安の悪い国というイメージがあり、タクシーも怖いと思っていました。乗ってからも本当に目的地まで連れて行ってくれるのかどうか心配で不安でびくびくしていました。  (続く、、、、)
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●米国大手証券/敵対的M&Aにあこがれて--「投資の世界」のきっかけ

2005-03-20 01:11:40 | 投資の世界の入口
ちまたではホリエモンのおかげで、敵対的M&AやLBOという言葉が脚光を浴びています。でっちゃんは、投資の世界の営業の人なのですが、そもそもこの世界に入るきっかけについて話したいと思います。

 学生時代、出雲市長の岩国さんという人がNHKで紹介されていました。メリルリンチ証券の日本の会長から故郷の出雲市長さんに立候補、当選した人でした。この話に非常に興味を持ち、さらに大学のゼミの先輩がメリルリンチ証券に入社内定したということで、外資系の証券会社ってどんなところなのかと調べ始めました。アメリカの証券会社は、個人向けの商売をしていないところも多く(メリルリンチさんはアメリカ最大の個人向けの証券業務もやっています。)、投資銀行と呼ばれています。確か「投資銀行業務のすべて」という本を見つけ、勉強しました。野村証券さんが提携していたことがあるワッサースタインペレラという企業買収(M&A)専門の会社を興した、ブルース・ワッサースタインさんとジョセフ・ペレラさんの話が出ていました。それぞれアメリカの代表的な投資銀行であるモルガンスタンレーとファースト・ボストン(現在はスイス資本に買収され、クレディスイス・ファーストボストンになっています)の人でした。ここで敵対的M&AやLBOという特殊な手法の企業買収の手法が紹介されていました。
 さらに映画「ウォール街」では、ジャンクボンドの帝王という異名の持ち主マイケルミルケンさんが逮捕されたインサイダー取引も映画化されたいたこともあり、ますます興味津々となりました。マイケル・ミルケンさんは天才的な商売勘のある人だったそうです。このマイケル・ミルケンさんと一緒に働いていたことのある方と一緒に仕事したことがあります。さらにさらに、「ライヤーズ・ポーカー」というベストセラーで書かれたソロモン・ブラザースの話が面白くて仕方ありませんでした。ソロモンはシティバンクに買収されて今はありません。会長のジョン・グッドフレンドさんを悪ダマ扱いしていたような気がします。1998年にロシアで通貨がものすごく暴落したことで倒産に追いやられた最先端のヘッジファンド会社を運営していたメリウエザーさんもソロモンにいました。メリルリンチ、モルガンスタンレー、ファーストボストン、ソロモンブラザース、それにゴールドマンサックスと堀エモン騒動となったリーマンブラザースを併せた六社が米国の大手証券会社でスペシャルブラケットと呼んでいたそうです。このての話は知っている人は意外と少ないと思います。

M&Aを行う仕事のことを特に投資銀行業務と言い、業務に携わる人々をインベストメントバンカーと呼ぶのでした。これらの会社は株式売買や債券売買も行いますが、こちらの仕事は投資銀行業務とは厳密には呼ばないと思います。この仕事にあこがれたのですが、当時は日本ではビジネスも多くはなく、採用される人も超エリートの新卒だけだったと思います。違う業務から紆余曲折、失業なども経て今は投資の世界の営業をしています。
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