NHKの「試してガッテン」で、
高所恐怖症の話がとりあげられた。
番組によると、高所恐怖症のひとが
まさに高所で恐がっている時の心理状態というのは
「恐い」→「大丈夫、恐くない」→「大丈夫なら
証拠がほしい」→「大丈夫かどうかはともかく
いずれにしても恐怖を意識している自分がいる」
(=抑制に関する「逆説効果」??)→
→「やっぱり自分は恐いんだ!」(=フィードバック)
――という感じの堂々巡りになっているらしい。
なぜこの話が印象に残っているのかというと、
それはこの話の直後の山瀬まみさんの言葉に由来する:
(曖昧な記憶で悪いけど――)
「言っちゃあいけないと言われると余計に
言いたくなるのはよくある話だけど、それは、
いけないと抑制しすぎて、かえって言うことを
意識してしまうからなんですね!」
――以前私は、
オルペウスが「見てはいけない」と言われたのに
死んだ妻を見てしまった謎に挑む考察を
HPにUPした。
私はその謎の根源を一定の信頼関係がうむ
「馴れ合い」によるものだと考えたが、
今日紹介された心理学をもとに再び考えてみると、
その謎は「抑制に関する逆説効果」に由来すると
考えられることになる。
つまり、
冥界から地上に戻るときのオルペウスの心理状態は
「見たい」→「見てはいけない」→「自分の妻なのに
なぜ見てはいけないのか、理由が知りたい」→
→「理由はともかく、いずれにしても見ることを
意識している自分がいる」→「やっぱり見たいんだ!」
・・・となっている可能性もあるのだ。
「馴れ合い」というのは、もしかすると
「見てはいけないという理由を知りたい」と感じる
根拠にはなるかもしれない。
しかしそれでも、
この「抑制に関する逆説効果」説は、
オルペウスに関する謎を「馴れ合い」説よりも
さらに根本的に説明を可能にするものである。
私はいつも、ついつい視野を狭めてしまう。
たとえ今日の番組を見ていなくても、
HPに載せる際にもう少し視野を広げていれば
(具体的には、「王様の耳はロバの耳」も
禁忌の伝説であることを思い出すことができれば)、
「馴れ合い」説が根本的な説明にはならないと
気づくことができたはずなのだ。
なぜなら、王様の耳の秘密を守れなかった召使と
王様との間に、一定の信頼関係があったとは
言い切れないからである。
(ちなみに、この王様とはギリシャ神話の
テッサリア王ミダスのことである)。
同番組では「怒り」がテーマになったときにも
ハッとさせられることがあったから、
心理学も学んでみると
少しは視野が広がるのだろうか。
高所恐怖症の話がとりあげられた。
番組によると、高所恐怖症のひとが
まさに高所で恐がっている時の心理状態というのは
「恐い」→「大丈夫、恐くない」→「大丈夫なら
証拠がほしい」→「大丈夫かどうかはともかく
いずれにしても恐怖を意識している自分がいる」
(=抑制に関する「逆説効果」??)→
→「やっぱり自分は恐いんだ!」(=フィードバック)
――という感じの堂々巡りになっているらしい。
なぜこの話が印象に残っているのかというと、
それはこの話の直後の山瀬まみさんの言葉に由来する:
(曖昧な記憶で悪いけど――)
「言っちゃあいけないと言われると余計に
言いたくなるのはよくある話だけど、それは、
いけないと抑制しすぎて、かえって言うことを
意識してしまうからなんですね!」
――以前私は、
オルペウスが「見てはいけない」と言われたのに
死んだ妻を見てしまった謎に挑む考察を
HPにUPした。
私はその謎の根源を一定の信頼関係がうむ
「馴れ合い」によるものだと考えたが、
今日紹介された心理学をもとに再び考えてみると、
その謎は「抑制に関する逆説効果」に由来すると
考えられることになる。
つまり、
冥界から地上に戻るときのオルペウスの心理状態は
「見たい」→「見てはいけない」→「自分の妻なのに
なぜ見てはいけないのか、理由が知りたい」→
→「理由はともかく、いずれにしても見ることを
意識している自分がいる」→「やっぱり見たいんだ!」
・・・となっている可能性もあるのだ。
「馴れ合い」というのは、もしかすると
「見てはいけないという理由を知りたい」と感じる
根拠にはなるかもしれない。
しかしそれでも、
この「抑制に関する逆説効果」説は、
オルペウスに関する謎を「馴れ合い」説よりも
さらに根本的に説明を可能にするものである。
私はいつも、ついつい視野を狭めてしまう。
たとえ今日の番組を見ていなくても、
HPに載せる際にもう少し視野を広げていれば
(具体的には、「王様の耳はロバの耳」も
禁忌の伝説であることを思い出すことができれば)、
「馴れ合い」説が根本的な説明にはならないと
気づくことができたはずなのだ。
なぜなら、王様の耳の秘密を守れなかった召使と
王様との間に、一定の信頼関係があったとは
言い切れないからである。
(ちなみに、この王様とはギリシャ神話の
テッサリア王ミダスのことである)。
同番組では「怒り」がテーマになったときにも
ハッとさせられることがあったから、
心理学も学んでみると
少しは視野が広がるのだろうか。