歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

よいお年をお過ごしください

2017年12月31日 | 日記
幻というよりは夢、

そんな感じ。

私はずっと夢の中にいるような気分でいるのだと思う。

トランプ大統領のうさんくさい金髪、

大学時代の親友の結婚式、

芸能人のゴシップ、

池田学の『誕生』、

奈良の展覧会、

北朝鮮のミサイル、

ブレードランナー2049、

立川談春の九州吹き戻し、

池の上でのヨガ、

日本相撲協会のいざこざ、

伊藤計劃の『虐殺器官』と『ハーモニー』、

よく夢に現れるソクラテス、

自分の結婚、

出会った人たちの顔。

支離滅裂な世界の断面が無作為に入れ替わる様をしばらく眺めてから、

ついさきほど夢ではないことを一応思い出した。

これは現実なのだ。

しかしもう現実と夢の境目を追いかけるのはやめようと思う。

はっきりさせようとすればするほど輪郭がぼやけるのはしょうがないことなのだ。

「現実」というものが必ずしも実感として何らかの手触りを残すものだとは限らない。

なぜか実感こそが一番大事なのだと思い込んでいたが、それはなんでだっけ。

部屋の隅にたまった埃をふーっと吹いて飛ばせば、一瞬消えてなくなったような気分になる。

あるはずなのに目に見えない埃のように、ここにある。

それは夢というよりうつつだ。



さよなら2017、かかってきやがれ2018。


渾身の夕焼け写真。
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スーダララッタ

2017年12月28日 | 空想日記
他人と比較して得られる幸福には限りがあるのに、

他人と比較して陥る不幸には際限がない。

なんてこった。

これでは一時的な天井付きの幸福を得るために背負うリスクがあまりにも大きくて割に合わない。

せめて請け負うリスクと同量の幸福を望めるようそこら辺バランスを図ってもらわねば到底納得などできない。

しかしそんな面倒な仕事を引き受けてくれる機関は今の所ないし、今後もきっと現れないでしょう。

だから他人と比較するのはもうやめよう。

それが精神の安寧を保つための最も合理的な策だ。

そんなことはわかっている。

そう、わかってる。

でもね、

わかっちゃいるけどやめられねぇ〜

ア ホレ スイスイスーダララッタ〜

スラスラ スイスイスイ



人間はなんて不合理にできているのでしょう。

でもこの性質もきっと進化の過程で人間が獲得してきた生きる術の一つ。

チーターの足が速いのと同じように、

コブラが毒を持つのと同じように、

キリンの首が長いのと同じように、

人間の心は不合理にできている。

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玉置浩二という日本の宝

2017年12月10日 | 音楽
音楽が好きでよくライブを観に行く。

今まで観てきた多くのアーティストの中で明確に1番だった人がいる。

それが玉置浩二だ。

何が一番かと聞かれるとよく分からないが、とにかく一番だった。

観に行ったのは好きなアーティストが多数参加するギターフェスで、

玉置浩二に対しては好奇心が少しある程度だった。



彼は最後から2番目に登場した。

オーラというものを彼ほどひしひし感じたのは初めてだったような気がする。

今までワイドショーのイメージが強すぎて靄がかっていた偶像が実像となって目の前に現れた。

魔法使いみたいな黄色い服を身に纏いいかにも変な人という感じだったが、

遠くからでもその寛容さというか懐の広さが目に見えるようだった。



彼は5曲ほど歌ったが、それはそれは不思議な体験だった。

歌いはじめたかと思ったら一瞬で終わってしまったのだ。

今まで観てきた多くのアーティストとは次元が違う。

音楽家として立っている世界が違いすぎるように感じた。

努力でどうにかなる問題ではない、天賦の才。

生で聞くことに彼ほど意味をもたらしてくれた人は他にいない。

そこにいて今歌っているという実感を誰よりも与えてくれる。

歌声が聞いている人の魂にダイレクトに届くのだ。

そして会場にいる全ての人が同じように感じていた、そう確信している。

そこには「今」しかないのだ。



うまく説明できないけど、確実なのはその一瞬が凄まじく幸福だったということか。

その時の音源があるので載せておく。





あとオススメの動画。

アカペラのMr.Lonely


彼の歌を母国語で聞けるというだけで、日本人に生まれてよかったと思う。

今年は玉置浩二にとってもソロ30周年の節目の年でたくさんライブをしていたけど、

チケットがすぐに売り切れてしまうのだからやりきれない。

来年こそは観に行きたいな。
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時間割表

2017年12月09日 | 空想日記
子どもの頃に感じたことや考えていたことを正確に思い出すことは難しい。

だからどのような精神的作用が働いて私の夢に頻繁に「時間割表」が登場するのかは分からない。

時系列で考えれば大学や高校時代の記憶の方が印象が強そうだが、

私の夢に現れる「時間割表」は大抵黒板の横に大きく貼られた小学生時代のもの。

そしてそれはいつも私に焦燥や恐怖というネガティブな感情を与える。

視覚的な印象としては漫画でよく使われる集中線の中心に時間割表が座を構えていて、

「ドーン!!」といういかにもジョジョ的なオノマトペが張られていそうな感じだ。

またかと思う間もなく続けざまにそれはドーン!ドーン!ドーン!と私の方へ迫ってくる。

目が覚めた時に「はっ夢か!」と安堵するのだが、いったい私は何に安堵しているのだろうか。

感覚だけが残っている。

小学校を卒業してもう17年経つというのに未だに私の意識に深く刻み込まれた「時間割表」、

いったい何だというのか。



前にも書いたが、よく見る夢の中に体操着を忘れるというものがある。

その場合もほとんどセットで時間割表が登場する。

単純に考えれば忘れることに対して並々ならぬ恐怖心を抱いていて、

その象徴的存在として時間割表があるというふうにも解釈できる。

しかし忘れることそれ自体が恐れるに値する事態と考えるのは少々無理がある。

時間割表が「忘れること」の象徴的存在なのは間違いないとして、

「忘れること」がもっと根源的な心の作用をあらわしているとしたらそれはなんだろう。



現時点で考えられる一番の可能性はある種の「強迫観念」だ。

[強迫観念(obsessional idea)]
無意味と思われ,その不合理性を本人は意識しているが,自己の意志に無関係に絶えず頭に浮かび,除去しようとしても取り除けない状態をいう。多くは不安感を伴い,自覚的にも病的と感じられる。正常者にもみられるが,それが精神的活動を束縛し,日常生活を妨げる点に異常性がある。観念の内容によって,自分の行動に落ち度がなかったかどうか気になる疑惑癖,物事の疑問を解かないと気がすまない詮索癖,質問癖などがある。
ーブリタニカ国際大百科事典より

私の場合は「〇〇なければならない」というように無意識的に自分を追い込む癖がある。

言葉では強迫観念が幻想であるということを理解できるのだが、意識レベルまではコントロールできない。

言い方が堅いので深刻に聞こえるかもしれないが、ほとんどの人が些細な癖を持っているのと同程度の話だ。

例えばちゃんと育てなければという気持ちが重荷になるから育成ゲームができなかったり、

必要以上に時間に余裕を持って行動して一日を無駄にしたり、

気づけばショートカットできる道を道路標識に忠実に従って遠回りしたりね。

表出しているのが単にそういう部分なだけで、なんだかよく分からないものが差し迫ってくるイメージは明確に持っている。

そしてそれらを過剰に恐れているということも自覚している。

精神衛生面をふまえ表面的にその恐怖に「嘘っぱち」ラベルを貼って気持ちを切り替えることは簡単だし実際にそうしている。

しかし意識の中からその得体の知れない強迫観念あるいは脅迫観念をきれいさっぱり消し去ることはできないのだ。

結果的に覚醒時間(睡眠時間の反対として)に抑えられたひとつの感情が夢の中に「時間割表」という形で居場所を見いだしているのかもしれない。



何事も大げさに書く癖がある。

というかこれはどうでもいいようなことを分析したつもりで小難しく書く遊びだ。

毎度このような戯れ言に付き合っていただきありがとうございます。


思い立って家にある物でドールハウスを作ってみた。
ドールハウスというよりドールルーム。
額にメビウスの絵を入れたところとベッドの柵を爪楊枝で作ったところが拘りポイント。
まだ制作途中で、これから本棚と照明を付け足す予定だ。
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レ・ミゼラブルーLes Miserables

2017年12月07日 | 映画
民衆の歌ーDo you hear the people sing? - Les Miserables


『レ・ミゼラブル』
監督:トム・フーパー
脚本:ウィリアム・ニコルソン
   アラン・ブーブリル
   クロード=ミシェル・シェーンベルク
   ハーバート・クレッツマー
原作:小説 ヴィクトル・ユゴー
   ミュージカル アラン・ブーブリル、クロード=ミシェル・シェーンベルク
音楽:クロード=ミシェル・シェーンベルク
主演:ヒュー・ジャックマン、ラッセル・クロウ、アン・ハサウェイ
国:イギリス
公開:2012年



ミュージカル映画はあまり得意ではない。

ヒュー・ジャックマンに対しても苦手意識があり今まで彼の映画はできるだけ避けてきた。

今回痛感したのは固定概念のせいで多くを損しているということだ。

舞台のミュージカルもミュージカル映画もほとんど観ないので、この映画が何度も演じられてきた名作『レ・ミゼラブル』の中でどれほどのものかは分からない。

ただ対私のみのシンプルな世界でこの映画は非常に印象深いものだった。



観ようと思ったきっかけは劇中歌「民衆の歌」の日本語の歌詞が好きだったからだ。

初めて聞いたのは偶然で、その時深いところで私の琴線にふれた。

曲の背景も知らぬまま最初のフレーズにズドーンと打ち抜かれたのだ。

「戦う者の歌が聴こえるか」

毎度だが、言葉の持つ威力に心を打たれる。

きっと英語歌詞で聞いていたらそれほど引っかからなかったと思う。

ミュージカルの世界では言わずと知れた名曲らしく、なぜか横浜Fマリノスの入場曲にもなっているのだとか。

私はこの曲がどんな局面で歌われるのかということだけを知りたくて2時間半ある、しかも苦手なミュージカル映画を観た訳だ。



今までなぜわざわざミュージカルにするのだろうという疑問があった。

しかし今回歌うことで作中に膨大なエネルギーが渦巻く様を体感した気がする。

生でないのに演者のパワーがピリピリ伝わってくる。

一番凄かったのはアン・ハサウェイの「I Dreamed a Dream」だ。

まるで命を削って歌っているかのような迫力で、感情が揺さぶられる。

この曲に出会えただけでこの映画を観た価値があると確信できる名演だ。





キリスト教徒であればこの物語をより深いところで理解できるのかもしれない。

往々にして宗教意識の低い日本人にとって宗教と人との深いつながりを心から理解することは難しい。

節操のない神頼みでは到底分からない、信じるのは唯一無二の神様だ。

その節操のなさがときに愛らしかったりするんだけどね。

神様への深い感情は想像するしかないが、分からないなりに面白かった。

あとフランスが舞台なのに英語というポップさはあるが、ミュージカルという時点でリアリティより芸術的側面を重視すればそれもありだと思った。



「民衆の歌ーDo you hear the people sing? 」はこの作品のテーマ曲のようだった。

フランス革命から数十年が経ち民衆が大政の下に虐げられ貧困に苦しむ時代、

かつて革命のために戦った者は今やパンのために戦っている。

そんな時「民衆の歌」が彼らを勇気づけ、立ち上がらせるのだ。

最後はなんか凄かったな。



戦う者の歌が聴こえるか
鼓動があのドラムと響き合えば

新たに熱い命が始まる
明日が来たとき そうさ明日が



そういえばジェラルド・バトラーがファントムを演じた2004年の『オペラ座の怪人』はなんか好きだったな。

少しミュージカルにはまりそうな予感。
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