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歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

瞼の裏の丘

2017年12月06日 | 空想日記
寝ようと思って布団に入る。

電気を消し目を閉じる。

眼球が右往左往して瞼がぴくぴくしているのがわかる。

ごそごそと何度も何度も寝返りを打つ。

体の位置が定まらない。

手が違和感を覚え、足が痛い。

横になってみたり仰向けになってみたりして呼吸を意識する。

鼻が詰まっていて息がし辛い。

交感神経との折り合いがうまくいかない。

寝たい寝たいと強く思えば思うほど眠気が遠ざかっていく。

寝るのってこんなに大変だっけ?



仰向けで目を開く。

最初は真っ暗で何も見えないが、時間が経つとうっすら天井が見えてくる。

目を開けたままぼーっとする。

思考の川から何かを救い上げるでもなくただ眺める。

しばらくすると視界がぼやぼやして目を開けているのか閉じているのか分からなくなる。

それでもまだ寝ていないという意識はある。



また目を閉じる。

脳、頭蓋骨、額、眉毛、目、鼻、口、頬、耳の力を抜く。

そこではじめて顔の細部にいたるまで力んでいたことに気づく。

外側へ広がって行く瞼の裏の世界。

暗いはずなのに白い光が満ちていく。

そこに最初はうっすら、そしてだんだんはっきりと丘が見えてくる。

真緑の雑草に覆われた海の見える小高い丘。

そよそよと風が吹いている。

たまに現れるそこはいったいどこなのだろう。

その景色が見えれば大抵そのあとの記憶はない。


熊本城の近くにあるクスノキ

Aマッソ

2017年12月06日 | 日記
冬はお笑いの季節だ。

お笑いと総じて言うが、私が好きなのは漫才やコントだ。

M1でラストイヤーのとろサーモンが優勝したのはつい先日のこと。

これから年末年始にかけて漫才やコントを見る機会が増える。

これは私にとってとても嬉しいことである。



丁度去年の今頃も若手女芸人「Aマッソ」について書いたと思う。

彼女たちの特異性に魅了され「これが売れない訳がない」と確信したのもその時だ。

どんどん角がとれ丸くなっていくバラエティ番組の枠にすっぽり収まる仲良し芸人に胸焼けするときがある。

いや芸人というよりは誰も傷つかない空気を重んじる視聴者や企業のコンプライアンスに対してか。

だからとんでもないことを口にしてスタジオを凍らせる爆笑問題の太田光が好きなのだ。

そういう意味では今年のM1のマヂカルラブリーは面白かった、もともとファンだけどね。



Aマッソの刺々しさは今のお笑い界では絶滅危惧種だと思う。

辛口芸人とか辛口コメンテーターという肩書きを持つ人たちがいるが、

その人たちはちゃんと空気を読んでいるから安心して見ていられる。

しかしAマッソ、特に加納の口の悪さはそこにある調和を乱す可能性がある。

頭がいいから言葉が強いのだと思う。

相方の村上も村上でヤヴァイ人だから面白い。

2017年は少しずつテレビやラジオ露出も増えてきてできるだけチェックしているが他の出演者や観覧者が引いてるときがある。

私なんかは、そのままぶっ壊したれと思うわけだ。

同世代の女がガツガツ人に食って掛かっている姿を見るとなんだか凄く元気が出る。

私変かな?

Aマッソは次世代のヒーロー。



ただAマッソのネタが広く一般受けしないのも分かる。

彼女たちの漫才やコントを理解するにはある程度の知識量が求められるからだ。

子どもからすると全く意味が分からないだろうし、年配の人からすれば口の悪さが心臓に悪そうだ。

しかし逆に言えば、使うことのない感性を溜め込んでいる人からすれば最高の発散場所になる。

下手したら「自分のつぼを表現してくれるのはAマッソしかいない」くらいのファンもいるかもしれない。



今年のM1の敗者復活戦でも全く客に媚びないわかりにくいネタをしていた。

会場はあまり受けていなかったけれど、個人的にはとても面白かった。

あ、でも他に面白いと思ったランジャタイとAマッソはそれぞれ最下位と下から二番目だったから、私がマニアックなのは前提としておくべきか。

もちろんメジャーなのも好きだけどね。



Aマッソは横並びなバラエティの世界に切り込みを入れられる可能性を秘める稀な芸人だと思う。

理屈抜きにして、彼女たちを見ているととても元気が出るのだ。

好きだ!


左 村上、右 加納

M1の3回戦