歩くたんぽぽ

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時間割表

2017年12月09日 | 空想日記
子どもの頃に感じたことや考えていたことを正確に思い出すことは難しい。

だからどのような精神的作用が働いて私の夢に頻繁に「時間割表」が登場するのかは分からない。

時系列で考えれば大学や高校時代の記憶の方が印象が強そうだが、

私の夢に現れる「時間割表」は大抵黒板の横に大きく貼られた小学生時代のもの。

そしてそれはいつも私に焦燥や恐怖というネガティブな感情を与える。

視覚的な印象としては漫画でよく使われる集中線の中心に時間割表が座を構えていて、

「ドーン!!」といういかにもジョジョ的なオノマトペが張られていそうな感じだ。

またかと思う間もなく続けざまにそれはドーン!ドーン!ドーン!と私の方へ迫ってくる。

目が覚めた時に「はっ夢か!」と安堵するのだが、いったい私は何に安堵しているのだろうか。

感覚だけが残っている。

小学校を卒業してもう17年経つというのに未だに私の意識に深く刻み込まれた「時間割表」、

いったい何だというのか。



前にも書いたが、よく見る夢の中に体操着を忘れるというものがある。

その場合もほとんどセットで時間割表が登場する。

単純に考えれば忘れることに対して並々ならぬ恐怖心を抱いていて、

その象徴的存在として時間割表があるというふうにも解釈できる。

しかし忘れることそれ自体が恐れるに値する事態と考えるのは少々無理がある。

時間割表が「忘れること」の象徴的存在なのは間違いないとして、

「忘れること」がもっと根源的な心の作用をあらわしているとしたらそれはなんだろう。



現時点で考えられる一番の可能性はある種の「強迫観念」だ。

[強迫観念(obsessional idea)]
無意味と思われ,その不合理性を本人は意識しているが,自己の意志に無関係に絶えず頭に浮かび,除去しようとしても取り除けない状態をいう。多くは不安感を伴い,自覚的にも病的と感じられる。正常者にもみられるが,それが精神的活動を束縛し,日常生活を妨げる点に異常性がある。観念の内容によって,自分の行動に落ち度がなかったかどうか気になる疑惑癖,物事の疑問を解かないと気がすまない詮索癖,質問癖などがある。
ーブリタニカ国際大百科事典より

私の場合は「〇〇なければならない」というように無意識的に自分を追い込む癖がある。

言葉では強迫観念が幻想であるということを理解できるのだが、意識レベルまではコントロールできない。

言い方が堅いので深刻に聞こえるかもしれないが、ほとんどの人が些細な癖を持っているのと同程度の話だ。

例えばちゃんと育てなければという気持ちが重荷になるから育成ゲームができなかったり、

必要以上に時間に余裕を持って行動して一日を無駄にしたり、

気づけばショートカットできる道を道路標識に忠実に従って遠回りしたりね。

表出しているのが単にそういう部分なだけで、なんだかよく分からないものが差し迫ってくるイメージは明確に持っている。

そしてそれらを過剰に恐れているということも自覚している。

精神衛生面をふまえ表面的にその恐怖に「嘘っぱち」ラベルを貼って気持ちを切り替えることは簡単だし実際にそうしている。

しかし意識の中からその得体の知れない強迫観念あるいは脅迫観念をきれいさっぱり消し去ることはできないのだ。

結果的に覚醒時間(睡眠時間の反対として)に抑えられたひとつの感情が夢の中に「時間割表」という形で居場所を見いだしているのかもしれない。



何事も大げさに書く癖がある。

というかこれはどうでもいいようなことを分析したつもりで小難しく書く遊びだ。

毎度このような戯れ言に付き合っていただきありがとうございます。


思い立って家にある物でドールハウスを作ってみた。
ドールハウスというよりドールルーム。
額にメビウスの絵を入れたところとベッドの柵を爪楊枝で作ったところが拘りポイント。
まだ制作途中で、これから本棚と照明を付け足す予定だ。
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