歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

月に叢雲、花に風

2015年01月28日 | 日記
せっかくの月には雲がかかり、奇麗な花には風が吹く。



いろんなことは、なかなか自分の思い通りにならないようだ。

うまくいかないことは押し入れの奥深くにしまっておくのだけど、

もやっとした鈍痛がじりじりと私を攻撃し続ける。



家という小さな世界においても自分の理想の形を実現する事ができない。

物はなるべく持ちたくない、それはフットワークの軽い人間でありたいから。

部屋はできるだけシンプルかつ奇麗に、その方が気持ちがいいから。

そのためにも所定の位置を決め整理整頓に従事したい。



たったそれだけの事が、誰か他の人間と住むだけで叶わぬ夢の様に遠く感じる。



仕事が終わって家に帰ると、洋服やゴミが散乱している。

この時私のフラストレーション値が急上昇する。

私が特別に奇麗好きという訳ではない。

ただ同居人がこの事に関して鈍感すぎるのだ。

口うるさい方ではないが、許容範囲というものがある。


以下、なかなか思い通りにいかない図。


できるでけ机の上には物を置きたくない。


ペットボトル用のゴミ箱が常に満杯。


空のジンジャーエールと空の段ボール。


CDの棚を奇麗にしたのに、気づいたらなぜか靴箱の中に。

こんなもんじゃないけれど、すごすぎて写真にできない。



日に日に増えていくなんかしらのマシーン、専門書、封筒、、、

できる事なら全部まとめてぽいっと捨てたい。



人と関わっていくって結構難しいようだ。

ではなぜあえて自ら人と関わり面倒な道を選ぶのか。

面倒臭さを超えて何かがあるからに違いない。



私の小言と一緒にしては申し訳ないけれど、

最近テレビで猪子寿之というデジタルクリエーターが

「会社以外でやりたい事はない」と言い切っていた。

人との関わりの中でしか面白いものは生まれないと言った様な内容だった気がする。

猪子寿之率いるチームラボとは様々な分野のスペシャリストで構成された

自称ウルトラテクノロジスト集団である。

あっと驚かせる発想でデジタル界に大きな反響を生んでいる。



最近NHKで猪子寿之と芸人ロンドンブーツ敦の対談番組がありこれが面白かった。

敦は敦で人を集めてはいろいろな実験的企画を催し、

それを自身のホームページで世に送り出している。



面倒なのもひっくるめて「人」が面白いんだろうね。

さて私はこの目の前の雑多な無機物たちとどうつきあっていこうか。

この点において私はあのお方と面倒臭さを超えた何かしらの発見を生み出す事ができるのだろうか。




しかしこの画を見て自分がいかに自分勝手に物事を解釈しているかがわかる。

この段ボールと新聞紙は私の仕業である。

これが台所においてある分には何も感じないけれど、

きっと他の誰かの仕業だったら怒ってしまうのかもしれない。

あれ?もしかして家の汚さは自分の事を発見する糸口になったのか?



せっかくの月には雲がかかり、奇麗な花には風が吹く。

それもまた乙、なのかもしれない。
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ベルベットモーニング

2015年01月26日 | 日記
ショッピングモールの真ん中にある椅子に座り、ベルベットモーニングを聞く。

人の声が集まって空気に溶けた雑音が、遠くの方で曖昧な輪郭を揺らしながらこっちを見ている。

ベルベットモーニング。

人は私の前を横切り、扉の外へ消えてゆく。

一つ一つの足音が違う響きを持ち、それぞれ違う道を歩いていく。

目の前の宝石店には、澄まし顔のレディ達。

ライトアップされた商品達はまるで自分が物語の主人公であるかのような顔で、人々を見下ろす。

なだれ込んでくる感覚。

ベルベットモーニングが私に語りかけてくる。

言葉ではなく、音で。



THE VERVE "Velvet Morning"是非。

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風が吹いた

2015年01月13日 | 日記
息苦しいな…

なんなんだこの閉塞感は…



大学を卒業して、神奈川に越してきてからそんな事をよく思う様になった。

もともと私は田舎の中でも田舎と呼ばれるほどの山奥で育った生粋の田舎者である。

子どものころに過ごした環境は、自分で意図していなくとも生涯自分につきまとう。

いい意味でも悪い意味でも。



18歳までを携帯電話の電波も通じないような場所で育てば、都会に憧れを抱くのは必然だ。

「東京に行かなければ自分の人生は始まらない」なんていう単純思考。

私はその頃東京が日本だと思っていた。



今思えば田舎に住んでいた頃はそのときで、親元にいることや田舎独特の囲い文化に嫌気がさしていた。

高校生までの私はまだ何かに出会う方法を全くと言っていいほど知らなかった。

それゆえに若者が田舎で暮らす事の限界を自分でつくってしまっていたのだと思う。

それはあまりにも世間知らずで、知った人の中で守られてきたからである。

私は覚えていないのだけど、高校を卒業するときに母にひどい事を言ったらしい。

その話を後になって聞いた時は胸が痛かった。



しかし今は街の喧噪に閉塞感を感じている。

無い物ねだりなのか、やはり育った環境か。



去年の春から夏にかけて、新潟の越後湯沢にて派遣ではあるが仲居の仕事をしていた事がある。

歩いた一歩先が山という環境に身を置くのは、高校を卒業して以来である。

仕事の合間はいつも寮の脇に置いてあるぼろぼろの椅子に座ってぼーっとしていた。

晴れの日も、雨の日も、旅館で浸水事件が発生した日も、いつもそこでコーヒーを飲んでいた。

厨房のおじさんはその前を通る度「こんな汚い椅子に座るのお前だけだぞ」とか言っていたけど、

本当は自分も座ってみたかったのだと思う。

大変な仕事だったけれど、木々に囲まれゆったりした空気に触れることで田舎の心地よさを思い出した。



私が育った家は中も外もないような開け放たれた家だった。

いつも風が吹いていて、吹き抜けの高い位置にある窓からは日差しが差し込み昼間は電気がいらない。

犬のソクラテスが出たり入ったりするものだから、床は基本的に泥の痕が絶えなかった。



都会の人は窓を閉めたがる。

排気ガスとか、外に音が漏れないようにとか、家に虫が入らないようにとかいろいろと理由があるらしい。

それでも私は家の窓をあける。

隣の家のおじいさんが庭で作業している音が聞こえる。

音楽家の逆隣の家から聞こえるのはレッドツェッペリンのギターリフ。

遠くの方で誰かが誰かを呼んでいる。

それだけで、閉め切られた部屋で勝手に凝り固まった自分がじわじわと氷解し、冬の澄んだ空気に馴染んでいく。

そこでなっているニール・ヤングのハーベストとさっきいれたばかりの熱々のホットチョコレート。



そして、風が吹いた。



それが一番大事。



散歩をしていたらだだっ広い空き地を発見。
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