歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

冬の落ち葉

2012年12月18日 | 日記
もう12月半ば、寒さもいよいよ厳しくなり、乾いた風が痛い。
雪が降らない都会で、冬を実感するのは難しい。
その中で否応無く突きつけられる寒さを一つ残らず受け止めてやっと季節に追いつく。



16日夜10時過ぎ、「自民党圧勝!」という声で目が覚めた。
「民主党はまだ30議席だね。」
選挙に行き、その他用事を済ませ相方が帰ってきた。

テレビ画面の下の方には各政党の獲得議席が表示されている。
自民党250、民主党34、維新28、、、、、

開票率5%とはいえ愕然とする。

実際のところ自民党が勝つのはみんな分かっていた。
しかし、あまりにも歴然としすぎている。

ただ単純に怖い。

彼らは禁断の箱を開けるに違いない。

今度こそ自民党は憲法9条に手を出すだろう。
原発のことはもう忘れ去られてしまうだろう。

今回勝った自民党は3年前の自民党ではない。
このタイミングでこの票を獲得してしまった。
もはや自民党にはやらない理由がない。

今の安倍晋三を見ていると、2001年テロ対策特別措置法の小泉純一郎を思い出す。
彼の隣には、小泉元首相の時と同じく石破茂がいる。

選挙から2日、この現実を受け止めることが出来ない。
大げさじゃない、日本はどうなってしまうのか。

ここにある大きな不安と、虚しさ、さてどうしたものか。



18日夜10時過ぎ、信号待ちの私はそんなことを考えている。
夜になると、寒さも自信をもって私たちに笑いかけてくる。

耳に入ってくるカラカラという微かな音。
路面にはパリパリに乾いた落ち葉が、あっちでもないこっちでもないと車の間をさまよっている。
こんな時期まで残ってしまった落ち葉に、取り巻く環境は冷たくもう行く当ては無いだろう。
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Soldier's Poem

2012年12月10日 | 日記
"Soldier's Poem" Muse Live In London (Part 3)



曲中終始淡々と刻まれるバスドラム。
ボーカルのマシューが奏でる優しいピアノ。



今日は仕事の夢を見て、
朝から2時間の大遅刻をし、

皆に心配をかけ、
時間は過ぎて、

誰かの誕生日を祝い、
彼女の笑顔を見て、

もう一人の誰かとこれからの日本について話し合い、
自分のことを考え、

気づいたら終電7分前で、
3人で駅まで走り、

ポーンと一人この街の駅に降りた。



こんな日の帰り道はこの曲が聞きたくなる。

There's no justice in the worldという印象的な言葉が頭に張り付いて離れない。
意味とは裏腹に、その響きは私を包み込んでくれる。
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音が遮る世界

2012年12月05日 | 日記
最近、ちょっとした葛藤をしている。

私は一人で外に出るとき、基本的に音楽を聴いている。
最新の低反発イヤホンを耳の奥まで押し込み、
音楽意外の音を完全に遮断している。

音楽好きには至福の空間である。

しかし、最近その自分に少し疑問を抱くようになっている。

今日の帰り道ある女性が私の足下にファイルを落としたが、
それに反応できず何とも言えない居心地の悪さを味わった。

目の前を歩く女子高生の落とし物を拾えたとしても、
その後に彼女が笑顔で言った一言が聞こえなかった。

ある意味、イヤホンで音楽を聴くというのは武装に近いものがある。
外の世界をシャットアウトして、音楽という壁の内側に引きこもる。

だから外側の動向にとても疎くなってしまう。

私が音楽で武装するのは不必要な情報を受け取りたくないから。
でもその代価として必要な情報まで見逃してしまうことになりかねない。
それは女子高生の「ありがとう」という声然り、
木が風に揺られてきしむ音然り。

案外聞き逃している外の音というのは刺激的だったりする。


ただ葛藤というのは、音楽というものもまた私には重要な情報だということだ。
これは天秤にかけようがないから今日は寝ることにする。
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絵を育てる

2012年12月03日 | 日記
唐突な思いつきだが、絵を描くことは子育てに似ている気がする。

最近自分が描いた絵が初めて売れた。
それは今までに経験したことの無い大事件。

「絵を描くのが本当に好きなんだね。」と言われることがよくある。
私も絵を描く度そう言ってきたし、そう言われるのには慣れている。
でもそれには違和感を感じることが多かった。
どちらかというと絵を描くのは子どものときからの癖。

ある時、自分の行動に規則性を見つけた。
私が絵を描きたいと思う時は、基本的に心や体の状態がよくない時なのだ。
悩んでいるときや、自暴自棄に陥っているとき、あるいは風邪をひいているときなど。
逆に元気なときほど絵を描く気にならない。

満たされない気持ちを埋めるように絵を描く。
だから出来上がった絵はどことなく表情が翳り、私を色濃く投影している。

それが少しずつ変わってきたのが最近のことである。
大学在学中に人に絵を描く機会が何回かあった。
それは驚くほど新鮮な体験であった。
自分の描いた絵が人の手に渡るというのはスリリングなことである。
他人に自分をさらけ出すも同然の行為といえよう。
そんな自分の分身を受け入れてくれる人がいる、
もっと言えば欲しいと言ってくれる人がいる。

こうやって人とつながることができるんだと、私を熱い気持ちにさせてくれたのだ。
内に向いていた矢印が初めて外に向いた瞬間だった。


今年の夏、サマーソニックのイベントの一環であるソニッカートに参加した。
それはライブペイントが主なテーマで、いろんな人たちがおのおの好き勝手に絵を描くのだ。
何も用意していなかった私は、大きな紙袋を破りキャンパスの代わりに。



今回売れたのはソニッカートのために事前に描いた絵。
その名も「音楽を食べる」。



この絵には思い入れがある。
なかなか納得がいかなくて途中で描くのを辞めようとしたが、出来上がったら結局一番好きな絵になった。
何よりも時間がかかった。

そんな絵を手放すというのは不思議なもので巣立つ子どもを見送るような気分なのだ。
もうその絵を生で見ることは無いに等しい。
そう思うとちょっとした寂しさなんかもあったりして。

でもやっぱりとても嬉しいこと。
さぁ行っておいで!
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