歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

迫りくる大気汚染~白い町編~

2014年02月28日 | 社会
日本にPM2.5がやってきた!

26日からその状況は悪化しており、その白い霧は首都圏にまで到達した。
Twitterを辿ると町がいかに白くPM2.5に覆われているかということが伝わってくる。

テレビ番組では緊急特別枠が設けられ真っ昼間から大盛り上がりだ。
ニュースキャスターはシリアスな顔で注意喚起が出された地域を何度も繰り返した。

そこだけに注目するとなんだか日本で大変なことが起こっているといった印象を持つ。

しかしどうも鈍感な私はその危険性についてなかなかピンとこない。
ニュースやネット記事を見ていても「悪影響を及ぼす大気汚染」といった曖昧な表現が多く、
誰または何がどのような経路でどのような悪影響に見舞われるのかという説明が抜けている。
そもそもPM2.5について全くといっていいほど知識がない私は、
ネットを手段にいろいろと調べてみることに。

以下、勝手に抜粋、比較し編集したもの。
ーーー
<PM2.5とは何か>
まずPM2.5とは何なのかについて紹介したい。

日本エアロゾル学会より
□PM2.5とはそもそも何なのか?
→空気中に浮かんでいる小さな粒子のことをエアロゾルと呼ぶ。
 そのうち,粒径2.5μm(2.5μmは2.5mmの千の1)以下の粒子をPM2.5と呼ぶ。
 その大きさから人間の肺の奥にまで到達しやすいとされている。
 PM2.5は最近急に発生したものでなく、太古の昔から一定量は地球上のどこの大気にも存在している。
 また自然起源のものと、人間の活動により発生するものがあり、
 自然起源のものについては原始時代から人類は呼吸してきたものです。
(工学院大学・並木,産業技術総合研究所・兼保)

□ PM2.5とはどんな物質か?
→PM2.5は粒径2.5μm以下の微粒子と言うだけで、その中身は何も規定されていない。
 その中には・硫酸塩や硝酸塩の様な塩類、
      ・ディーゼル排煙中のススのような黒色炭素、
      ・数千種類にも及ぶ有機化合物(その中にはたばこの煙の成分や,発ガン性を指摘されている多種多様な物質が含まれる)、
      ・金属成分など様々なものが含まれる。
 一般的にはPM2.5の主要な成分は硫酸塩や硝酸塩などの塩類と有機化合物。
(東京農工大学・畠山,埼玉県環境科学国際センター・長谷川)

他のサイトでもPM2.5についての説明はほとんど同じだった。

<PM2.5の環境基準>
環境省より
□環境基準について
→環境基本法第16条第1項に基づく人の健康の適切な保護を図るために維持されることが望ましい水準として以下のとおり環境基準を定めている。
 1年平均値 15μg/m3以下 かつ 1日平均値 35μg/m3以下(平成21年9月設定)
 この環境基準値は、呼吸器疾患、循環器疾患及び肺がんに関する様々な国内外の疫学知見を基に、専門委員会において検討したもの。

●Wikipediaより
□世界的には
→アメリカで1997年に初めて環境基準が設定されて以降、1990年代後半から採用され始め、世界の多くの地域でPM10とともに大気汚染の指標とされている。

<注意喚起のための暫定的な基準>
注意喚起は地域の判断によって出されるものなので、そのための基準もつくってあるが暫定的なものである。

環境省より

判断方法の改善にあたっては、健康影響の大きさの程度を踏まえた上でその程度に応じて検討すべきであるが、
現時点で得られている健康影響の知見は十分でなく、現在定められている指針となる値も暫定的なものである。

<PM2.5の影響と対策>
次にPM2.5による具体的な影響について見てみる。

●日本エアロゾル学会より
□ PM2.5を吸入することによりどのような病気になるおそれがあるのか?
→PM2.5に対する短期的な高濃度暴露によって循環器系の疾患(不整脈など)や、
 呼吸器系の疾患(ぜんそくなど)と因果関係がある可能性が高いとされている。
 長期間の暴露によってはさらに小児や胎児の成長に影響を与える可能性があり、
 発ガン性,変異原性などを示す可能性もある。
(米国EPA,2009より)

YOMIURI ONLINE記事より
□高齢者・子供注意
 各粒子とも体内に入れないためにはマスクの着用などが必要だ。
 PM2・5の場合、自治体の情報を参考に外出や屋外での激しい運動を控える必要はあるが、
 竹村准教授は「人によって感度は異なり、一時的な基準超えに神経質になる必要はない。ただ、高齢者や子供は影響が出やすいので注意が必要だ」と話す。

<まとめ>

●日本エアロゾル学会より
今回(昨年の文章)のPM2.5汚染の根本原因は、
中国の石炭の大量使用(エネルギーの70%近くを石炭に頼っている)や、
増え続ける自動車(ガソリンの質が日本や欧米に比べて低い)からの排ガス。
まずは燃料の転換を進めてもらう必要がある。
しかし日本が被害者、中国が加害者というような視点からではなく、
第一に中国の国民が深刻な健康被害を受けていることを考え、
まずこれを救済・軽減することを考えるべきです。
「殺人スモッグ」や「殺人黄砂」が飛んでくるわけではない。
いたずらに煽るのではなく隣国隣人の被害の軽減を図れば、その結果わが国に飛来するものも減るものと考えることができる。
(東京農工大学・畠山)

これに対し「中国側が日本の協力を拒んでいる?」という記事を発見。
これもまた政治的な話になっていくのかな。
まぁこんなところかな。
ーーー

調べても具体的にはそこまで分かっていない。
というか情報が多すぎて何が本当か分からない。
軽視していい問題でもないが、殺人スモッグというほどのものではないらしい。

今回の問題で一つ感じたことがある。
それはなぜ人はPM2.5をそれほどまでに恐れるのだろうかということ。
日本が経験してきた深刻な公害問題の記憶、
潜在的に持っている中国に対する不信感、
理由はいろいろあるだろう。

でも一番の理由はPM2.5が目に見えるということではないだろうか。
初めてPM2.5に覆われる真っ白な北京の映像を見た時は衝撃的だった。
肉眼で見えるということは、そこに物質があるという何にも代え難い説得力がある。
それがPM2.5という人体に悪影響を及ぼす物質だと言われれば誰だって恐れおののく。

しかし人間にとって悪影響を及ぼす物質が目に見えるということは幸運なことなのかもしれない。
なぜならそれによって知識がなくても短期間で危機感を持つことができ対策も打てる。

本当に怖いものは、目にも見えず音も匂いもなく忍び寄る。
そして気づいたときには取り返しのつかないところまでいってしまう。
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サン・トワ・マミー

2014年02月28日 | 音楽
シャンソンというものにはあまり馴染みがない。

高校生の頃放送部で覚えさせられた早口言葉の中に
「新人シャンソン歌手新春シャンソンショー」というものがあって、
シャンソンという言葉の意味が最後まで分からなかったのをよく覚えている。

ーーー
Wikipedia情報だが、以下シャンソンについて。
本来、シャンソン (chanson) は、フランス語で歌の意味である。
したがって少なくとも現代のフランス語圏においてはシャンソンは歌全般を意味し、
特定ジャンルの楽曲を指すものではない。
日本においては、1960年代までに流行したフランスの歌謡曲全般をシャンソンと呼ぶ場合が多い。
これらを日本語訳でカバーしたものもシャンソンに分類される。
アメリカン・ポップスやロックの影響を受けたミッシェル・ポルナレフなどは、
シャンソンより新しいイメージのフレンチ・ポップスとして紹介されることが多かった。
ーーー

ジャンルと言うものは結局最後まで曖昧なものだ。
曖昧であることの方が重要なのかもしれないね。

最近私は奇妙礼太郎という人の歌をよく聴いている。
カバー曲も多くその中で特に気に入っているのが「サン・トワ・マミー」と「オー・シャンゼリゼ」。
調べるとその2曲はシャンソン、またはフレンチ・ポップスの有名な曲らしい。

気になってさらに調べを進めていくと、一人の日本人シャンソン歌手の名前が出てきた。
越路吹雪、私が生まれる8年前に56歳で亡くなっている「日本のシャンソンの女王」だ。
サン・トワ・マミーは彼女の代表曲でもだった。
ベルギーの歌手サルヴァトール・アダモの楽曲を岩谷時子が訳詞したものだ。

彼女の「サン・トワ・マミー」には驚いた。
変かもしれないけれど、私は歌を聴いているんだなということに感銘を受ける。
そしてとてつもなく大きな心で待ち構えてくれているような包容力とそれに基づく安堵感。

日本の歌にしても私は何も知らないのだと実感する。
音楽に対しては貪欲でいたいけれど、世に生まれた名曲が多すぎる。
そんなありがたくも途方のない現実の中で、今日出会うことができた越路吹雪の歌を繰り返し聴こう。

越路吹雪 サン・トワ・マミー
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今日もお疲れさまです

2014年02月26日 | 日記
私は公務員という仕事に頑なな偏見を持っている。

彼らの安定思考、性質、それに基づく生き方そのものがそうさせる。
そして時にとても高い場所からものを言う押し付けがましさ。
もちろん私が公務員に対して抱く固定概念に変わりない。

役所では無表情の人々が、淡々と仕事を消化していく。
人に興味がなく、まるでロボットのようだ。

警察にも何度かお世話になった。
紛失届を出したり、交通違反で捕まったり。
その度、彼らの偉そうな態度に腹が立ったものだ。

世間的にも安定していてしっかり者というイメージが持たれる反面、
給料泥棒と呼ばれたり融通が利かない堅物といったイメージが持たれやすい。

今日も電車とバスを使ってはるばる町の役所までやって来た。
役所というものは病院と一緒で待つのが当たり前の世界。
暇潰しのために町田康の『きれぎれ』でも読もうかと持ってきたのだが、
人の観察をしていると面白くてそれどころではなくなった。

まず私の待っている窓口の整理券発券機前にて、
細くてもさっとした30代男性が使い方が分からず戸惑いながらもボタンを押す。
するといかにも自分の都合しか考えていない様な派手で太ったおばさんが食い気味でボタンを押し、
出てきた整理券を横取りしようとする。
当たり前だけど、その攻防は30代男性の勝ち。

次に私の前の椅子に座っている若く地味なカップル。
二人とも日本のクールジャパン(サブカルチャーの話です)を盛り上げて行くタイプに見える。
見た目こそ地味だが侮ってはいけない。
テンションが上がりすぎてたまに奇声をあげるなど、これでもかっていうくらいいちゃついている。

暴れる子どもと乳母車の子どもを抱えて右往左往するお母さん。

口に締まりのないB系の若いお兄さん。

紳士、淑女とその反対。

若年層から高齢者。

公務員からしてみれば、窓口に現れる市民は十人十色だ。
しかもここでは日常の社会的関係性からほぼ解放されている状態なのでみんな好き放題。
その人たち一人一人に時間をかけてそれぞれの悩みや問題を解決し、
帰って行く人たちに「ありがとうございました」と声をかける。
まさに市民のプロフェッショナルなのだ。

こんなにたくさんの人が待っているというのに、
窓口では対応が丁寧すぎてなかなか自分の順番が回ってこない。

食わず嫌いと昔から持つ彼らのイメージは、私の怠惰と傲慢から生まれたものなのかもしれない。
私にはきっとやり続けることが難しい仕事だから、その役割を担ってくれてありがとうと思う。

そういえばこの役所には太った40代の所謂オネエが働いている。
ロックなTシャツを着ていてもみあげも極太なんだけど、声が安田大サーカスのクロちゃんみたいに高いのだ。
私はこの役所に来るたびに彼はいないかと探す。
いた場合は出来れば彼の窓口に行きたいと思う。
すっかりファンだ。

当たり前だけど公務員だって十人十色。
職種に頑なな偏見を持っても、それはなんの当てにもならない。
今日はその色眼鏡を外して自分から少し解放されたような気分だ。

公務員の皆様、今日もお疲れさまです。
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滑稽と無駄に溢れた愉快な日々

2014年02月22日 | 日記
今日の文章は2日間の出来事をたらたらと書いているだけなので予めご了承願いたい。

昨夜のことである。
夕飯をつくっていると、同居人K(夏目漱石の『こころ』の真似ではありません)から電話がきた。
弱々しい声で「やばいから風呂熱々でためといてくれ。」
そういえば前日から具合が悪いと言っていたななんて思いながら、指示通り風呂のお湯をためた。

しかし待てども待てども彼は帰ってこない。
ピンポーンとインターフォンがなりきっとKだと思って急いでドアを開けると、
「すいません、お荷物です。住所が違ったのでよろしくお願いしますね。」
といった感じでお茶目な笑顔を浮かべながら郵便局のおじさんが顔を出した。
母が住所を間違えたようだった。
無駄な手間が私とおじさんの間に笑顔をつくってくれたみたいだ。

そして電話から一時間と30分ほど経ってやっとKは帰ってきた。
家に入るやいなや真っ赤な顔で倒れ込んだ。
確かにとても具合が悪そうなので、とにかく熱を測ると体温計が一向にピピピとならない。
壊れたか、ボタンを押し忘れたか、いずれにせよこれはだめだと思い体温計を出したらなんと39.5度!
体温計はまだ一生懸命熱を測っていたようだ。
こんなに高い数字は私が中学校のスキー合宿で40度を出したとき以来に見る。

そんな熱なのにKは風呂に入ると言い張る。
お風呂は時間が経って冷めていたので熱いお湯を足すことにした。
そうすると当たり前だけどざばんざばんとお湯が溢れていくのだった。
なんじゃこれ。

元々偏頭痛持ちのKは、体調を崩すと基本的に頭痛も併発する。
しかもその頭痛のレベルたるや、ひどい時は倒れたり泡を吹いたりするほどなのだ。
一回CTスキャンで診てもらったが特に悪いところは見当たらなかった。
今回も頭痛がひどいようで、隣の台所で食器をカチャッとならすだけでも呻いた。
物音一つならしてはいけないのだから、さすがにこちらも緊張し始める。
何かに気を張っていれば他の何かを取りこぼしびっくりするほど大きな音を立ててしまう。
そして反射的に「ごめん!」と響くほどの大きな声を出してしまうのだ。
私は日常の中でこんなにも音を出していたのか。

Kは動けないどころか今度は喉が痛くて喋れないときた。
もうお風呂どころではないので、とにかく無理矢理布団で寝かした。
お湯がもったいないので私が入ろうと思いお湯の具合を見に行くと、また時間が経ってぬるくなっていた。
なんだろうね、その時の変な気分。

そして真夜中、冷蔵庫にまともなものが入っていなかったのでポカリスウェット等を買いにコンビニへ。
寒いし歩くと遠いから初めは車で行こうと思ったのだが、シートベルトをしてエンジンをかけてハンドルを回すのが面倒だったので歩いて行くことに。
寒い中とぼとぼと歩く自分、白く象られた息、背中を丸めて首をすくめるとひどい猫背だ。
すれ違う人の影も寒さでみんな猫背なもんだからそうだよなと一人で共感。
冷たい空気のおかげで頭が冴え、口からでまかせみたいな詩が思い浮かんでは消え浮かんでは消えた。
時間がかかろうが歩くのは楽しい。

インフルエンザという可能性が大きかったので、今日は朝一で病院に行ってきた。
ペーパードライバーだが最近少しづつ感覚を取り戻しつつある。
それでも駐車はほとんど経験のない私に対し、声がでかくてせっかちな警備のおじさんが交通整備の一環で指示してくるという構図。
「あの人いやだよ~怖いよ~」と弱気な独り言。
私はまだ運転に自信がないので運転中は非常に気が小さい。
しかしよく考えると彼は声がでかくて忙しないけれど、来る車来る車を気にしながら不慣れな私に細かく指示をしてくれていた。
お金を払うときにお礼を言うと笑ってくれた。

あまり病院で待たせるのはかわいそうだと思い早めに行ったが、それでも私たちが着いた頃には待合室はご老人で溢れていた。
どうか今日だけは病院をたまり場にする方々がいませんようにと都合良く祈るばかり。
Kが高熱だというと割合早く通してくれた。
そんな柔軟性を病院が持っているのだなぁと感心したが、すぐにそりゃそうだろうと思い改める。
それでも所要2時間はしょうがない。

待ってる間付近に座る患者たちの会話が耳に入ってくる。
80代の夫婦の妻の方が顎にマスクをかけゴホゴホ咳をするものだから旦那が
「ほらちゃんとマスクしなさい!咳してるんだからちゃんとマスクしなきゃ、ほらちゃんと!」とマスクを上にあげた。
妻はそれに大人しく従い、二人は一件を落着させた。
今度は隣に座ったおじいさんと30代くらいのスーツの男性。
30代の男性は紙を見ながら笑って「おじいちゃんこの数字ダメじゃん。また怒られるよ。」
するとおじいちゃんも笑いながら「違うよ、これでも良くなったんだから。」
なんて仲良しなんだこの二人は。

その間Kはずっと高熱者専用待合室で贅沢に椅子を3つほど使ってぐったり倒れ込んでいる。
通りかかる人々は一様に一瞬彼を見てからすぐに目線をそらす。
今日だけは許してやってくださいな。

やっと診察が終わって結果を聞くと予想に反して扁桃炎だと言う。
インフルエンザではなかったのでとりあえずはよしとしよう。

病院を出るとさっきの警備員が続々入ってくる車に相変わらずの大きな声で何か叫んでいる。
すれ違い様に「お気をつけて」と言われたので「あ、はい」と会釈した。
あのおじさんいい感じだ。

そしてやっと家に帰ってきた!
8時半に出たのが11時になってしまった。
Kの希望を聞くために彼や此れやと質問すると、なにやらKからスースー聞こえてくる。
喉が痛くていよいよ声が出せなくなったのだ。
しょうがないから筆談をすることにした。
そして力の出ない手で文字を書きはじめた。
だけど文字がなかなか解読出来ない。
力を振り絞り真剣な顔で文字を書くK、しかし綴られるのはくねくねと不安定でよぼよぼの字。
なんか大変そうだなぁと他人事的視点が入った瞬間私の内から抑えられない笑いがこみ上げてきた。
「ごめん、ごめん」と言いながら口を抑えて笑いをこらえようとするのだけど笑いが止まらない。
そういえば昨日からほとんど笑ってなかったな。
ある種の緊張が解け、堰を切ったようにドドドーっとね。
Kは私につられるように笑い出し、二人でケタケタとお腹を抱えて笑った。
そうすると昨日からのいろんな小さな出来事を思い出したのだった。


話はこれで終わり。
振り返れば私たちは意味も分からず笑い、面倒があるたびに立ち止まり、滑稽と無駄に溢れた愉快な日々を送っている。
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真央ちゃんに泣いた真夜中の日本

2014年02月21日 | 日記
テーマが真央ちゃんだなんてミーハーかもしれないけれど、
この感動を忘れないうちに何かに残しておかなければと強く思う。

フィギュアスケート女子シングル浅田真央23歳。

昨日のショートプログラムでは初っ端からトリプルアクセルで失敗し、
16位という結果に日本中が戸惑いを隠せなかった。
今日のフリーにどう向き合えばいいのかと私自身頭を抱えた。
私なんかには想像出来ないほどのとてつもない重圧と闘っていたのだろう。
それにしても点数の低さには驚いた。

そして今日、真央ちゃんは12番目に登場。
真っ青な衣装に身を包み、いつものイメージトレーニングをしてスタート位置に立った。
曲はラフマニノフ『ピアノ協奏曲第2番』。
念願のトリプルアクセルを初めに成功させ、それからは本当に滑らかで美しかった。
計8個のジャンプをきめ最後のステップも最高に格好よかった。
気づいたら一人でわんわん泣いていた。
涙が止まらなかった。
演技を終え真央ちゃんも手で口を覆うようにして泣いた。
NHKのアナウンサーも顔を真っ赤にして泣いていた。
TwitterやFacebookなどをリアルタイムで追ったら、
ネットの先にいる人々も皆感動して泣いていた。

フリーの演技で自己ベストを更新。


演技が完璧とかそういう話じゃなくて、心を揺さぶられたのだ。
アナウンサーが興奮の中「これが浅田真央です!」と言い放ったこと、
歓声、観客、リンクでお辞儀する真央ちゃん、全てが幻ようにその場面に響いていた。

結果は6位だったけどこんなにも晴れやかな気持ちにしてくれるのだな。
凄い人だ。

ショートプログラム上位3人はフリーでもほぼミスはなく、3人が3人メダルを獲得。
真央ちゃんはショートプログラムではこけてしまったのだからしょうがない。
しかし、フリーの演技でソトニコア、キムヨナが真央ちゃんより高い点数をとったことには納得がいかない。
終わったものを掘り返すことに意味はないけど、この結果は興奮冷めやらぬ今納得出来ない。
それは素人の私が理屈で説明するのは難しいけれど簡単にいうと、
真央ちゃんの演技は構成の難易度が高くそれを完璧に滑れば他の選手が勝てる訳がないということかな。
まぁ説得力に欠けるのでこれくらいにしておこう。
それにやっぱり私は日本人なんだろうね。

フィギュアスケートはほとんどオリンピックしか見ないので何も知らなかったのだが、
この4年間彼女は彼女に対する不利なルール改正に悩まされてきたのだとか。
これも素人が書いた文だからどこまでが通じる話か分からないけれど参考までに
「浅田真央が戦ってきたもの」

八百長だ、不正だ、誰が悪いという話ではなくて、私が感動した浅田真央の演技を1番だったと言ってあげたいのだ。

彼女はフィギュアスケートを愛する人々からTwitterなどで賞賛を受けた。

ロシアのプルシェンコ
「Mao - you was great, special thanks for Axel 3,5! You're real fighter!!」

ジェフリー・バトル(トリノオリンピック男子シングル 銅メダル)
「I had tears in my eyes. Thank you Mao! Magnificent.」

エルビス・ストイコ(長野五輪男子シングル 銀メダル)
「I just have to say I am teary eyed for Mao Asada, makes my heart smile! :-)」

ミシェル・クワン(長野五輪女子シングル 銀メダル)
「Mao Asada - made me cry.... a performance that we will all remember forever!」

これを見てまた涙が…。
プルシェンコはバンクーバーの時から採点方法がおかしいと声をあげていたそうな。
そういう意味でも彼は挑戦し続ける真央ちゃんに思い入れがあるんだろうな。
なんだか私が救われた。


本当に日本中が沸いた夜というか真夜中だったな。
なんだかよく分からないけど真央ちゃんにありがとうと言いたい。

うん、本当にありがとう。
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