歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

2015年よ、さらば!

2015年12月28日 | 日記
今日は大晦日。

1月1、2日はスーパーが休みなので、今日のうちに食材を買っておく。

おせち料理のようなちゃんとしたものはつくらない(つくれない)けれど、

やはりそれなりの和食の用意はしておきたい。



そして新年を気持ちよく迎えるために、昨日から徹夜で大掃除をしている。

なんでもっと早く取りかからなかったのか、困ったものだ。



2015年はどんな年だったかと問われたら「特別な年だった」と答えたい。

女性にとって27歳は大事な歳という話をちらほら聞くが確かにそうだった。

夏に初めての展覧会があった。

あんなにたくさんの絵を短期間で描いたのも初めてだ。

これが大変の何の。

ただ自分のやりたいことにがむしゃらに向かっていく感じは楽しかった。



それから母が病気にかかり(今は元気)、18歳で実家を出て以来

これまた初めて1ヶ月間も帰省していた。

両親とそれだけ長い時間生活を共にするというのは面白い体験だった。

それが秋半ばの話でそれから絵を描き、描けなくなり、悩むという

サイクルを繰り返している。



今まで関東に引きこもりがちだったがここ2年はずいぶん動いたな。



政治面で言えば安保法案の強制採択とTPPの大筋合意(報道)。

SEALsによって目覚めた若い人たち。

そして来年の参院選への備え。



無慈悲にも例年通り、新幹線並みの早さで日々が駆け抜けていく。

巻き起こる風によってぼさぼさになる髪の毛を放置したまま立ち尽くす過去。

進み続けるリアルタイムの自分は振り返ることもできずに、

自分らしき後方の影からどんどん遠のいていく。

2015年よ、さらば。

よろしく2016年!




古本屋にあった詩集。「は〜い」と思わず答えたくなった。
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創作の動機は何でも良しとする

2015年12月25日 | 日記
待ちに待ったスターウォーズ新シリーズ第一弾が先日公開となり、テレビやネットで大盛り上がりしている。

六本木など中心部ではコスプレしたファンを名乗る人々がお祭り騒ぎだ。

その姿に違和感を感じるのは私だけだろうか。

「私はスターウォーズのファンだ」という自己顕示欲の現れか、

記念すべきスターウォーズ新時代を謳歌したという証拠作りか。

あるいはお祭りやコスプレの単なる動機に成り下がったかのような落胆を覚えたのだ。

クリスマスの夜にこのひねくれっぷり。

一応言っておくと私はスターウォーズのファンだ。



ところで今日はクリスマス。

今日もまたイベントにかこつけて人々はクリスマスを存分に味わうのだろうか。

とにかくラジオやテレビが「クリスマス」、「クリスマス」とすごい。

あまりそういうのに乗るのは好きではないのだけど、今年は今までと少し違う。



絵以外あまり意識したことがなかったけれど、私はつくるのが好きだ。

その対象はなんでもいい。

出来上がりを想像し行程を模索し、ちまちまと作業する。

私にとってそういう行為はとても心地がいいことなのだ。



今年はいつもより時間があるので何かをつくるには絶好の機会。

普段はあまり意識しないクリスマスも視点を変えると、創作の動機となる。

まずはクリスマスプレゼント。

基本的に手作りのものはプレゼントとして敬遠されがちだ。

そこで求められるのは既成のものより優れていると思わせること。

デザイン面や技術面、機能性など様々な点における総合的なバランスが重要である。



今回のテーマは「今年の冬は外でも読書」。

つくるのはネックウォーマーとブックカバーだ。



はじめにネックウォーマー。

使用するのは毛糸と伸縮性のある生地。



つくるのが好きと言ってもほとんど素人なのでネットで編み方を調べる。

ここで重視するのは見た目。

かぎ針8号を使って編むこと数時間。

なんとなく形になった。



生地は首がチクチクしないように内側に縫い込み出来上がり。





次にブックカバー。

これまたネットに分かりやすい型紙があったのでそれを参考にした。



裏地の扱い方がよく分からなかったので、裏地も表地と同じ型で作ってみた。

ちなみにミシンを持っていないので、全部手縫いだ。

まずは試しに自分用に。





思いのほかうまくいったので、続けてプレゼント用を作る。

表地と裏地を裏から縫い合わせる。

その際にテープを先に作っておき、表地裏地と一緒に縫ってしまう。



裏かえして仕上げると出来上がり。







結局既製品より優れていると思える部分は私好みになったことくらい。

あとは家にあるビニール袋やらシールやらリボンを駆使しラッピング。

これでプレゼントの準備は完了。





次にクリスマスツリー。

何にしても家にあるもので工夫するのが面白い。

ということで使用したのは段ボール、クラフト紙、緑のコート、麻ひも、

CD、瓶のふた、木製ビーズ、靴下、母にもらった100均の飾り。

既存のツリーのイメージを捨ててしまえばこれだけでもツリーになるのだ。

一歩間違えれば謎のオブジェともなってしまいそうなツリーの完成。





存分に楽しんだ後ではたと気づく。

これってきっとスターウォーズのファンと一緒で楽しむ動機が欲しかったんだ。

楽しければなんでもいいか。
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ふしぎ

2015年12月19日 | 日記
友達が教えてくれた金子みすゞの詩。



      ふしぎ
          金子みすゞ


  わたしはふしぎでたまらない、
  黒い雲からふる雨が、
  銀にひかっていることが。

  わたしはふしぎでたまらない、
  青いくわの葉たべている、
  かいこが白くなることが。

  わたしはふしぎでたまらない、
  たれもいじらぬ夕顔が、
  ひとりでぱらりと開くのが。
 
  わたしはふしぎでたまらない、
  たれにきいてもわらってて、
  あたりまえだ、ということが。
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時間は未来から流れてくる

2015年12月19日 | 日記
ここ1週間程、同居人Kは風邪で寝込んでいた。

その間熱は下がる気配がなく、38から39度を行ったり来たり。

これはさすがに変だということで昨日病院へ行ってきた。

インフルエンザを確信していたのだが、熱の原因は喉の炎症ということだった。

もらった抗生物質を飲むと、熱もひとまず落ち着き気分もいいようだった。



毎日すり下ろしりんごばかり口にしていたため、少し回復したら他のものが食べたくなったのだろう。

朝目が覚め居間に行くと昨日焼いたホットケーキがおかしなことになっていた。



人が狙わずにやってのけた日々の痕跡は結構面白い。

後から聞くと1日経ち周りが固くなっていたとのこと。



それから久々にお昼の喫茶店に行ってきた。

いつものおじさん店員やマスターの若息子たちはいつになく忙しそうだった。

そうか今日は土曜日。



とめどなく流れてくる朧げな思考をそのまま左から右へと受け流しいろいろなことを忘れよう。

その中で微かに光る塊を取り出すと、その塊はすかさず「古き良き時代」という言葉に形を変えた。

どうやらこの言葉が今日の私のテーマらしい。





満席の店内を見渡しながら、何も見ていない私の目。

なぜ人は常に過去を追いかけるのだろうか。

いや、私がその気が強いだけかもしれない。

今よりも昭和、昭和よりも江戸と遡れば遡る程素敵な時代に行き着くような気がして、

いつも遠い昔に恋いこがれてしまうのだ。

ウディ・アレンの『ミッドナイト・イン・パリ』に少し似ているかな。

時代という大きな枠でなくとも、自分の子どもだった頃に想いを馳せる人は少なくないだろう。

そこで思うのだ、きっと今は未来の人にとっての「古き良き時代」なのだと。



Kが心より待ち望んだ『スターウォーズ』の新作が昨日公開となり、

彼は彼で自身の妄想や想像に耽っているようだった。

そしていきなり「新たなスターウォーズがはじまった現代は未来の人からしたら凄い時代になる。」と言い出した。

厳密には違うけれど、少しだけ似たような妄想をしていたので可笑しかった。



そこから時間の流れの話になった。

時間というのは直線上に流れており、矢印の方向は「過去⇒現在⇒未来」だと疑わなかった。

行動の分岐点が全て枝分かれして無数に増え続けるパワレルワールドも含めて全ては左から右へ。

しかしそんな当たり前だと思っていたことがKの一言によって、揺らいでしまった。

「時間は未来から流れてくるんだよ。」



たとえ言葉を発した相手の意を解さずとも、言葉自体が持つ力というのは凄い。

一瞬にして矢印が逆になってしまった。

いやもしかしたら直線上に流れるのではなく、常に今という起点から右往左往へと流れ出ているのかもしれない。

矢印の先が未来とも限らず、起点が今とも限らない、また行き着く先が過去でも面白い。

それを図にすると七宝のような幾何学模様を描くだろうか。



人を知的創造へと導く言葉は、案外すぐ近くに転がっているのかもしれない。

私はそれを毎度のように拾い上げて吟味したい。



今日は夕日が奇麗だった。

電柱が十字架のようでエヴァンゲリオンの世界みたいだとこれまた妄想の中へダイブ。

夢か現か今なお彷徨っている。

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近頃のメディアリテラシー

2015年12月12日 | 日記
私は初めから学校という場所があまり好きではなかったけれど、

小学校から高校まで社会科の先生には恵まれていたように思う。



小学6年生の頃、アメリカでは丁度大統領選挙が盛り上がっていて、

共和党のブッシュか民主党のゴアかなんていう議論を先生と交わすのが楽しくて、

初めて「社会」という言葉を意識しだしたのである。

当時の私の話はほとんど親の猿真似だったけれど先生は同じレベルで話してくれた。

そのとき出会ったのが「メディアリテラシー」という言葉である。

ーーー
「メディア・リテラシー(英: media literacy)とは、
情報メディアを主体的に読み解いて必要な情報を引き出し、
その真偽を見抜き、活用する能力のこと。」
Wikipediaより引用
ーーー

それ以後その言葉を意識してこの15年間を過ごしてきたのはとても大きかったと思う。

その選挙でブッシュが大統領になり、2001年の同時多発テロが起き、アルカイダへの報復、

イラク戦争、そしてさらに複雑化した中東を取り巻く環境の中から台頭してきたIS。

泥沼化する戦争が常にリアルタイムでそばにあった。

そしていつも自分なりに必要な情報を取捨選択しようとしてきた。

戦争の話だけでなくさまざまなニュースに対しても同様だ。



飛び交う情報の中から真実を見つけるのはとても難しい。

そしてたくさんの情報に触れ、人の言葉を聞けば聞く程「真実」が矛盾を増やしながら膨張していく。

インターネットの普及により情報は複雑化し必要な情報を見つけるのも難しければ、

得た情報が真実か否かすら分からない。

集めた情報はどうしても自分が欲していた主観的なものになってしまい、

初めからシナリオが用意されたドキュメンタリー番組みたいだ。



ここで勘違いしてはならないのが決して「中立」ということが大事ではないということだ。

私は社会的事項において「中立」という言葉は成り立たないと思っている。

そして表面的な「中立」など守る必要もない。



まず持たなければならないのが問題意識である。

そもそも問題意識がなければ考えることすらないだろう。



次に大事なのは情報源と個々の情報の相関関係。

どのような人が発信している情報なのか、いつ発信された情報なのか、

なぜそのタイミングで発信されたのか、というような情報を取り巻く環境を大切にすること。

それらが他の情報と繋がり自然と社会における各情報の位置づけのようなものができてくる。



そして誰の発信した情報なら信じるのかということ、誰なら信じられるのかということ。

それは自分の感覚に任せるしかない。

いきなりとても抽象的な話になってしまったが、私が十数年間考えた現時点での答えがそれだ。

答えというよりそれでもいいんじゃないのかという新たな発見のようなものだ。

もし真実というようなものが存在するとしても、全ての人がその真実にたどり着くことは不可能である。

アポロ11号の月面着陸や温暖化の原因とされている二酸化炭素など世界的に共有されている「真実」においても、

他の様々な「真実」が同時に存在しているのだ。

しかしどうしても多数派を占める意見が真実としてもてはやされてしまう。

そこに疑問を持ち情報を集め自分の信用出来るオピニオンリーダーを見つける。



これでは結局自分の物差しで見ているではないかという批判が出そうだが、

この過程を踏むことで決定的に違うのは自分がどういう物差しで物事を見ているかという自覚を持てることだ。



TPPや原発、安保法制、特定秘密保全法、行き詰まった経済、問題は山積みだ。

来年の参院選に向けて、さらに先にある社会を想ってメディアリテラシーを磨いていかないといけない。

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