歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

君の顔が好きだ、ラキース・スタンフィールド

2023年03月16日 | 映画

斉藤和義の『君の顔が好きだ』という歌があるけれど、あの歌はいい。

よくよく聞けば別に綺麗な顔が好きとは言ってない。

ただ形あるものが好きなんだという真っ正直な歌だと思う。

 

最近、久々に俳優に一目惚れした。

初めて見た瞬間、多少の動揺と共にバキューンと撃ち抜かれた。

顔でこれほど突き刺さるのは稀。

斉藤和義と違って私はこのかっこいい顔が好きだ。

ラキース・スタンフィールド、31歳。

え、ちょ、かっこよすぎでは!??

 

初めて見たのはジョーダンピール監督の『ゲット・アウト』

主役のダニエル・カルーヤもいいけれど、ちょっとしか出ていないラキースにやられた。

白人だらけのパーティーで黒人の後ろ姿を見つけ声をかける主人公だが、

振り返ったラキースの顔に戸惑う。

はっ、かっこいい!!、、、けど怖い。

笑顔なのに人を不安にさせる表情だ。

その時は「なんなんだ彼は?」という衝撃体験として終わった。

ちなみに『ゲット・アウト』はとても面白かった。

人種差別がテーマのホラーなのだけど、着眼点が他と違う。

一見リベラルな白人による理解と無理解、そこらへんの塩梅が絶妙で怖かった。

黄色人種がほとんどの日本で人種差別はピンとこないけれど、我ながら無自覚すぎると思う。

日本人だって欧米に出れば差別される側だ。

今年のオスカーは『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』祭りだった。

作品賞と主演女優賞、助演男優賞など最多7冠を受賞した。

同じアジアにルーツを持つ者として、やはり嬉しいものは嬉しいのだ。

 

それから1ヶ月も経たないうちに彼に再開した。

軽い気持ちで見始めたナイブス・アウト 名探偵と刃の館の秘密だ。

主演がダニエル・クレイグで気楽に観れるかと思ったら、いるではないかラキースが。

こんなメジャーな映画に出る俳優なのか。

物語そっちのけでラキースに釘付けだった。

はぁかっこいい。

ちなみに『ナイブス・アウト』シリーズはどちらも観たけど、あまりはまらなかった。

1作目はジェイリー・ミー・カーティスが印象的だった。

2作目の『グラスオニオン』にはエドワード・ノートンが出ていたので最後まで観た。

薄っぺらで胡散臭い役が本当にうまい。

最後グラスオニオンの邸宅を燃やしたのはよかったと思う。

前半は丁寧に物語を作っておいて、

ラストは理屈抜きで暴力をふるってぶっ壊すという映画が最近増えた気がする。

もはや理屈など通じぬ世界なのかもしれないね。

 

そして知人に勧められたドナルド・グローヴァーのドラマ『アトランタ』

勧められてから数ヶ月決め手がなかったけど、ラキースが出てることを知りすかさず見た。

まーーた変な役、でも本当にかっこいい。

今まで顔に持っていかれて気づかなかったけど、この俳優演技派なのでは?

知性と柔らかさと愚鈍さと怖さを持ったつかみどころのない役だ。

言葉を持っている人なんだけど、実社会ではつまはじきにされるタイプだ。

まだ途中だけど、このドラマ面白いぞ。

主役のドナルド・グローヴァーもいい味出してる。

助演のブライアン・タイリー・ヘンリーは初めて見たけど、

屈強な体躯とは裏腹に、たまに見せる不安そうな表情がいい。

 

『アトランタ』https://www.cinra.net/article/202206-atlanta_ymmtkclより引用↓

オフビートなコメディでありながらアメリカのポップカルチャーや社会状況をクリエイター二人のパーソナルな実感に基づいて描き出してきた『アトランタ』。シーズン1、2ではラッパー「ペーパーボーイ」のマネージャーを担当する主人公アーンを取り巻く周囲の人々を通じて、アメリカで黒人として生きる上で感じる不条理や欺瞞をアイロニカルに描写していたが、今回配信のシーズン3では舞台をヨーロッパにまで広げ、よりシュールかつ幅広い物語が展開される。

 

9月に日本公開される『ホーンテッドマンション』のリメイクにも出るらしいから観に行こう。

その前にエディ・マーフィーの『ホーンテッドマンション』も観なきゃな。

好きな俳優がいると、映画ライフが思わぬ展開をするから楽しいね。

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『ガンニバル』が終わってしまった

2023年02月10日 | 映画

 

いやあ面白かった。

原作ファンとしても映像ファンとしても大満足。

ドラマって長いから途中だれる作品が多いけど、

『ガンニバル』は最初から最後までピーンと緊張が走っていた。

夜電気を消して一人で観ていると背筋のあたりがぞわぞわした。

 

中村梅雀演じる村長のサブさんは強烈だった。

なんなら一番怖かったかもしれない。

後藤家の獣的な暴力性とは違い、現実世界の隣近所に潜む恐怖だ。

現実に存在する部分を少し誇張しただけというリアリティがそうさせる。

「いないけどいそう」の塩梅が抜群にうまい。

不条理で気持ち悪くて怖い。

 

吉原光夫演じる後藤岩男もなかなか迫力あったな。

当主後藤恵介の右腕的な存在で黙々と暴力を振るう。

睦夫とは違って静かなのが逆に不気味だ。

サブさんといい、岩男といい、

キャスティングどうなってんの!?ってくらいばっちりはまっている。

 

それらに対峙していく主人公の阿川大悟も一筋縄ではいかないから面白い。

やっぱり柳楽優弥は最高でした。

安心して阿川大悟を任せられる。

存在感のある人だよ、ホント。

妻との関係性も丁寧に描かれていてよかった。

 

「あの人」の食事台の上に赤い木の実が散らしてあったり、

後藤藍が泣いているそばでインコが餌をついばんでいたり、

目に止まる画はいくつかあったけれどどういう意味があったのかはわからない。

鳥をたくさん飼っていたのは何かの暗喩なのか。

原作にはなかった気がする。

 

終わり方は妥当だと思う。

途中で終わるのはわかっていたことだし、ここで終わるのねという感じ。

私の記憶違いなのか洞窟のところが原作と違った気がしたけどどうなのか、

シーズン2が始まるまでにもう一回漫画読まないとね。

ここまでは原作を忠実になぞってきたけど、これからどうなるか楽しみ。

原作通りに締めくくるもよし、全く別の道を作るもよし。

はあ面白かった。

 

片山慎三監督はポン・ジュノのもとで助監督をした経験のある人らしい。ほほほ

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久々のロード・オブ・ザリング

2022年10月05日 | 映画

「最も好きな映画は何ですか?」

この質問は映画ファンを悩ます難題だ。

愚問とさえ言える。

 

その質問でパッと出てくる作品はいくつかある。

『ジュラシックパーク』

『マトリックス』

『ブレードランナー』、、、。

ビッグネームばかりだけど、案外ミーハーなのです。

忘れてはいけないのが『ロード・オブ・ザリング』。

これは子どもの頃から刷り込まれている。

第一部『旅の仲間』が日本で公開されたのが2002年の2月だから、中学1年の終わり頃。

父が『指輪物語』のファンだったから映画館に連れて行ってくれた。

当時買ってもらったパンフレットを今も持っている。

当時旅の仲間の証であるエルフのリーフブローチが欲しくてねだった記憶がある。

もちろんダメだったけど。

 

この9月からAmazon制作のドラマシリーズ『ロードオブザリング 力の指輪』の配信がはじまった。

ずいぶん前にこのニュースを見た時嬉しくて飛び上がったもんだ。

描かれるのは『旅の仲間』の冒頭部、数千年前のサウロンとの戦争だ。

『ロード・オブ・ザリング』ファンとしては配信初日から観ますわな。

それが、なんというか、立ち上がりが遅くてなかなか引き込まれない。

前作のような広大なファンタジー世界を感じられないのだ。

突っ込みどころも多い。

これは長いシリーズだから気長に行こうとは思う。

そうすると自然にピータージャクソン版が観たくなるわけで、観ました。

1日で3部作全て観たのははじめてかもしれない。

『王の帰還』を見終わったら朝の5時だった。

 

ホビットの村で木にもたれかかっているフロドを観た時早くも胸がいっぱいになった。

『風の谷のナウシカ』の冒頭で全てを思い出し感動するのに似ている。

シャイアにガンダルフが訪れる最初の場面は風の谷にユパ様がくる場面とよく似ている。

 

一人で観たからか、『旅の仲間』からボロ泣き。

次の日顔が変わるくらい涙が出た。

やっぱりボロミアがホビットを庇い死にゆく場面はたまらんな。

イシルドゥアの血をひく正当なる王の末裔アラゴルンの胸の中で、

「My brother, my captain, my king」っていうところ。

ゴンドールの民を救うため暴走した指輪への執着と後悔。

葛藤が彼を人間らしくする。

せめて安らかに眠りたもれ。

アラゴルンもまた血統に悩み苦しんでいたから、ボロミアの言葉は強く響いたんじゃないかな。

 

昔はサムの素晴らしさに目がいきがちだったけれど、最近はフロドの凄さに注目している。

フロドに与えられた大きすぎる使命とその重責。

サムでさえ指輪を前に目の色を変えてしまう。

そんな指輪を肌身離さず身につけ続ける過酷で孤独な戦いだ。

歴史にほとんど名を残さない小さな小さな種族の不屈の精神力に感動する。

偶然居合わせた庭師がその旅を支え続けるんだよなあ。

だめだ、思い出しただけで喉がキューってなる。

本当にいい映画です。

20年経った今見ても圧倒される。

 

『力の指輪』にハマりきれないのって、

もしかしたら主人公が誇り高き高貴なエルフだからかもしれない。

最初から美しくて超人なのよ。

正しくも傲慢な彼女が良くも悪くも人間の毒にさらされて変わっていく姿は見てみたい。

俳優陣がまだ馴染んでいないけれど、いいなと思った人がやっぱりイシルドゥアだった。

彼が英雄として描かれるのか、それとも人間の業を醜く体現する男として描かれるのか楽しみだ。

そして謎の男、あれはもうあれしかないでしょ。

案外楽しんでるかも、わたくし。

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ホラーでアウェー

2022年07月19日 | 映画

夏だからってわけじゃないけど最近立て続けに3本のホラー映画を観た。

気づかないうちにそちらへ誘い込まれているのは、やっぱり夏のせいかな。

Netflixがホラーばかりおすすめしてくるからその流れを止めようがない。

 

 

みんな大好き(知らんけど)『死霊館』シリーズの最新作『悪魔のせいなら、無罪。』

タイトルにすべて詰まっている。

 

2009年のレニー・セルヴィガー主演映画『ケース39』。

福祉士が虐待された子供を預かるところから物語がどんどん不穏な方向へ。

 

そして今Netflixで超話題の台湾ホラー『呪詛』。

私の中で問題なのはこの映画。

世間の評判と私の感想が乖離しすぎていて、ずっともやもやしている。

ちーっとも怖くないし、ちーっとも面白くない。

でも話題になっているだけの理由はちゃんとあるはずなんだよな。

私にはそれがわかっていないのか、それを面白がれないのか。

 

ちゃんとしたホラー映画がNetflixの1位に上がっているのを初めて見た。

ヴィジュアルがいかにもアジアンホラーでタイトルが『呪詛』なんて最っ高と浮かれていた。

正直めっちゃ期待していた。

 

私は映像、本、漫画問わずホラー作品が好きだ。

とてつもない怖さは心を浄化してくれるような作用があると思う。

「恐怖」とは不純物をそぎ落としたとてもクリアな感情であり、

ホラーはその感情に直接触ることができる装置のような物だと考えている。

怖くなくても作り手の美学や精神性が深く反映するから面白い。

と言いつつそこまで観察眼があるわけではないから、あれこれ頭を巡らすのが純粋に楽しいのだ。

海外では若手の登竜門としてホラー映画を作ることがあるらしい。

だからかB級作品も溢れているけど、それはそれで違う面白さがある。

あまりに凄惨、残虐な描写に笑ってしまうくらいにはホラー映像に慣れている。

 

ホラー映画で大事にしているのは怖いか、ストーリーが面白いか、美学があるか、だ。

どれか一つでも感じることができれば総じて面白いと思うのに十分なのだ。

 

 

『呪詛』が怖くない原因はいくつかある。

 

まず全編擬似ドキュメンタリー(モキュメンタリーと言うらしい)の手法が使われているところ。

見せ方自体は嫌いじゃないけれど、撮影者の心情が画面に現れていないよう思う。

特に前半撮影者がほとんど主人公という点で怖さが半減している。

呪いを祓うために録画しているのだろうけど、録画する姿勢が常に冷静すぎるのだ。

娘がいなくなった時はカメラで撮影しながら追いかけるし、

娘がベッドの上で苦しんでいる時は最初にカメラの向きを娘に合わせる。

そんな場面をいくつも重ねると主人公の余裕が強調されて恐怖に対する疑問が浮かぶ。

ここで改めて気づいたのは登場人物が心底怖がっていないと観ている側も怖くないということ。

それとも呪いを浮き彫りにするため異常ともいえる行動を遠回しに見せてきているのか。

だとすると高度すぎる。

 

また主人公の押し付けがましさが気になって、一歩引いて観てしまうというのもある。

必死に追いかけられると逃げたくなる、あの心理だ。

冒頭から主人公はカメラ目線で視聴者に対し呪詛の唱和を求めてくる。

作品への没入感をアップさせる仕組みなんだろうけど、こっちの世界への介入はリアリティを削ぐ。

作品と実生活に通底する恐怖や問題意識は共有するけれど、

直接的に画面を超えてくるのはさ、なんというか面倒臭いというか子供騙しというか、、、。

画面の中のさらに画面の中から出てきた貞子は当時死ぬほど怖かったけど、それはまた別の話。

これに関してはもしかしたら私の性格の問題かもしれない。

そんなこと言ったらすべてそうなるか、ははは。

少し引いて観ていると執拗な唱和の懇願の意味を容易に想像できる。

一つ言えるのはわかっていたからこそ心の中でさえ唱和はしないよう努めたということ。

そこは一応物語に身を任せるんかい!と自分でも思いました。

 

それから上の二つも含めて、仕掛けや技法が盛りだくさんで監督のニヤニヤ顏が透けて見えてしまう。

どうだーうはははは!!!というドヤ顔(監督の顔知らんけど)が見える。

実際のところはわからないけれど、それくらい手法が際立ちすぎてバランスが悪い気がした。

それに散りばめられた各々の仕掛けの向いている方向がどうもちぐはぐなのだ。

恐怖を煽ってくる割には、村での脅かし方にお化け屋敷的なポップさがあったり、

リアリティ装ってるくせに、画面飛び越えてくるし、いったいどうなっとるんじゃーと叫びたい。

あなたはどこを見ているの!?何がしたかったの!?本当の意図は何!?

あれ、もしかして私、監督に振り回されてずっと作品のこと考えてる恋する少女みたい?

 

 

では、ストーリーは面白かったのか。

 

母娘、大陸から伝承された閉鎖的な土着信仰、呪い、軽率な行動が取り返しのつかない禁忌を犯す、、、。

物語を構成するいくつかの項目に目新しさはない。

この作品が話題になっている最大の理由が視聴者巻き込み型による後味の悪さだとしたら、

幾度となく画面越しに訴えかけてくる主人公に心を寄せた人ほど裏切られた時の反動は大きい。

深く没入していればいるほど怖いのだろう。

一歩引いてしまっている時点で相性が悪かった。

だって細かなあれこれが気になって集中できなかったんだもの。

 

 

では作り手の美学を感じたか。

 

監督はホラーを愛しているか。

あれだけ盛りだくさんの仕掛けと技法を使っているという意味ではそうかもしれない。

ホラー映画のびっくり箱という感じだ。

あるいは逆にこういうのが好きなんでしょ?という軽薄さも感じた。

 

美術は凝っていて結構面白かった。

天井の宗教画や見たことない造形の像。

特によかったのが最後に出てくる布で顔を隠された像の顔が有機的な空洞になっていたところ。

隠されたものの正体となるとハードルは上がるけど、いい意味で期待を裏切ってくれた。

 

映画を通して一貫したメッセージやこだわりを感じたかと言われればそうでもない。

台湾のお国事情を知らないから見落としているだけかもしれないけど。

感想で「アジアのミッドサマー」とか言っている人がいるけれどそれは見当違いだ。

田舎の異質な宗教という大まかなイメージからくるものだろうけど、精神性の深度が全然違う。

あれはどこまでいっても人間が主題で、人間の解放の物語だから。

『呪詛』には考えさせる奥行きがない。

 

ここまでいろいろ頭をこねくり回してやっと気づく。

この映画はザ・エンターテイメントなんだ、という初歩的なことに。

子供から大人までが楽しめる夏休みにおすすめのホラー映画なんだということに。

そう考えればホラーのびっくり箱なんて最高じゃないか。

はなから私みたいなニッチなホラー好きに向けて作られていない。

そうやって住み分けをはっきりさせればいいだけの話なのかもしれない。

これだけ映画『呪詛』について考えたのも楽しめなかったのが悔しかったからなんだと思う。

わかったところでやっぱり楽しめはしないんだけど、いろいろ整理ができてよござんした。

我ながらしつこいね。

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最近観た映画云々

2022年05月06日 | 映画
ここ最近またちょくちょく映画を見始めている。

大学では映画研究部に入っていたし夫との出会いだって映画だし、20代半ばくらいまでは貪るように映画を観ていた。

以前は映画好きを自称していたけど、ここのところ映画に対する特別な熱を失っていた。

明確な原因は不明だけどちょうど動画ストリーミングザービスが普及したころと被る。

海外ドラマやアニメを気軽に観れるようになり、惰性で映像作品を観ることが増えた。

そこにきて映画は濃すぎるのだ。観るのに気合がいる。

言い方を変えれば海外ドラマに出会った数年であったとも言える。




私の好きな知識人たちは飽きもせず映画の話をし続けている。

映画ファンというのは根強い。

彼らのお勧めする映画を身始めて少しずつリハビリテーション。

そんなこんなでまた映画の面白さに再会したというわけだ。

今日は最近見て面白かった2作の話。

以下ネタバレあり。



『1917 命をかけた伝令』

監督:サム・メンデス
脚本:サム・メンデス、クリスティ・ウィルソン=ケアンズ
製作:サム・メンデス、ピッパ・ハリス、カラム・マクドゥガル、ブライアン・オリヴァー
製作総指揮:ジェブ・ブロディ他
出演者:ジョージ・マッケイ、ディーン=チャールズ・チャップマン、マーク・ストロング、アンドリュー・スコット
    リチャード・マッデン、クレア・デュバーク、コリン・ファース、ベネディクト・カンバーバッチ
音楽:トーマス・ニューマン
撮影:ロジャー・ディーキンス
公開年:2020(日本)



出た、サム・メンデーーース。

勝手に相性がいいと思っている監督の一人。

しかししばらく映画熱が冷めていたので当時こんな映画が話題になっていたことも知らなかった。



この映画本当に超好き。

観てから1ヶ月以上経つけど、今でもほとんどの場面が目に焼き付いている。

無数の人の命がたった二人の男に託される。

相棒を失って一人になり、どれだけ困難に見舞われようとも折れることを許されない。

責任の重大さと主人公の孤独を思うと今でも泣けてくる。

主役の俳優はぴったりだった。

言葉少なく淡々と前に進む誠実な男がよく似合う。

主役の二人が無名俳優で脇にスター俳優を置く演出がにくい。

孤独や苦痛に満ちた映像の中にパッと花が開くようだった。

特に最後に出てくるカンバーバッチね。



この映画を語る上で外せないのがワンカット演出だろう。

でもこれらは語り尽くされてるだろからあまり触れないでおく。

もれなくメイキング映像が観たくなる映画であることは間違いない。

撮影規模のあまりの大きさに日本とは映画の概念が違うなと改めて確認し感服。

映画の力を見せつけられました。

何度も観たくなる映画です。





『ベルファスト』

監督・脚本:ケネス・ブラナー
製作:ケネス・ブラナー、ローラ・バーウィック、ベッカ・コヴァチック、テイマー・トーマス
出演者:ジュード・ヒル(英語版)、カトリーナ・バルフ、ジェイミー・ドーナン、ジュディ・デンチ
音楽:ヴァン・モリソン
撮影:ハリス・ザンバーラウコス
公開年:2022



これ、夫が見たいというので映画館へ観に行ったのだけど、映画館でボロ泣きしました。

私が泣くかどうかは作品の良し悪しに関係ないけれど、映画館でこんなに涙が止まらなかったのははじめて。

反対に夫は「面白いのだろうことはわかるけどピンとこなかった」とのこと。



舞台は60年代のアイルランドの都市ベルファスト、主人公はそこに暮らす少年だ。

監督の自叙伝的映画だとラジオかなんかで聞いた。

宗教闘争による分断と翻弄される町、そして一つの家族の物語だ。

夫と話していたのは切実な宗教観を日本人が理解するのは本当に難しいということ。

欧米の映画では驚くほど多くの作品に宗教が密接に関わっているし、

よくわからんなと思ったら宗教のメタファーだったなんてことも多々ある。

ただこの物語を今作ったという意味では「分断」という主題が強いんじゃないかと思う。

相容れない対立。

冒頭から経済難や宗教闘争による閉塞感が充満している。

それでもこの作品が軽やかなのは子供の視点で描かれているからだろう。



この作品では家族が幾つかの選択に迫られる。

プロテスタントかカトリックか、町を出るか居続けるか、離婚するかしないか。

私は途中からこの家族は壊れるなと思っていた。

ここまで来て壊れないなんてセオリーから外れてる、と。

だからお葬式後のパーティーでお父さんがマイクをとりお母さんへ愛の告白したときはびっくりして涙が出た。

家族が一緒にいるという選択は必然的に町を出るという道につながる。

一見単純そうで困難な道を選ばせたことに監督の願いのようなものを感じた。



一番胸にきたのは最後だ。

町を出て行く家族を見送るおばあちゃんの顔と言葉に涙が溢れてエンドロールが滲んでいた。

町を出る者、居続ける者、どちらの困難も続いていくのだ。

淡々と描かれる前半から後半の意外性と突きつけられる現実に感情がブワッと溢れた。

このおばあちゃんがあまりにも作品に馴染んでいるものだから最後までジュディ・デンチだって気づかなかった。

おじいちゃんのかっこよさとなんといっても音楽ヴァン・モリソンが効いていた。

ヴァン・モリソンはベルファスト出身とのこと。



余談だけど『ベルファスト』を観た後に『テネット』を観たら重要な役でケネスブラナーが出ていてなんだか笑えた。

『テネット』はあまりピンとこなかったな。

キャラクターが魅力的でなかったのが一番の原因だと思う。

あと面白いアイディアもたくさんあったけど、わかりやすい伏線とその回収にドーパミンが消失した。

面倒くさい女になってしまったかな、いやもともと面倒くさい女か。

評価は高いようだから、私がずれているのかも。
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