歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

ピンクの Tシャツの少年

2021年04月22日 | 日記
「赤いチョッキの少年」というセザンヌの絵がある。

何年も前、ワシントンナショナルギャラリー所蔵の印象派の展覧会がありそこでその絵を見た。

対峙した瞬間、絵から風が吹いてくるような錯覚に囚われたのを鮮明に覚えている。

あれは絵に感動した初めての体験だったのかもしれない。

絵の善し悪しや好き嫌いを判断するような段階ではなかった。

理屈を飛び越えて、その絵の前から動けなかった。

わけがわからなかった。



セザンヌの話は置いておいて本題である、私が見かけた少年の話だ。

数日前、ホームセンターへの道すがら車で信号を待っていた時のこと。

車の横を自転車に乗った少年が通り過ぎ、先のコンビニの駐車場に入っていった。

少年はショッキングピンクのブカブかなTシャツを着ていて、空気が入った背中が膨らんでいた。

腰を曲げ浅くサドルに乗っかって、ゆっくり駐車場を旋回してから違う方向へ消えていった。

歳は小学校高学年くらいだと思う。

長い前髪が風に流され表情が見えたような、見えていないような。

その少年の姿が目に焼き付いて離れない。

どこへでもどこまでも行ってしまいそうな不思議な重力を持った少年だった。

まるで羽でもついていて飛んでいるかのような。

セザンヌの「赤いチョッキの少年」じゃないけど彼を「ピンクのTシャツの少年」と名付けよう。



なぜ彼に目を奪われたのか考えてみた。

年頃の少年が自意識を飛び越してどピンクのTシャツを着ていたこと。

そのTシャツはぶかぶかで、その点においては幼さが強調されていたこと。

風が吹いて見えた一瞬の横顔がやけに涼やかだったこと。

腰を曲げ後傾気味に座りゆっくり走る姿に小学生ならぬ余裕を感じたこと。

目的もなくコンビニの駐車場に入り何もせずに去っていたこと。

チグハグなイメージが共存して、私に心地のいい違和感を与えてくれた。

軽やかで自由で自立した幼い少年。

本当は何も考えていない姿勢の悪い少年だったのかもしれないけどね。


「ピンクのTシャツの少年」
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生きる気ないんかい

2021年04月08日 | 日記
車内での会話。

私「無人島に行くとしたら何を持っていく?一つだけね。」

夫「ん〜。」

私「私はナイフかノコギリ。」

夫「毛布かな。」

私「そんなん無人島で何の役にも立たんやろ。」

夫「寒い無人島に飛ばされるかもしれないじゃん。」

私「その発想はなかったわ。無人島といえば南国でしょ。
それに寒い無人島なら毛布あっても多分死ぬよ。」

夫「ん〜じゃあコンビニの流通システム。」

私「そういうのじゃなくて。」

夫「クルーザー、セスナ。」

なんじゃこいつ、話にならん。
いちいち説明しないといけないのか。

私「今の自分が持っていけるもので、自分一人で使えるものだよ。」

夫「じゃあ毛布。」

話が進まない。
私はこの人の思考回路がわからない。
とにかく無人島でサバイバルをするというイメージがほとんどないのだろう。
それにしても毛布って全然生きる気ないでしょ。

いや私が悪いのか?
ほとんど説明していないのに、自分のイメージを押し付けすぎたのか。
彼の個性と思われる回答を尊重すべき?
それとも普通通じるでしょっていう雑な問いかけに対する批判のためわざと?
テンプレート的会話への抗議?

私「生きのびる気ないでしょ。」

夫は眉間にしわを寄せて考え込んでいる。
あ、この人本気だ。
毛布、本気だったんだ。
そういえば毛布への異様な執着を日々感じていた。
私はそれに対してなんとなく違和感を感じていた。
夏でも毛布だった。
ふわふわが張り付いて気持ち悪いだろうに。
嗚呼。

私「毛布でいいです。」


道端のたんぽぽ


哀愁漂うヒメノオドリコソウ


窓辺のじゅげむ
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