歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

<おすすめ文房具>コクヨの測量野帳

2016年09月22日 | 文房具
鞄の中には出来る限りメモ帳を忍ばせておきたい。

スマートフォンのメモ帳で十分な気もしないではないが、

文字を書くことが脳に良い刺激を与えるような気がして紙のメモ帳を重宝している。

癖というのも大したもので、ペンを握るという動作一つが物事を考えるルーティンになる。




そこで私の頭を悩ませてきたのが、どのメモ帳を使うかという問題である。

誰かは「書ければ何でもいいじゃん」と言うかもしれない。

しかしよく使う者にとっては手触り、紙質など些細な事がいちいち気になってしまうのだ。

メモ帳一つが私のモチベーションに関わってくる。



今まで使ったメモ帳をいくつか紹介したいと思う。
価格は参考まで。

まずはA5サイズのものをいくつか、このサイズになるとメモ帳と呼ぶには少し大きかった。


●左:無印良品「上質紙滑らかな書き味のダブルリングノート」価格500円

●右:MARK'S inc. 「DAYS(?多分)」
ビビッドで見た目が可愛らしかった。

いずれも際立つ魅力はなく、1回きり。





●両方:ミドリ「MD*ノートコットン」価格916円(ただしAmazon)
シンプルな見た目と、紙質がお気に入り。
柔らかくしっかりとした紙はインクの染み方が素直で気持ちいい。
開いた時のフラット感が絶妙でどのページでも書きやすいのがポイント。
同色のスピンが付いているのも嬉しい。

難点は少し大きいのと値が張るということ。
常時使うメモ帳にはもったいないので、最近は大事な事を書くノートとして使っている。
*MD:「ミドリダイアリー用紙」の略。ダイアリーのために1960年代に誕生したミドリ社のオリジナル用紙で
インクがにじみにくく、裏抜けしにくい、といった高い筆記適性、心地よく書けることにこだわった日本製の紙



次は少しサイズが小さくなる。


●無印良品「再生紙単行本ノート約195x137mm184枚」価格214円
このボリュームで214円は安すぎる。
これ程、思いつくまま気兼ねなく書けるノートはない。
さらに見た目が文庫本のようでなんだかお洒落だ。
MDノート同様赤いスピンが付いている。
難点は開いたとき左右へ盛り上がりができ少し書きにくいことと、他に比べて重いということ。




次はメモ帳らしくだいたいA6サイズのメモ帳。


●左:文運堂「再生紙メモ帳 (天のり)」価格120円+税
机の片隅に置いておくと便利。

●右:知人のアメリカのお土産
見た目が好きだが、あまり実用的ではない。






●左:MARK'S inc. 「DAYS」
上記のものとサイズが違うだけ。
MARK'Sのメモ帳は開いた時のワクワク感がない。
というのもことメモ帳に関しては基本的に黒い罫線があまり好きではないからだ。
出来れば無地、薄い点、薄い罫線を望む。

●右:マルマン「ポケット判 クロッキー 白クロッキー紙」価格339円(ただしAmazon)
ちょっとした絵を書くにはいいが、表紙が柔らかいのでフィールドワークには向かない。
でも結構好きな方。





(写真はミドリホームページより拝借)


●ミドリ「スパイラルリングノート <A6スリム> 無罫 北国シロクマ柄」価格540円
ミドリのスパイラルリングノートシリーズはかなり気に入っている。
紙質や紙の仕様によって他にも「砂漠ラクダ」「南国カンガルー」「草原ミツバチ」「大陸ゾウ」などの種類がある。
シロクマノートは「雪原を歩くシロクマのように真っ白なMD*用紙」を使っているらしい。
シロクマのワンポイントも可愛らしい。
このメモ帳はとても気に入っているが、やはり少し高めだ。






(写真はミドリホームページより拝借)
●ミドリ「MDノート <文庫> 横罫」価格648円
このメモ帳もかなり気に入っていた。
持っているだけで、開くだけでワクワクするノートだ。
大きいMDノートと同じく紙もしっかりしていて開いた時の違和感がなく書きやすい。
これも少し高め。



ここまで見てきて、傾向としてミドリか無印良品を使う確率が多いようだ。

無印の再生紙ノートはコストパフォーマンスはよく、ミドリのノートは品質がよい。

そのかわり品質を妥協するのか、値段を妥協するのかという問題が出てくる。

そこで最近メモ帳として最高のノートを発見したのだ。

それがコクヨの「測量野鳥」!!



●コクヨ「測量野鳥スケッチブック セ-Y3」価格:かなり幅があるが私が買ったのは10冊1,358円
このノートが凄いのはこのルックスで200円以下という超コストパフォーマンスを実現した点。
さらにサイズ感、紙の質感、開いた時のフラット感、ページ数、重量など全てにおいてメモ帳として最適なのだ。
「測量野鳥」という名前も気に入っている。


上を見て分かる様に表紙がかなり厚く、フィールドワークにも適している。

薄い水色の方眼が施されている。
本当最高のメモ帳なので、是非。

「測量野鳥」
1959年発売の測量野帳は、発売の10年前(1949年)に測量法が制定されたのをきっかけに、ニーズが増大した測量業務の現場の声を反映し開発されました。コクヨでは、ノートなら「ノ」で始まる品番、製図用品なら「セ」で始まる品番がつけられています。測量野帳は、ノートのように見えますが、「セ-Y1」などのように製図用品の品番が付いています。測量野帳は発売から50年以上が経過しました。しかし、品質改善のための仕様変更があった以外ほとんどデザインが変わらない珍しい商品です。屋外で、片手に持って筆記しやすいように、そして耐久性を持たせるように硬い表紙を採用。現場の方の作業着のポケットに入るようにサイズを設定しました。(ホームページより)
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百万畳ラビリンス

2016年09月18日 | 日記
なんの前情報もなく、気まぐれで読んだ漫画がとても面白かった。

たかみちの『百万畳ラビリンス』だ。

新感覚のSFといった感じだろうか。

何がいいってまずタイトルがいい。



登場人物は少なく、初めは淡々と進むので何じゃこりゃという感じなのだが、

読み進めるとじわじわとその世界観にはまっていく。

上下2巻なのであまり期待していなかったのだが、読み終わった後はえもいわれぬ満足感に満たされた。



ネットでレビューを見てみると「ゲーム好きにおすすめしたい漫画」と評されていたけど、

ゲームが好きでなくても十分楽しめるストーリーだった。

サスペンスとかミステリーとか工夫された話が好きな人はきっとこの漫画も好きだ。

現に私はゲームをほとんどした事がない。



読んでいてこんなにワクワクする漫画は珍しい。

興味がある方は是非読んでみてください。

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つい身に付いてしまった添削脳

2016年09月17日 | 空想日記
自分の放った言葉に、思いがけなく強い力が纏う瞬間がある。

それは度々、ネガティブで断定的な言葉を発した時に起こる。



「無駄」



役に立たないこと。

それをしただけのかいがないこと。また、そのさま。

無益。



という意味らしい(goo辞書)。

紙の辞書を買おう、いまいち説得力に欠ける。

「無駄」であることは多くの日本人にとって、忌み嫌うべき対象なのだ。



生産性を求める過剰な合理主義には違和感を覚える。

以前にも書いたが、なぜ社会では仕事ができる人が賞賛の的になり、

仕事ができない人は戒められるのかとう疑問が未だに解消されていない。

効率性・利便性を追い求めれば至極当然のことのようにも思えるけれど、本当にそうだろうか。

「当然」という言葉が一番怪しい。

社会を構成する要員として興味深いのはむしろ後者の方だったりする。



しかし我が身振り返れば、私も例外でなく身にしみた効率主義がだだ漏れる。

身近な話をすれば「無駄な物は省く」という思想が根強いのはそのためかもしれない。

使う物だけがあればなにかと探し物も楽になるだろう。

しかしここで難しいのは大事な物と使う物が必ずしも一致しないと言うこと。



昨年秋、母が体調を崩したのもあり1ヶ月ほど実家に帰って家の手伝いをした。

主に掃除。

少し非情かもしれないけれど、使わない物はどんどん捨てるというやり方だ。

何に使うのかよく分からないものはとにかく母に詰め寄った。

「いるの?いらないの?」

「いるの?いらないの?」



実家には90も半ばのおばあちゃんが住んでいる。

もう私のことも分からないみたいだが、存在感は大きい。

関係のない話だが居間で寝てしまった日、真夜中に物音で目が覚めると、

おばあちゃんが今にも覆い被さってきそうな態勢でこっちを見ていた時は心臓が止まるかと思った。

そんな彼女の部屋は人形や飾り物や衣服で溢れ、物がたくさんあるため煩雑としている。

そのほとんどは私にとって無駄な物に思える。

おばあちゃんが寝ている隙に、これはいらないだろうと思った物を少しずつ部屋から運び出していると、

おばあちゃんはいつの間にか起き上がり、それを大事そうに拾っていた。

彼女にとって大事な物なのだ。



「物より思い出、プライスレス」という有名なキャッチコピーがあるけれど、

私が思っているより人が物に対して持つ思い入れは大きいのかもしれない。

それを切り捨てる行為は、人によっては自己を引き裂かれるほどの大きな事態となり得る。

これは非常に個人的な問題であり、きっと他人が軽々しく首を突っ込むべき事ではないのだ。

もちろん仕事場となると話は別だが。



余分な物は切り捨てる、削ぎ落す。

その先にあるのはなんだろう。



私が高校3年生になった年、学校の校長が変わった。

なんでも学校を挙げて小論文に力を入れ受験の合格率を上げたという実績を持った人らしかった。

少し面白そうと思ったのはつかの間、皆同じような本を買わされ小論文の訓練がはじまった。

この校長先生をあまり好きになれなかった決定的な言葉が、

「小論文も他の教科と同じで答えが決まっているからあとは流れを覚えるだけ」というもの。

膨らんだ期待感はこれによって一瞬にしてしぼんでしまった。

自分の考えを真面目に書けば書くほど、返ってきた原稿用紙は赤ペンで添削されていた。

割り切って校長の言う通りに書いたら、校長室に呼ばれお褒めの言葉をいただくことが出来た。



無駄な文章は省き、適切な言葉を沿える。

これは文章を書く上でとても基本的な事だ。

しかしここで言う「無駄」は、同じ答えを導くために不必要となる文章という意味だ。

つまり「個人の考え」がそれに相当する。

このように教育の名の下で個人的な部分を削ぎ落し同じ方向を向かざるを得ない環境に侵される。

私の中で小論文事件と呼ぶこの出来事は、意識的に感じ取った添削脳育成のはじまりだったのかもしれない。



「添削」本来の意味には付け加えるという意味も含まれるが、

ここで使う「添削」は主に他人が人の物を良くするために削る・省く行為を指す。

また自分自身に対しても自らが他者的視点で添削していることを前提にしたい。



ないがしろにされがちな「無駄」が実は人間っぽさであったり、私っぽさなのだと最近思う。

無駄な物、無駄な時間、無駄な言葉、いろいろあるけれどそれは言い方を変えれば、

「隙間」、「余白」、「余韻」などとすることが出来るのではないだろうか。

それらはガチガチに管理された社会の中でクッションのような役割を果たす重要な要素だ。

そういう意味では、社会では仕事ができる人と同じくらい仕事ができない人も重要な役割を果たしていると言える。



偉そうに「無駄」という言葉を使うのは改めよう。

「当たり前」の中にある傲慢さをもう少し和らげる事ができたらいいなと思う今日この頃。
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