歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

暮らしをはじめる

2015年10月24日 | 日記
まずこの動画を見てほしい。





この動画を見て手動洗濯機というものをはじめて知った。

同時に生活に対するいろいろな考えが浮かんできた。



この動画は誰かのブログで電力を使わないためのアイテムとして紹介されていた。

3.11後、自分のライフスタイルを顧みた人は少なくない。

その中で今までの生活を変えたり変えなかったり、変えたくてもできなかったりといろんな人がいる。

私について言うのであれば頭の中で大変革が起きたとはいえ、実際に何か変わったかと聞かれればわからない。



さて手動洗濯機だが、迷わずこの洗濯機が欲しいという人は少ないのではないだろうか。

理由として第一に挙げられるのが、不便だということ。

第二に本当に奇麗になるのかという疑問。



いずれにしろ、毎日を忙しく過ごしている人たちにとって不便というのは致命的である。

では強い意志をもって生活している人たちのためだけに作られた商品なのか、否。

この商品は生活における諸作業に「楽しい」というアクセントを与えてくれるのではないだろうか。



根本的な話をしよう。

昨今生活する上で必要不可欠な要素として求められるのが便利さである。

既に十分便利なものまで改良を重ねさらに便利にさらに便利にと飽くなき追求が続く。

そもそも何のためにここまで便利さを求めるのだろうか。

それは仕事が生活の大部分を占めるがため、仕事以外の時間をいかに楽にスムーズに過ごすかという命題があるからだ。

さらに便利さを求めることで自由な時間を多くつくるということも大切だ。

そして仕事においては便利であることは直接利便性・効率性に繋がっていく。



もはや根っこにあるこういった目的も忘れ便利であることがあまりにも当たり前になってしまった。

その結果手にしたのは、さらにせわしなく過ぎる日々だ。

皮肉にも便利さは忙しさを加速させる。



今まで私の口癖は「面倒くさい」だった。

家の中ではなるべく面倒なことはさけ、家事は表面的にさらっと済ますというのが常。

自分の時間だと実感出来る時間(読書、映画鑑賞、ぼーっとする時間など)は大切にするが、

基本的な生活のための諸動作に関してはかなりおざなりにしてきたように思う。

今回この動画を見ることでそんな自分の生活を振り返ることができた。

もう少し人間として暮らすということに密着出来ないだろうか。

それが猛スピードで回転する社会の歯車から逸脱するヒントになるように思う。



そのための一助となるのが、不便さである。

不便であれば人は工夫するしその分体も動かさなければいけないが、それが生活に創造性をうむ。



洗濯物を全て全自動洗濯機につっこんで「はい、おしまい」というのでは味気ない。

動画の手動洗濯機であれば、足を動かし洗濯の現場に居合わせることで服を洗うということに親しみを持てる。

それに派生して服を大切にするという意識が芽生え、さらにはものを大切にするということに繋がっていく。



また現代は欲しいものが何でも買える時代にあり、自分で必要なものをつくるという習慣がほとんどなくなってきている。

和裁をしていた母曰く「昔は皆自分の着る着物は自分でつくっていた」のだとか。

着物は難しくても、当たり前に買うものとして受け止めているものの多くは案外簡単につくることができたりする。

買うことは簡単だからすぐに捨てる、そういった行為は持続社会に逆行する。



その他にも掃除を丁寧にしてみたり、料理に力を入れてみたり、着物で生活してみたり、野菜を育ててみたり。

前向きな姿勢でそういうことに取り組めたら、不便とか便利とかいう概念も消えてくるかもしれない。



手動洗濯機はまだ買わないけれど、私も暮らしという部分にもっと注目していきたい。

まだ想像の段階だが日々に活力が生まれてくるような気がしてわくわくするのだ。



安い毛糸を買ってきて自分で編んでみた。
これが簡単で驚いた。
コメント (1)
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