歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

eiga.『アメリカン・ラプソディ』

2011年06月29日 | 映画
たんぽぽのわがまま映画批評No.12
『アメリカン・ラプソディ』アメリカ/2001
監督:エヴァ・ガルドス 
脚本:エヴァ・ガルドス
音楽:クリフ・エデルマン

キャスト:ナスターシャ・キンスキー、スカーレット・ヨハンソン、ラファエラ・バンサギ、トニー・ゴールドウィン、エミー・ロッサム


冷戦時、共産主義体制下のハンガリーで一組の家族が自由を求めアメリカへと亡命する。
赤ん坊だったジュジーにとって亡命は危険すぎた。
そのためジュジーはひとりハンガリーに残されることになる。

家族の悲しみと、後悔。
それでも家族にはアメリカに経つほか道はなかった。

それから6年。
里親に育てられたジュジーは、本当の家族を知らぬままハンガリーで何不自由なく幸せに暮らしていた。
しかし、その時はきてしまった。
ジュジーは何も知らされず、アメリカへと送り出される。
そこにはアメリカに住む、血のつながった家族との暮らしが待っていた。
顔の知らないおじさんとおばさん。

幼い子どもにとっては、育ての親が本当の親。
わけのわからぬまま、知らない人との生活が始まる。

実話だと思うと見てられなかった。
彼女に選択権はなかった。
そこらへんのところが曖昧になったまま、家族として暮らしていかなければならなかった。

宙に浮いている状態だ。
彼女は誰かと繋がっていたのだろうか。

なんとこの映画、監督自身の話なんだとか。
若き日のスカーレット・ヨハンスンが、リアルな反抗期を見せてくれる。

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コウシン

2011年06月29日 | 日記
コウシン

更新
交信
行進
後進

久々の更新。
最近なんだかネットの調子が悪いようで、なかなか更新に至らなかった。

今日は仕事が休みなので、母に頼まれていたモノを作っている。




話は変わるが、田中優さんのツイッターに送電線国有化を目指す署名活動が紹介されていた。
現在、日本における送電線は電力会社の独占状態。
送電線の国有化とは、いわば市場における自由化を意味する。

なぜ日本の電気料金は世界1高いのか?
なぜ日本では、電力の供給元が同じ電力会社なのか。
なぜ電力会社がすごい権力をもっているのか?

送電線の問題はいろんな疑問に答えてくれる。


送電線は自由化されなければいけない。
そのための署名である。
この署名は、7月7日の七夕に送電線の国有化を目指す国会議員に渡される。




今年の夏は電力が足りない。
そんなことが言われているが、真実はどうだろうか?
東京電力管内には、用水発電や企業の自家発電による埋蔵電力が多量に眠っており、それらを合わせれば電力は全然足りるなんて話がある。
仮に原発を止めたとしてもだ。

電力会社が送電線を独り占めしてるがゆえに、我々には見えない埋蔵電力、、、
それも原発を押し進め、総括原価方式のもと電気料金から架空の利益をせしめるためだ。

「計画停電」なんて言葉に惑わされてはいけない。
あれは原発の必要性を説くための、東電と政府によるPR活動にすぎない。
と、自民党の河野太郎氏がはっきりと公言していた。


何はともあれ、送電線の国有化を願って。







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夏至

2011年06月22日 | 日記
今日は夏至。
一年を通して日の出てる時間が一番長いのだとか。

夏の始まりを告げるように、神奈川は今日久々の晴れ模様。

青空はどれだけ見ていても、見飽きるという事がない。
晴れているうちにめいいっぱい青空を拝む。

長い長い梅雨は終るだろうか。
どんよりとした空気は、気分も一緒にどこか遠くに持っていってしまう。

明日も晴れますように。


今日久々に会った友達に誕生日カードとプレゼントをもらった。



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憂鬱ビルディング

2011年06月16日 | 日記
要因はいくつもあるだろう。



日常生活の中で、当たり前のようにビルに囲まれて暮らすこと。

人がこんなにもいるのに、それに反比例して増幅する閉鎖感。

満員電車。

遅れてきた5月病。



都会の憂鬱がここに完成する。



何もない。

この安穏とした日々に溶け込むのが怖いのだ。

意地とプライドと頑固さをもってしてようやく追いつく。

お気に入りの音楽をiPod再生。

矢印は内に向かって進んでいく。



「今」を置き去りにしては何も始まらない。


空を見上げよ。

地面を探れ。



その先には都会の片隅に凛と咲くドクダミの花。



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eiga.『チェ・ゲバラ&カストロ』

2011年06月15日 | 映画
たんぽぽのわがまま映画批評No.11
『チェ・ゲバラ&カストロ』アメリカ/2002
監督:デヴィッド・アットウッド
脚本:スティーヴン・トルキン
音楽:ジョン・アルトマン

キャスト:ピクトル・フーゴ・マルティン、ガエル・ガルシア・ベルナル、パトリシア・ヴェラスケス、セシリア・スアレス、ディエゴ・ルナ


未だ知り得ないチェ・ゲバラへの期待が強すぎたか、
あるいはガエル・ガルシア・ベルナルを全面に押し出したDVDのジャケットに惑わされたか、
原因はたくさんあるが、とにかく単純に面白いとは言い難い。

『CHE』を先に見てしまったのも大きい。
あの密な映画を観た後に観ると、どうしても革命の総集編といった感じに思えてしまう。
展開早っ!!みたいな。
そして『CHE』のデル・トロがかっこよすぎた。

また『モーターサイクル・ダイアリーズ』のあの穏やかで勇ましいガエル・ガルシア・ベルナルに理想をおきすぎた。
『チェ・ゲバラ&カストロ』は『モーターサイクル・ダイアリーズ』の前につくられた。
つまりより若いガエルが、より大人のチェを演じる事になったわけだ。

でも最大の誤算は、主演がカストロだったこと。
この映画では革命時チェは、カストロの後ろについていくだけ。
それでは正直物足りない。
これこそ個人的な話だ。

単純ではあるが、この映画でカストロについても勉強したくなった。
特に独裁政権時のカストロ。
『CHE』ではカストロの人生はほとんど語られない。

とにもかくにもこの映画は私の中で、他の映画との比較により駄作になてしまった。
もう少し冷静に観れるように意識した方がいいかも。


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