だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

新年のごあいさつ

2018-01-01 17:35:40 | Weblog

新年明けましておめでとうございます。

 昨年はいろいろと感慨深いものがありました。私が環境学に参入したのは、2001年に名古屋大学に環境学研究科が設立されてからでした。それまで地球科学をやっていたので、その蓄積が活かせるものをと思い、自然エネルギーの研究を始めました。

 当時はまだ自然エネルギーは篤志家がお金をかけて導入するもので、社会に広く普及する展望はまったくありませんでした。私は日本では小水力と木質バイオマスが有望ということが分かったので、それらの資源がある山村に行くようになりました。まず勉強させてもらったのは愛知県豊根村です。当時、東海地方で初めて木質ペレットを生産する設備を導入したところでした。私が豊根村で学んだことは、日本の山村には資源がものすごく豊富にあることと、過疎が進み若い人がいないために、せっかくの資源を管理し活用することができないという状況でした。

 そこで、まず山村の過疎問題を解決しなければ、木質バイオマスや小水力の利用はありえないということで、まずは過疎問題の研究をすることにしました。過疎問題の解決とは、村に若い人が住み着くということなのですが、当時はどうすれば良いか、どういう展望があるのかまったく分かりませんでした。若い人が都会に出て行くのがもう半世紀にわたって当たり前のことなのに、都会から若い人がいなかにやってくるというのはありえないことのように思えました。 

 それから17年がたちました。今、あちこちで太陽光発電のパネルが並んでいます。自然エネルギーの中でも太陽光発電は爆発的に普及が進み、山村でも山を切り拓いた発電所が普通に見られるようになりました。山村の地域経済は厳しいのですが、太陽光発電の利益で一息ついている現状もあります。一方、これ以上の普及によって山の生態系が破壊されてしまうことを心配しなくてはいけなくなりました。

 また「移住ブーム」と言われるほど、都会から若い人たちが山村に移住してくるようになりました。この間、私はご縁があって豊田市の山村の移住・定住支援に関わるようになりました。そこでどうやれば若い人がいなかにやってきて住み着けるのか、自分自身の試行錯誤と住民の取り組みに学び、大まかにはその方法論が分かりました。私は豊田市のおいでんさんそんセンターの設立にも関わり理事をしています。その方法論はセンターが発行しているパンフレットとノウハウとして実践に活かされています。センターを拠点に豊田市内の各地で住民の取り組みが進んでいます。その結果として、豊田市の山村には、もう特別でめずらしいことではなく、普通に若い世代が移住してくる流れができました。子どもの数が増加し始めた地区が出てくるに及んで、実に感慨深いものがあります。

 自然エネルギーの爆発的普及と、農山村への移住ブーム。豊根村で勉強していた当時には想像もつかないことでした。時代は動く。そう実感し、また自信も得られました。

 今年からは新しいテーマにも取り組みたいと思っています。自然エネルギーの普及と農山村への若い世代の移住はある意味で社会の変化の「見える」部分です。その奥にある、さらに本質的な部分に触るようなことをしてみたい。現代の世界が持続不可能なのはそれが大量生産・大量消費のシステムを基盤としているからです。その前後に資源の大量採取と廃棄物の大量廃棄を伴うために、有限な地球では早晩行き詰まる、つまり持続不可能になっています。

 このシステムのキモは人々の心をコントロールするところにあります。つまり生活者に「必要以上にモノを買わせ、まだ使えるモノを捨てさせる」ようなシステムです。最近、アップル社が古いタイプのiPhoneの性能を落とすようなプログラムをOSの中に組み込んでいることがわかり問題になっています。アップル社は電池が古くなった際にトラブルを防ぐ機能だと説明していますが、額面通りには受け取れません。新しい機種を次々に登場させて販売を維持し伸ばすには、利用者には古い機種を捨ててもらわなくてはいけません。私はXが出た時代に5を使っていますが、機能の上で何の不満もありません。割れたガラスを修理しバッテリーも交換しました。アップル社のプログラムは、そういう「モノ持ちの良い」利用者の気持ちを操作しようとするものと受け取られても仕方ありません。

 次々と新しい商品を開発すること、コマーシャル、さらには機器に組み込まれた隠れた機能まで、私たちの心を操作しようとする仕掛けが満載されているのが現代社会です。そのような操作から自由になろうとすれば、どうすれば良いのか。これが逆に持続可能な社会を作るキモになるのだと思います。

 そのヒントは家庭菜園にあると思います。なぜ多くの人がネコの額のような畑で家族が食べる野菜を手作りするのか。自分の人件費まで考えればスーパーで買ったほうが絶対安いし立派な野菜が手に入ります。一つの理由は、スーパーで売っている大量生産品では安心できないということがあります。本当に安心できるものを食べたければ自分で作るしかないとも言えます。また自分で作ったものは必ずおいしいのです。スーパーの棚に並んでいれば絶対に手に取らないような小さく形や色が悪いものでも、自分で作ったものはおいしい。それは一種の魔法です。消費社会の心の操作を解いてくれる魔法のおまじないです。

 この考え方を食べ物以外にも拡張できないでしょうか。着るものを手作りする人はいます。昔はそれが普通でしたね。住まいはどうでしょう。これも最近は手作りする人も出てきました。次はエネルギーではないでしょうか。電気を手作りするのはどうでしょう。さらにその電気を使う機器を手作りするというのは。

 私たちはピコ水力発電という小さな小さな発電技術の研究をしてきました。その中で気付いたことは、これも「魔法のおまじない」になるということです。自分で作った電気を利用して生活の一部に役立てるというのには、なんとも言えない愉しさがあります。太陽光パネルでも、水車でも風車でも小さなものは自分で設計して自作することができます。

 さらに私たちは家電品などの電気機器は大企業が高い技術で開発しないとダメと思い込んでいますが、本当にそうでしょうか。大企業の技術というのは最終的に大量生産されて採算が取れないとダメなのです。したがって、そうでない技術は研究されないので、実は自分で作る、あるいは仲間で作るとしたら、これまで見向きもされなかった領域にさまざまな技術的な可能性があります。

 さらに家電量販店で売っているものは、本当に自分が欲しいものでしょうか。これらの製品は大量生産に乗らないと生産されず、多くの人に受け入れられなければならないので、デザインや機能に制約があります。機能についてはむしろありすぎですね。まれにそういう機能を使う人もいるかもしれませんが、多くの人にとっては必要のない機能が、「目新しさ」という心の操作のために搭載されています。また大企業は安全性や耐久性を保証するために大変なコストをかけて製品開発をしており、たいていは過剰性能となっています。自分で作って自分で使い、故障すれば自分で修理する自己責任の世界ならば、もっとシンプルにモノづくりができます。私たちは量販店やアマゾンのサイトに並べてられているものを選択するしかないと思い込んでいるために、自分の欲しいデザインや機能について本当に考えることもない、ということなのではないでしょうか。自分のライフスタイルに合うデザインと、必要にして十分な機能のモノ。それは自分や仲間で作るしかないとも言えます。

 そのような電気を作り使うDIYのインフラも整ってきました。IoTを実現するための小さなコンピュータは手軽な値段で手に入ります。AIを実現するためのプログラム環境はタダで入手でき、世界中で開発されたさまざまなプログラムが簡単に入手できます。個人では持ちにくいちょっとした工作機械や計測機器、作業スペースを共有して、さらに知識やノウハウを学び共有する仲間がいれば、いろんな展開が考えられます。

 今年は、そのようなシェアスペースを豊田市旭地区にある旧築羽小学校に作る計画です。「つくラッセル」電工室です。私としては環境学の最先端の社会実験というつもりです。自分で回路を設計して組み立て、プログラミングして、それが思い通りに動いた時のトキメキはなかなかのものです。男子のオタクの世界のようにも思われますが、最近は「林業女子」「狩猟女子」がいるように「電脳工作女子」もいるようです。老若男女が集い、何ができるかは分からないけれども、何か新しいものができることは分かる、そういうスペースにしたいと思っています。

 世界に目を向ければ、多くの難問が人々に困難な人生を強いています。世界の平和と持続可能な社会を実現するために、今年も自分ができるささやかな努力を、精進しながら地道に一歩ずつやっていきたいと思います。この一年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 


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