大沢神明神社
鎮座地 加住町2-93
祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
旧格式 村社
別当寺 龍源寺
例大祭 4月15日
解説
創建年不明。
天正10年(1582)再建の記録がある。
昭和41年(1966)の台風で社殿と樹木がほとんど倒壊してしまい翌々年再建された。
正和元年(1312)の谷慈郷の地名の刻まれた板碑が伝わる。
鎮座地 加住町2-93
祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
旧格式 村社
別当寺 龍源寺
例大祭 4月15日
解説
創建年不明。
天正10年(1582)再建の記録がある。
昭和41年(1966)の台風で社殿と樹木がほとんど倒壊してしまい翌々年再建された。
正和元年(1312)の谷慈郷の地名の刻まれた板碑が伝わる。
御嶽神社
鎮座地 丹木町2-294
祭神 日本武尊(やまとたけるのみこと)
旧格式 村社
別当寺 金蔵寺
例大祭 8月12日
解説
江戸時代までは蔵王堂といわれ修験道の道場であった。
天文13年(1544)滝山城内より現在地に遷される。
慶安4年 (1651)徳川将軍家より朱印地25石を賜った。
平安時代作の蔵王権現立像・十一面観音立像・菩薩形立像2体が伝わる。
(東京都指定文化財)
また、康永2年(1343)の銘がある随神像をはじめ、
かつては他に35体の像があったという。
鎮座地 丹木町2-294
祭神 日本武尊(やまとたけるのみこと)
旧格式 村社
別当寺 金蔵寺
例大祭 8月12日
解説
江戸時代までは蔵王堂といわれ修験道の道場であった。
天文13年(1544)滝山城内より現在地に遷される。
慶安4年 (1651)徳川将軍家より朱印地25石を賜った。
平安時代作の蔵王権現立像・十一面観音立像・菩薩形立像2体が伝わる。
(東京都指定文化財)
また、康永2年(1343)の銘がある随神像をはじめ、
かつては他に35体の像があったという。
金毘羅社
鎮座地 高月町2371
祭神 大物主命(おおものぬしのみこと)
旧格式 なし
別当寺 村民持ち
解説
滝山城本丸跡に鎮座する。
天明年間(1781~89)多摩川の水運に携わる滝村の人々によって創建された。
本丸跡にはもう一社霞神社が鎮座している。
鎮座地 高月町2371
祭神 大物主命(おおものぬしのみこと)
旧格式 なし
別当寺 村民持ち
解説
滝山城本丸跡に鎮座する。
天明年間(1781~89)多摩川の水運に携わる滝村の人々によって創建された。
本丸跡にはもう一社霞神社が鎮座している。
駒形神社
鎮座地 高月町1125
祭神 駒形神(こまがたのかみ)
旧格式 村社
別当寺 円通寺
例大祭 9月29日
解説
現岩手県の駒形神社のご分霊を遷した。
天正19年(1591)徳川家康より朱印地10石を賜る。
寛文3年(1663)と宝暦12年(1762)再建の棟札が伝わる。
鎮座地 高月町1125
祭神 駒形神(こまがたのかみ)
旧格式 村社
別当寺 円通寺
例大祭 9月29日
解説
現岩手県の駒形神社のご分霊を遷した。
天正19年(1591)徳川家康より朱印地10石を賜る。
寛文3年(1663)と宝暦12年(1762)再建の棟札が伝わる。
勝手神社
鎮座地 加住町1-11
祭神 押武日之命(おしたけひのみこと)
旧格式 村社
別当寺 宝印寺
例大祭 4月第1日曜
解説
留所村の鎮守。
創建年不明。
天文7年(1538)再建。
かつては丹木御嶽神社の境外摂社であった。
大石信重によって奉納された貞和5年(1349)造の薬師如来坐像を刻んだ懸仏が伝わる。
鎮座地 加住町1-11
祭神 押武日之命(おしたけひのみこと)
旧格式 村社
別当寺 宝印寺
例大祭 4月第1日曜
解説
留所村の鎮守。
創建年不明。
天文7年(1538)再建。
かつては丹木御嶽神社の境外摂社であった。
大石信重によって奉納された貞和5年(1349)造の薬師如来坐像を刻んだ懸仏が伝わる。
霞神社
鎮座地 高月町2371
祭神 戦没英霊
解説
滝山城本丸跡に鎮座する。
明治45年(1912)日露戦争に出征して戦死した英霊15柱を祀るため、
在郷軍人会加住村分会によって創建された。
その後の戦争で合祀された英霊は合計で220柱。
現在は加住地区遺族会が管理している。
なお、本丸跡にはもう一社金毘羅社がある。
滝山城跡の石碑

滝山城は武蔵守護代大石氏によって築城され、北条氏照に引き継がれた。
永禄12年(1569)には武田信玄の攻撃を受けたが撃退している。
その後武田氏に備えるため八王子城が築かれたため廃城となった。
現在でも空掘や土塁の跡が良く残っている。
国指定史跡。
鎮座地 高月町2371
祭神 戦没英霊
解説
滝山城本丸跡に鎮座する。
明治45年(1912)日露戦争に出征して戦死した英霊15柱を祀るため、
在郷軍人会加住村分会によって創建された。
その後の戦争で合祀された英霊は合計で220柱。
現在は加住地区遺族会が管理している。
なお、本丸跡にはもう一社金毘羅社がある。
滝山城跡の石碑

滝山城は武蔵守護代大石氏によって築城され、北条氏照に引き継がれた。
永禄12年(1569)には武田信玄の攻撃を受けたが撃退している。
その後武田氏に備えるため八王子城が築かれたため廃城となった。
現在でも空掘や土塁の跡が良く残っている。
国指定史跡。
冨士浅間神社
鎮座地 加住町2-33
祭神 木花開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)
旧格式 なし
別当寺 龍源寺
例大祭 1月11日 9月11日
解説
創建年不明。
「新編武蔵国風土記稿」に村の南の山上にありと記されている。
昭和47年(1972)社殿再建。
鎮座地 加住町2-33
祭神 木花開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)
旧格式 なし
別当寺 龍源寺
例大祭 1月11日 9月11日
解説
創建年不明。
「新編武蔵国風土記稿」に村の南の山上にありと記されている。
昭和47年(1972)社殿再建。
八王子地区の神社概略
八王子地区は市の中心街で、江戸時代甲州道中の宿場町であった地域である。
八幡宿・横山宿・八日市宿などに別れ通称「八王子十五宿」といわれた。
現在の八王子市はこの地域に周辺町村が合併する形で成立した。
これにて八王子地区の紹介は終了。
明日より加住地区の神社を紹介予定!
八王子地区は市の中心街で、江戸時代甲州道中の宿場町であった地域である。
八幡宿・横山宿・八日市宿などに別れ通称「八王子十五宿」といわれた。
現在の八王子市はこの地域に周辺町村が合併する形で成立した。
これにて八王子地区の紹介は終了。
明日より加住地区の神社を紹介予定!
産千代稲荷神社
鎮座地 小門町82
祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
旧格式 無格社
別当寺 小泉氏持ち
例大祭 2月初午 8月第二日曜
解説
八王子代官、大久保長安屋敷の鬼門除として創建された。
かつては鬱蒼とした森があり稲荷森といわれていた。
鎮座地 小門町82
祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
旧格式 無格社
別当寺 小泉氏持ち
例大祭 2月初午 8月第二日曜
解説
八王子代官、大久保長安屋敷の鬼門除として創建された。
かつては鬱蒼とした森があり稲荷森といわれていた。
天満神社
鎮座地 上野町77
祭神 菅原道真(すがわらのみちざね)
旧格式 無格社
別当寺 金剛院
例大祭 7月25日に近い土日
解説
上野地区の人々によって祀られた祠。
寛永8年(1631)金剛院真清によって創建された。
「新編武蔵国風土記稿」には江戸の商人によって奉納された菅原道真真筆の「阿弥陀経」があるというが無論贋物であろう。
鎮座地 上野町77
祭神 菅原道真(すがわらのみちざね)
旧格式 無格社
別当寺 金剛院
例大祭 7月25日に近い土日
解説
上野地区の人々によって祀られた祠。
寛永8年(1631)金剛院真清によって創建された。
「新編武蔵国風土記稿」には江戸の商人によって奉納された菅原道真真筆の「阿弥陀経」があるというが無論贋物であろう。
多賀神社
鎮座地 本郷町4-9
祭神 伊奘諾命(いざなぎのみこと)
伊奘册命(いざなみのみこと)
旧格式 郷社
別当寺 密蔵院
例大祭 8月第一土日
解説
八王子市街、西半部の鎮守「西の総社」と言われる。
伝説によると、天慶元年(938)源経基によって創建された。
文応元年(1260)北条時頼が諸国巡行の途中発病し、
当社に鏡を奉納して祈願したところたちどころに直ったという。
時頼はそのお礼に社領7反歩を寄進したとの事。
また、散田村高宰神社のご分霊を密蔵院に遷し高宰明神として祀っていたものを、
元禄年間に密蔵院盛伝が神道管領長上、吉田家の許可を得て多賀明神に改めたともいう。
社宝に慶応2年(1866)第二次長州征伐に従軍した八王子千人同心、
神宮寺・川村・塩野の3名が大坂在陣中に作成を依頼した、
神祇伯王家、白川資訓書の「多賀宮」の扁額がある。
摂社として、明治時代絹織物が盛んであった事を伝える機守神社がある。
鎮座地 本郷町4-9
祭神 伊奘諾命(いざなぎのみこと)
伊奘册命(いざなみのみこと)
旧格式 郷社
別当寺 密蔵院
例大祭 8月第一土日
解説
八王子市街、西半部の鎮守「西の総社」と言われる。
伝説によると、天慶元年(938)源経基によって創建された。
文応元年(1260)北条時頼が諸国巡行の途中発病し、
当社に鏡を奉納して祈願したところたちどころに直ったという。
時頼はそのお礼に社領7反歩を寄進したとの事。
また、散田村高宰神社のご分霊を密蔵院に遷し高宰明神として祀っていたものを、
元禄年間に密蔵院盛伝が神道管領長上、吉田家の許可を得て多賀明神に改めたともいう。
社宝に慶応2年(1866)第二次長州征伐に従軍した八王子千人同心、
神宮寺・川村・塩野の3名が大坂在陣中に作成を依頼した、
神祇伯王家、白川資訓書の「多賀宮」の扁額がある。
摂社として、明治時代絹織物が盛んであった事を伝える機守神社がある。
子安神社
鎮座地 神明町4-10
祭神 木花開耶媛尊 (このはなのさくやひめのみこと)
大山咋命 (おおやまくいのみこと)
素盞嗚命 (すさのおのみこと)
天照大神 (あまてらすおおみかみ)
寄稲田姫命 (くしいなだひめのみこと)
旧格式 郷社
別当寺 福伝寺
例大祭 9月23日
解説
天平宝字3年(759)橘右京小輔によって創建されたという。
平安時代に源義家が奥州へ下る際に欅18本を船型に植えたことから船森と言われている。
江戸時代には子安村の鎮守で、徳川将軍家より朱印地6石を賜っていた。
元禄14年(1701)江戸の石原次春が大檀那となり社殿が再建されたが、
明治30年(1898)八王子大火により全て焼失してしまった。
天文22年(1553)権大僧都清栄奉納の十一面観音坐像の掛仏が伝わる。
子安神社のホームページ
http://homepage3.nifty.com/koyasu/
鎮座地 神明町4-10
祭神 木花開耶媛尊 (このはなのさくやひめのみこと)
大山咋命 (おおやまくいのみこと)
素盞嗚命 (すさのおのみこと)
天照大神 (あまてらすおおみかみ)
寄稲田姫命 (くしいなだひめのみこと)
旧格式 郷社
別当寺 福伝寺
例大祭 9月23日
解説
天平宝字3年(759)橘右京小輔によって創建されたという。
平安時代に源義家が奥州へ下る際に欅18本を船型に植えたことから船森と言われている。
江戸時代には子安村の鎮守で、徳川将軍家より朱印地6石を賜っていた。
元禄14年(1701)江戸の石原次春が大檀那となり社殿が再建されたが、
明治30年(1898)八王子大火により全て焼失してしまった。
天文22年(1553)権大僧都清栄奉納の十一面観音坐像の掛仏が伝わる。
子安神社のホームページ
http://homepage3.nifty.com/koyasu/