多賀神社
鎮座地 本郷町4-9
祭神 伊奘諾命(いざなぎのみこと)
伊奘册命(いざなみのみこと)
旧格式 郷社
別当寺 密蔵院
例大祭 8月第一土日
解説
八王子市街、西半部の鎮守「西の総社」と言われる。
伝説によると、天慶元年(938)源経基によって創建された。
文応元年(1260)北条時頼が諸国巡行の途中発病し、
当社に鏡を奉納して祈願したところたちどころに直ったという。
時頼はそのお礼に社領7反歩を寄進したとの事。
また、散田村高宰神社のご分霊を密蔵院に遷し高宰明神として祀っていたものを、
元禄年間に密蔵院盛伝が神道管領長上、吉田家の許可を得て多賀明神に改めたともいう。
社宝に慶応2年(1866)第二次長州征伐に従軍した八王子千人同心、
神宮寺・川村・塩野の3名が大坂在陣中に作成を依頼した、
神祇伯王家、白川資訓書の「多賀宮」の扁額がある。
摂社として、明治時代絹織物が盛んであった事を伝える機守神社がある。
鎮座地 本郷町4-9
祭神 伊奘諾命(いざなぎのみこと)
伊奘册命(いざなみのみこと)
旧格式 郷社
別当寺 密蔵院
例大祭 8月第一土日
解説
八王子市街、西半部の鎮守「西の総社」と言われる。
伝説によると、天慶元年(938)源経基によって創建された。
文応元年(1260)北条時頼が諸国巡行の途中発病し、
当社に鏡を奉納して祈願したところたちどころに直ったという。
時頼はそのお礼に社領7反歩を寄進したとの事。
また、散田村高宰神社のご分霊を密蔵院に遷し高宰明神として祀っていたものを、
元禄年間に密蔵院盛伝が神道管領長上、吉田家の許可を得て多賀明神に改めたともいう。
社宝に慶応2年(1866)第二次長州征伐に従軍した八王子千人同心、
神宮寺・川村・塩野の3名が大坂在陣中に作成を依頼した、
神祇伯王家、白川資訓書の「多賀宮」の扁額がある。
摂社として、明治時代絹織物が盛んであった事を伝える機守神社がある。