愛宕神社
鎮座地 長岡長谷部375
祭神 火産霊命(ほむすびのみこと)
旧格式 村社
別当寺 東善院
例大祭 7月21日
解説
享保10年(1725)長岡長谷部の鎮守として、
名主の長谷部勘次郎が親村、現入間市扇町の愛宕神社のご分霊を遷した。
勘次郎は更に檀那寺を引寺しようと、
当社の北側を予定地とし、飯能の能仁寺に末寺の建立を要請した。
ところが能仁寺側は既に末寺として隣の師岡新田にある東善院の檀家となるように勧め、
一旦はそのように収まった。
しかし何とか自村に寺院の建立を目指す勘次郎は、
なおも能仁寺側に引寺を要請したが断られ続け、
やむなく檀家契約を解消し、相模国大嶋村の清岩寺に末寺建立を要請した。
このため契約破棄を不満とした能仁寺・東善院側と訴訟沙汰となり、
江戸の評定所の裁定の結果敗訴となってしまった。
憤った勘次郎は評定所役人にくってかかり、
かえって手鎖の刑にされてしまったという。
勘次郎の無念はいかばかりの事であったろう。
鎮座地 長岡長谷部375
祭神 火産霊命(ほむすびのみこと)
旧格式 村社
別当寺 東善院
例大祭 7月21日
解説
享保10年(1725)長岡長谷部の鎮守として、
名主の長谷部勘次郎が親村、現入間市扇町の愛宕神社のご分霊を遷した。
勘次郎は更に檀那寺を引寺しようと、
当社の北側を予定地とし、飯能の能仁寺に末寺の建立を要請した。
ところが能仁寺側は既に末寺として隣の師岡新田にある東善院の檀家となるように勧め、
一旦はそのように収まった。
しかし何とか自村に寺院の建立を目指す勘次郎は、
なおも能仁寺側に引寺を要請したが断られ続け、
やむなく檀家契約を解消し、相模国大嶋村の清岩寺に末寺建立を要請した。
このため契約破棄を不満とした能仁寺・東善院側と訴訟沙汰となり、
江戸の評定所の裁定の結果敗訴となってしまった。
憤った勘次郎は評定所役人にくってかかり、
かえって手鎖の刑にされてしまったという。
勘次郎の無念はいかばかりの事であったろう。