大工風の道

仮設住宅ってわけでもないけれど、
ま、しばらくここで様子みようっと。

近鉄内部線の思い出

2005年09月11日 | 記憶
近鉄四日市駅の本線の高架下から、郊外へ走る短い支線がある。
内部駅は、国道1号線と、旧道との間に挟まれ、小ぢんまりとした、その「内部線」の終点。

この日、名古屋で行われる、「緑の列島ネットワーク 2005 フォーラム」に参加するため、内部駅近くの材木店に車をとめさせてもらい、私はそのホームに立っていた。

内部線は、専門的には「特殊狭軌」と呼ばれる、その名の通り線路幅が2尺5寸ほどしかない、「小さな鉄道」。いわゆる昔の「軽便鉄道」がそのまま残ったもので、日本国内にはもう数えるほどしかこの規格は残っていないそうだ。

駅のすぐ横にある病院に祖母が入院していて、母や、親戚に連れられ、時折乗ってやって来た記憶がよみがえってきた。
実に30年以上前のことだ。



しばらくしてやってきた3両編成の電車。
私は真ん中の車両に乗り込んだ。
前後の2両は、やや新しいタイプの車両で、バスのような一人がけのシートが並んでいるが、この車両は、昔のままの、膝をつき合わすくらいの向かい合わせの長いシート。
もちろんエアコンもなくて、窓は開いている。
扇風機は天井で”まわり”、「愛地球博」の割引切符の案内の広告が風に揺らぐ。
間違いなく2005年にいるはずの自分は、列車が出発した瞬間、左側の窓から病院を見上げた。

祖母が一番端の病室で、「またおいで」と手を振っているのが見えたような気がした。

心地よい風を頬にうけながら、遠くコンビナートの煙突を、ビルの合間から見つめていた。


☆そして今度は、ある人との再会に「感動」するのである。



かまど

2005年09月11日 | かまど、五月工務店
「かまど」のある、その旧家から、スープが少し冷める距離に、O氏の現場はある。
その現場に砥石を置き忘れていたので、ついでに取ってこようと立ち寄った。

最後の追い込み(?)に、私のあとに応援に来ているI氏が、黙々と杉の床材を並べていた。


先月の出勤簿ならぬ、O氏の手帳を覗きこむ。
「常用」という、日当計算での場合、結構シビアな話でもある。
さて、ここでO氏はある文字に、ふと手を止め、頭を抱え込んでしまった。
「この『GB』てなんやったかな…?」
作業内容を省略して「GB」と書いたものの、日にちが経って、なんの意味かさえ覚えていないのだという。
「『フォレストボード』なら『FB』だしなあ、『G』ってなんのことやったか…」。

ところで、「かまどの旧家」のほうは、いろいろ打ち合わせもしつつで、決して順調とは言えないが、補修工事の方向性は見えてきた(ような気がする)(多分)。
K作舎N村建築専属のK氏は、どうも屋根裏部屋(この地方では「ツシ」と呼ぶ)が気になるようだ。どうも自分の中では、勝手な構想があるらしい。施主さんや、管理者さんの意向を無視して、自分の判断にまかす、彼の「行動力」には、いつも度肝を抜かれるが、今回もまた、何がおこるやら…。


そうそう、結局「GB」とはガラスブロックのことであった。

☆翌日、「SとMの家(やっぱりイニシャルは変!)」のN親方とM棟梁の”講演会”に出かける途中、私は”30年前の自分”と再会する。