大工風の道

仮設住宅ってわけでもないけれど、
ま、しばらくここで様子みようっと。

「蔵」はよみがえる(その2)

2005年09月15日 | かまど、五月工務店
棟上2日目。その「蔵」は堂々たる姿で新興住宅地にそびえたっていた。
土台、角の通し柱など、一部の新しい材料と、昭和14年当時の古い材との、共演。


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高所恐怖麻痺症



夕方には、屋根仕舞いも始まり、薄暗くなってまで、大工たちは梁の上で「トンカン」と叩いている。かえって下が見えなくなってきて、とても高いところに”とまって”いる感じがしないので、恐怖感はまるでない。この「高所恐怖麻痺症」は大工の慢性の病気のようなもので、10m近い高さの梁の上を、皆、地面に書いた線の上を歩くかのように”普通”に歩く。
少し誤れば即死も免れないはずなのに。

以前、プレカットの住宅の棟上で、「落ちた」ことがある。
木の目を無視した強引な刻みのため、自分ののっていた「母屋(もや)」が折れて、2階の屋根の高さから落ちたのだ。落ちるときは「スローモーションを見るようだ」とは聞くが、まさに私も、そう感じた。それに、「落ちる」のではなく、「周りが上がっていく…」ようにも感じた。遊園地の絶叫マシーンのような「ゼロGに近づく恐怖」なんか感じる余裕はない。当然実際は一瞬の出来事なので、体勢を持ち直す余裕なんてない。その点、梁の上でふらついて落ちる場合はまだ、「さあどこに飛び移ろう」なんて考える余裕があるのかも知れない。私もそうやって隣の梁に飛び移ったりしたこともある。死ぬことは諦めても、痛いのはゴメンだ。そんなときはやはりまさに”必死”なのである。
運のいいことに、私が落ちたところは、たまたま2階の床面にコンパネが敷いてあり、尻餅をついて半時間ほどうずくまっているだけで、とくに後遺症もなく事はすんだが、すぐ横に落ちていたら…と思うと今でもぞっとする。

さて、O氏はやはり来なかった。
私はてっきり、遠い世界に行ってしまったのかと思ったが、なんのことはない。
「この現場の棟上に、明日から来ない」というだけで、決して「H吉」を辞めたわけではなかった。




☆台風一過の数日後、一度蒸し暑くなったが、今日あたりから確かに「空気」が「秋」にかわった。
すがすがしい空気。「山」がはっきりと見える朝。アウトドア派の仕事をしていて一番いい季節だというのに…。