大工風の道

仮設住宅ってわけでもないけれど、
ま、しばらくここで様子みようっと。

10月は紅葉と鹿

2006年10月31日 | 見聞録
屋根の工事も終わり、引き続き外壁などを直している田舎の現場。
どのくらい田舎かというと、施主さんの家族が、鹿の糞が家の前の川原にあるのを見つけ、棒で突っついてみて、うっかり川に落ちてしまうほど、ど田舎。


足跡もあるよ~、というので、川原におりてみると、あったあった、ちょっとわかりにくいが、多分猪ではなく、鹿かな?

ちょうど花札の10月の紅葉、「シカト」の鹿が居る風景そのものののどかさ。

昨日、名古屋の現場で、金物を買いに行くのも地下鉄、っていうのが信じられないくらい、山の中はしんみりと、秋が深まっていく。



10月も終わりで、応援の大工、K内氏も、明日から自分の現場へ。
もう一息だ、早くこの現場、終わらせないと…。




sakaeさんの店の鏡バラバラ、二基

2006年10月30日 | 文化

ど田舎でマムシやムカデ、鹿、猿、猪などと向かいながら仕事をしている合間に、街にでては月曜定休の美容室の改装もする。
またまたやって来た名古屋の栄3丁目。

ど田舎と大都会とのギャップがすごいと自分で感心。

相棒に無理やり引っ張ってきたのがT橋氏。

3面ある鏡を2面に減らして、ゆったりとした店にする。
改装というよりは、鏡の付け替え。

しかし、この鏡が、前回調査の結果、どうも簡単に取り外しができない状態であることが判明。
で、最悪は壁を全部取り壊すつもりで、材料の段取りもして、相棒T橋氏も手伝いにきてもらい、万全を期したわけだ。

結局、T橋氏の思い切りが幸いしてか、無傷で鏡を取り外すことができ、うち2基を再び取り付ける作業に成功。
その他付随の機器の付け直しなどをして、暗くなってなんとか作業終了。







で、その後のことは、この方と、この方のページでお読みください。
(で、お情けのランキングクリックなんぞしてやっておくんなされ)
大変だったのよ~!(笑)
以上。



アナログな夜

2006年10月29日 | 記憶
CD全盛時代から、?Podなんかが最近出てきて、音楽の記録媒体もどんどん移り変わっていくが、をぢさん世代にはLPが忘れられない。

今ちょいと片付け中なので聴けないのだけど、たまにどうしてもかけたくなるんだよなあ、「レコード」。

あの、ぐるぐる回るのがいいんだよなあ。
レコード屋さんで、ナケナシの小遣いはたいて買って、手に抱えて帰って来るのが、嬉しかったなあ。
電車で買いに行ったときなんか、帰りに封をあけて、妙に溝を眺めて、あ、3曲目は静かな曲なんだな、とか…。

嗚呼、あの感動を、もう一度…。


「トコロ」で、人が笑おうが、やはりこの人(写真)はすごい人だと思う。
付録でついてたイラストは「画/鳥山明氏」なんだ。
81年8月、ポリドール。
春夏秋冬さんに、この記事を捧げます(笑)。




ふるさと

2006年10月26日 | 記憶
徳山ダムに、どんどん水がたまってきたそうだ。

自分が生まれ育った村が沈んでいくのを見る人たちの心情を思うと胸が痛む。



ふるさとを想う気持ちはなににも代えられない。



10年以上前、


私もふるさとを、奪われた。

幼い頃育った家は、近鉄の急行停車駅のまん前。
駅前広場を毎日窓からみていた。

小学校に入るころ、すぐ近くの家に引っ越したが、遊びまわった場所はやはり、駅の周辺で、駅前とはいうものの、すぐ横には空き地があって、真ん中に大きな木。
枝ぶりがいまでも目蓋にあって、多分あれはケヤキだったのかな?と思う。

高さ2mほどの杉や檜の植林がなぜかあり、角のとれたコンクリートのU字構をまたいでとなりの廃材置き場が秘密基地だった。
苔だらけのブロック塀に、ボールをぶつけたり、誰がぶら下げたのかタイヤがブランコ代わり。

駅のプラットホームの下にもぐりこみ、特急が通過する風を受け、轟音に耳を塞いだ。


自分の家が取り壊されたあとを見たときは悲しかった。
たしか高校生のころ。

間もなく、赤土の大きな広場には、立ち入り禁止の立て札と、柵が作られた。

駅前開発と称した単なる地方都市の見栄の張り合い。
単に道を広くするのではなく、駅周辺の区画整理。
だから、あの頃遊んだ空き地がどこだったのか、家の前の路地がどのあたりを通っていたのかは、地図と照らし合わせないとわからない。

おそらくは自分の家は、この立体駐車場の出口の信号機のあたりにあったはずだと…。

住んでいたご近所さんはみんなチリチリバラバラ。
みんなどこへ行ってしまったのだろう。

たしかに、駅前は広くなって「市の玄関」にふさわしいと絶賛する人もいただろうが、駅ビルと駅舎のデザインが統一されていずに非難を浴びたり、噴水は強風にあおられ、評判は悪かった。

風情のかけらもない、無機質な空間。
駅の看板の名前を変えたら、別にこの町である必要もない。
便利になった?
いや、便利になったのは、駅裏の病院あとに安い駐車場ができて、たしかに「便利にはなった」が、ここまでの駅前開発の必要は私は感じなかった。


「バブルがはじけた」と、世間が騒がしくなった。

やがて、多くの店が、駅ビルから撤退していった。
とうとう、「この町」も大きな市に事実上吸収合併されて、今では、新市のお荷物と化してしまった。
ガランとした3階にひとけは少ない。

いったい何がやりたかったの?

私のふるさとはどこへいってしまったの?


もうこりごり、頭のいい、えらい人が考えることは私には理解できない。
この虚しさと悔しさは、どこへぶつければいい?


ダムにも寿命がある。
徳山ダムが、何十年か経って、元住民が本当にふるさとを恋しくなったころ、「お荷物」となっていないことだけを祈るのみである。