大工風の道

仮設住宅ってわけでもないけれど、
ま、しばらくここで様子みようっと。

クールビズ

2005年09月17日 | 屁理屈と愚痴
たまには「日報」もお休みで、ふとした「たわごと」を…

某首相はじめ、官公庁では「クールビズ」という言葉がはやったようだ。この夏は、私も、暑さのあまり、現場でも短パンで過ごした。不謹慎かと思われるが、実は歴史を辿ると、そうでもないように思える。
北斎の冨獄三十六景にも、(大工でなく木挽き職人だが)ラフな服装の職人が描かれている。実に私は「保守的」なのだ(?)。

昨今の日本の夏の暑さは、並大抵のものではない。暑ければ薄着になるのは、どうぞお許しいただこう(笑)。もはや、亜熱帯予備軍の日本列島なのだあ。

☆「職業」とは、収入を得るためだけのものではない。さりげなく、それを別のところに生かすことができたとき、「あ!プロなんだなあ」と感動するものだ。
 …そんな人を、宮川の中流で見つけた。




静かに時は流れて…「2005年の『夏』は終わった」

2005年09月17日 | かまど、五月工務店
「サツキとメイの家」編

愛知万博(愛・地球博)がいよいよ大詰めとなってきた。
一目、会期中の「サツキとメイの家」を見ておきたくって、足を伸ばし、訪ねてみた。

一度夜に来たことはあったが、お客さんが入っているところを見ておきたかった。

それより私としてはもう一つ、どうしてもやっておきたいことがあった。
隣に建っている「管理棟」の草屋根の様子を、この目で確めておきたかったのだ。

A藤さん、U野さんはじめ、運営スタッフのみなさんが、事務所兼休憩所に使用している「管理棟」。隣の「サツキとメイの家」の影にかくれて、目立たない存在だが、私たちにとっては、これがもう一つの「愛知万博」であり、むしろ注目を浴びる「お隣さん」よりも、愛おしく感じる…。

「芝」や「雑草」たちはA藤さんたちの管理のおかげで、秋の空の下で元気にしていた。
 (写真=某「K壁邸」を、草屋根からみる)

ちょうどスタッフの一人のかたが、体調不良で、早退するところであった。それは調子も悪くなろう。9月でこの暑さ。我々炎天下に馴れた人間でこそ、「もう死ぬ」のではないかと思うこともあるのだから…。(どうぞお大事に…)
「バス停(集合場所)」、「受付」、「展望塔の階段の下」…至るところでスタッフのかたが元気な声で案内をしている…。本当に大変な仕事である。
きっと彼、彼女らの中でも、「もう一つの愛知万博」が存在しているんだろうなあ。なんて、少しかっこいいことを考えてもみた。

そうして一日が終わっていく。

みなさんお疲れ様。もうちょっとですね。頑張ってください!




守山区編

一方、「あの男(N村T氏)」は、完成直前(?)のTK山の家こと、M原さん邸で、お施主さんの好意で(ひょっとすると見るに見かねて?)、濡れ縁に腰掛け、夕食をいただいていた。
相方のK氏もこの日は休みで、ご家族との談笑のなか、日はとっぷり暮れていく。



…「あの目で見つめられるとねえ!」
K氏の「目」の話となった。
工事の間にココの奥さんもあの「つぶらな瞳」の虜になってしまったようだ。
あの目の伝説は至るところで聞かれるのだ。
きっとこれからも…。






家作りは、単に建物を建てるだけではないと思う。
今度は、先月までこの現場に来ていたU山K君の話になる。人生の洗濯(選択?)とかで、北海道へ向けて原付バイクで旅立ってしまったが、彼が大事にしていたものが一つある。

名古屋を去る日に荷物の一番上に「捨てられない」とおいてあった、四文字のひらかなの書かれた半紙…。それもココのお子さんが書いたものだ。きっと彼に「エール」を送っているのだろう。
そして今頃どこにいるのかなと思いながら…

風が吹くと肌寒くも感じるようになってきた。

とにもかくにも、こういったひととき、この人間関係が素敵に思えた。



そして帰り際、小2の娘さんが私にこう言った。
「働く?それとも来るだけ?…畑、耕してってぇ!!」
グサッ!とくるものを振り払いながら暗闇のなか、私はそそくさと帰路に着いた。






☆ この夏、不謹慎ながら、結構、仕事中も半ズボンで過ごした。
「大工の服装」ってやつを少し考えてみた。



「お茶がウメェー!!」

2005年09月17日 | イベント屋風
いつもと違う。
山の色が違う。
「秋」がやってきたのだ。


こんなすがすがしい日に私たちは、とある茶道のイベントが行なわれる、文化会館のギャラリーにいた。
8時からの搬入で、午後からは、主催者が準備に入るので、時間との勝負。
空気は結構はりつめている。
ここのところいろいろ行き来の多い「WN建築H吉」のT親方とK沢氏に手伝いに来てもらった。
先週、Ku氏と、一度組んでいるので、ほとんど現地加工はなく、着々と作業は進む。






縁台のような、ステージを組み、畳周りの框を取り付け、柱を立てる。すでに壁紙の貼ってあるパネルを立てると、1時間ほどで、第二ギャラリーの5畳タイプの「茶室」は出来上がり、その後を追いかけるように、庭のセットなどが「E」社のスタッフたちの手で作られていく。
それにしても、邪魔だというわけで、根っこから「スパッ!」と斬られた、庭セット用の「マツの木」の姿は痛々しかった。

ゆっくりしている暇はない。続いて8畳(+半畳)タイプのものを、第一ギャラリーにも組まなければならない。タイムリミットまであと2時間!
そして11時半前には、おおかた完了。担当のT内さんのOKをもらい、撤収しようとしたとき、
主催者の関係者のかたから、こんなことを言われてしまった。
「床の間の天井はないの?」「『オトシガケ』もないし…」。
言い訳のようだが、こちらは身体をボロボロにしてまでの残業で仕込んだ上、わずか4時間の時間厳守のなかでの必死の設営。出来上がってからこういう言葉を掛けられるとやっぱり「ガクッ!」とくる。どうぞご勘弁いただきたい。私たちだって、時間と予算がしっかりあれば、ちゃんとした茶室が造りたいのだから。


道具を引き上げ、先ほどの”苦情?”を「E」社の責任者の人に一応伝え、文化会館をあとにした。
車を止め、日陰で水筒のお茶をガブガブ飲む。
空は澄み渡り、風はほどよく吹いている。
こんな「お茶」の”戴きかた”が私なんぞにはちょうどいい。
心から「お茶はウメェー!」と思った。



☆愛知万博も残すところ、あと10日となった。
「あの男」は守山区の現場で、黙々と仕事をしていた。