古希来記

古希を過ぎて気ままな暮らし。
見たり聞いたり感じたり、とりとめもないが折々のつぶやき。

娘の里帰り

2008年11月27日 | Weblog
 遠くに住む、転勤族と結婚した娘が久しぶりに実家に遊びにきた。
「お母さんの手打ちうどんが食べたい」
「それにお父さんのことも心配だし」というのが女房と電話でやり取りした時の話のようだった。
「お父さんのことが、、」というのは実は先頃俳優の緒方拳が亡くなったが、娘に言わせると小生が緒方拳に似ているのだと云う。自分では全くそんな感じはないのだが、どうも雰囲気でそう言ってるようだ。
緒方拳と小生は同年齢である。そんなことでにわかに親のことを気遣ってくれたようだった。
 近くに住む娘たちともメールか何かで連絡を取り合ったようで、狭い我が家にみんな集まってきた。
賑やかだった。孫たちは年に一~二回しか会わないのだが、旧友に再会したような感じですぐに溶け込み孫同士で遊びまわっていた。女房や娘たちは女同士で話があるようでがやがやと話し込んでいた。
小生はと言えば、どちらかと言うと蚊帳の外だった。
娘達にとって父親というのは顔を見ればそれで用事は済んだようなもので格別な話があるわけではないらしく、父親というのはこんな時は手持無沙汰である。
ま、しかし、孤立しているわけではないので、時々振ってきた話に返事をしたり、孫たちが抱きついてくればこちらからも抱きつくようなことをしたり、遊びに加わったり、ちょっと間ができれば書斎に逃げ込んだりと、結構一つ屋根の下に大勢がいる賑やかさをを楽しんだ。
 実家に泊まるというのは娘達ばかりか孫たちにとってもことのほか嬉しいものらしく夜遅くまでどこかから話し声が聞こえてきたり、騒ぎまわる物音がしたりしていた。
 普段は静かな生活だがたまにはこういうのもいいなぁと思った。みんなが帰ったあとで疲れがでるかなと思ったがそんなこともなかった。時々一番近くに住む4歳の孫とチャンバラごっこなどをしているので騒がしいのにも慣れているせいかも知れなかった。


槍穂の3000m峰を望見

2008年11月15日 | Weblog
高気圧が張り出してきてようやくいい天気になりそうだ。という予報であるが山の天気は別で行ってみないと分からない。
特に眺望を期待する場合は尚更である。
草花の季節が過ぎ、紅葉も終わってやがて木の実も落ちてしまう頃の山歩きの楽しみの一つは遠くの山を眺めることである。
そして一度登った山を見ればその時のあれこれを思い出したり、これから登りたい山に思いをはせたりするのである。
この日は期待半分で眺望なら黒桧山と思い女房と一緒に出かけた。
黒桧山の山頂は眺望がきかないので少し足を伸ばして北の肩まで歩くのだが、山頂からそこまでの道が様変わりしていたのには驚いた。すっかりいい道になっていた。この春までは深い笹に覆われ見えない足もとの木の根っこにつまずいたり、ところどころは迷路のよなヤブコギだったのである。
そんなわけで北の肩も知る人ぞ知るなどという場所ではなくなって眺望を楽しむ人で賑やかだった。
運が良かった。噴煙たなびく浅間山の右に穂高と槍ヶ岳の3000m峰の8座が肉眼でも見ることができた。山行記録をつけ出してから黒桧山には今回で47回目であるが、こんなことは二回目であった。

物忘れ、度忘れ

2008年11月06日 | Weblog
「おい、あれだ、そうじゃないってば」
「あれだと云ってんだ、わかんねえなあ、まったくう」
もちろんこんな偉そうでぞんざいな口を聞けば大変なことになるので、やわらかく、やわらかくだが、最近は物忘れがひどくなった。物の名前が出てこないのなどはしょっちゅうである。
度忘れもひどい。
二階に上がる用があり、上がったとたんにその用を忘れるなどは再三である。
玄関のカギなどもいったんかけて歩き出してから戻って確認するようなことも多い。車を降りた時はキイはたいがい二度かける。
いよいよかなぁ。その時が近づいてきたのかなぁ。
女房には時々「早い者勝ちだかんね」と云っている。
いずれ老老介護だから早くボケてしまった方が勝ちというわけである。

ま、しかし、忘れっぽくなったのにもいいことはある。
八万四千もあるという煩悩などはあらかた消えてしまっているようでもある。
もう一つのはっきりした御利益は藤沢周平を何回読んでも楽しめるということである。もともと読書好きで乱読なのだが最近は藤沢周平ばっかり読んでいる。それも同じ作品を何回も何回もである。主役ばかりでなく脇役などのちょっとしたしぐさの描写、闊達な江戸弁や侍言葉、ぽんぽんと名調子の啖呵や掛け合いなどに接するたびにわが意を得たようないい気分になる。

忘れっぽくなったらそれはそれでいいではないかなどと思うこのごろである。


囲碁と山歩き

2008年11月05日 | Weblog
40年来の囲碁の友人のMUさんが自宅にカヤ盤などを揃え、親しい人たちを呼んで碁会を開いてくれた。
最近は出不精になって囲碁会の大会などにはあまり参加しないのだが、MUさんの誘いとあって久しぶりに出かけた。
14人集まった。初対面は数人で、長い付き合いの人が多かった。
成績は4勝1敗で準優勝だった。気分よく集中して打てたせいかなと思う。

年々人との交遊が少なくなってきているが囲碁の関係は長く続いている。
そのほかは日々に疎しでサラリーマン時代の友人は数人になってしまった。会社は成果主義とか云って社員同士を狭い土俵の中で競わせて尻を叩くのだから、いい人間関係などできるわけはないのかも知れないが。
同窓会もはじめのうちは懐かしさなどで盛り上がるが、だんだん話題は少なくマンネリ化してしまった。いつ頃からか出るのが億劫になり今ではお呼びもかからない。同窓、同級で今でも続いているのは10人に満たない。

しかし定年後にはじめた山歩きは別で、歩きだして10年以上も経つと親しい友人ができてきた。年齢も色々で中には若い人もいて彼らと付き合えるのは得難い。世代間ギャップを経験するのも時によりいいものである。怠け癖のついた脳を刺激してくれるし、新しい知識も入ってくる。

考えてみると気が合うとか趣味が同じとか、一緒にいて楽しい人たちばかりになっている。義理や体面などを気にしなくていい年齢になったということなのかなぁなどと思っている。