古希来記

古希を過ぎて気ままな暮らし。
見たり聞いたり感じたり、とりとめもないが折々のつぶやき。

待望のヤマシャク

2008年05月31日 | Weblog
若い山の友人から「ヤマシャクを見つけましたよ」と誘いがあった。
曇りの予報だったが待ち合わせの登山口に着いた時は大粒の雨だった。さすがにこの天気では駐車場には一台の車もなかった。
カッパを着こみ傘をさして出かけた。この時期の雨は風がなく静かに降るので傘が役に立つが片手が塞がり木の根っこや苔むした岩などは雨で滑るので慎重に歩いた。
途中ミヤマザクラやアズキナシ、ドウダンツツジなど白色系の花も見ごろだった。小一時間ほど歩き最後はヤブこぎだったがいきなり目の前にヤマシャクが現れた。
若い友人はここのところ週に四日も歩き回りこの花を見つけた時は思わず両手をあげ喜びの声をあげてしまったという。それというのもヤマシャクは我々の昨年来の共通の話題になっていたからである。
ルイヨウボタンなどよく似た姿の草があり花が咲いていないとわかりずらく、そのうえ一日花とも云われて花はすぐに散ってしまうのである。よく見つけてくれたものだ。
この写真の花は彼が二日前に撮ったビデオでは見事に咲いていたがこのときはすでに散りかけていた。その点では残念だったが山でこの花を見ることができた喜びは大きかった。
雨は最後まで降りやまなかったが気分上々の山歩きだった。

腱板炎

2008年05月25日 | Weblog
一か月ほど前から右の肩が痛む。
何もしていないときはなんでもないのだが腕を伸ばして棚の上のものを取ったりするときに痛みが走る。そのうち治るだろうと思っていたのだがだんだん痛みがひどくなるようだ。
医者に行くのは億劫で一日延ばしにしていたのだが、そのうち手の甲や腕がジーンと重くなったり腕の上げ下げにも違和感を感じるようになった。
重い腰を上げて整形外科に行ったら腱板炎の診断だった。
山歩きが原因だったようだ。
山歩きそのものより、歩き方に問題があったようだ。
なるべく足腰で歩くようにしているが歳で脚力が落ち平衡感覚も鈍ってきているからどうしてもストックに頼る。下りではストックを突くときに膝もかばうから体重が乗ってしまって肩に負担がかかる。急な登りでは木の根や岩をつかんで這い上がる。その繰り返しがよくなかったらしい。
後でネットで調べてみたら腱板炎というのは腕を頭より高く上げる動作を繰り返し行うスポーツが原因で、それを48時間の回復期をとらないと使いすぎになって起こるとあった。
そんなスポーツには縁はないが四月から五月にかけて山に行きすぎた。
しばらくはなるべく楽に歩けるところを歩くことにしよう。



山での事故

2008年05月16日 | Weblog
わずかな踏み跡は獣道、そんな道を歩いて半日あまり、遅い昼食のあと、まだ歩き足らない若い山の友人と別れて一人のんびり山を下った。
沢筋のヤマブキソウやアマナ、荒山中腹の屏風岩のあたりのヒトリシズカやヒゲネワチガイソウなどの残像を思い返しながらいい気分で歩いていると下の方から救急車や消防自動車のけたたましいサイレンの音が聞こえてきた。何やら騒然とした感じが伝わってきた。
登山道まで出てしばらくすると黄色い救急服を着た人たちが六人登ってきた。背中に背負子を担いだ人もいた。聞いてみると登山口から上に40分辺りのところで病人が出た。ヘリも呼んであるのだがヘリが降りられない場合に備えて登って行くのだと息急き切って行った。
登山口まで降りたらそこには救急車が二台スタンバイ状態でドアを開けていた。広い駐車場には大型の消防車も二台止まっていた。さらにハシゴ車がサイレンを鳴らしながら登ってきた。
そのうちはるか上の方から微かにヘリの音が聞こえてきた。ヘリも着いたらしい。

その顛末が気にかかったが他にちょっとした用事を抱えていたのでその場を後にした。途中で別れた山の友人はその現場方面に行った筈なので後で聞いてみよう。

翌日の新聞にはその記事は載っていなかった。
しかし案の定山の友人はヘリが着き病人を吊り上げて運んで行った一部始終を目撃していた。千葉県から来たグループの一人で、体調不良を押して登ってきたらしい。未確認だが亡くなってしまったようだ。
街でならば病人が出ても救急車一台の出動で済むが山では大ごとだ。一人の命のために大勢の人が係わる。山好きのわが身にとっては他人事ではない。
ここのところ中国四川省の地震やミャンマーのサイクロンの惨状が連日報道されている。それと引き比べなんとありがたいことだろう。この国に住む幸せを感じないわけにはいかない。


丹沢のコイワザクラ

2008年05月06日 | Weblog
恒例五月連休の山行は丹沢の塔ノ岳だった。
今回は一行八人、四十歳になったばかりの若手から古希を過ぎた小生まで年齢差約三十才だった。経験や脚力に差があるので銘々が自分のペースを守って歩いた。これはこのグループのいつもの歩き方でお互いに余計な干渉はしない。一緒の行動は集合場所から登山口までの車での行き帰りと山子屋での寝泊まり、それと山子屋やその周辺での宴会である。酒量には差があるがもともと居酒屋での出会いがグループ結成の契機になっているのでみんな酒好きで大いに盛り上がる。

天気はイマイチだった。時々晴れ間が覗くが晴れ渡ることはなかった。
しかし時々吹き抜ける風と共にガスがかかったり切れたりするのが汗ばんだ体には気持ちよかった。
眺望はだめだったが満開の富士ザクラに目を奪われ足もとの野草類も可憐だった。
特に行者ヶ岳の先のクサリ場近くでは眼下の急峻な岩に張り付き岩肌をピンク色に染めて群生していたコイワザクラは見事だった。鳥尾山のコケリンドウ、塔ノ岳手前のイチリンソウ、キクザキイチゲなども疲れを忘れさせてくれた。

人出は多くまるで夏の富士山のような混みようだった。クサリ場では30分くらいも待たされたりした。山子屋も超満員だった。しかし小屋では他のヤマヤとの交流も楽しんだ。ちょうど我々のように居酒屋の客仲間のグループもあって意気投合、驚いたり喜んだりした。二日目若手は朝早く起きて丹沢山まで往復したが小生ら60歳超組は一足先に塔ノ岳からのんびり下った。