横室の大カヤを見てきた。
畏れるというのはこうゆうことなのかと思う。
目にしたとたん、思わず一歩後ろに下がるような気分になった。
どっしりと構えた根周り、雄大な立ち上がり、年ふれた幹肌。
樹齢は推定1000年を超えるとか、昭和8年国指定の天然記念物である。
地元のパンフレットによると日本一のカヤとある。
どうも、大きいもの、広がりのあるもの、年輪を経たものなどには弱い。
この木はかなり以前から、その存在は知っていたのだが、今回が初見である。
ちょっと寄り道をすればいつでも見ることができるというのがよくなかった。
木には親しみがあり、どの木もそれなりに好きであるが、カヤについてはよい碁盤がとれる木ということで特に関心がある。
なにしろ、カヤ盤は高値、四方柾目などと言えばまさに高嶺の花。
ヘボに限って道具に凝るというのは、どの道も同じようで「いつかはカヤ盤を」というのはヘボ碁打ちの夢である。
神木として祀られてきた木に対して、碁盤がどうのなどというのはまことに不謹慎なので、あまり長居をしないで帰ってきたが、そのたたずまいは目に焼きついている。
畏れるというのはこうゆうことなのかと思う。
目にしたとたん、思わず一歩後ろに下がるような気分になった。
どっしりと構えた根周り、雄大な立ち上がり、年ふれた幹肌。
樹齢は推定1000年を超えるとか、昭和8年国指定の天然記念物である。
地元のパンフレットによると日本一のカヤとある。
どうも、大きいもの、広がりのあるもの、年輪を経たものなどには弱い。
この木はかなり以前から、その存在は知っていたのだが、今回が初見である。
ちょっと寄り道をすればいつでも見ることができるというのがよくなかった。
木には親しみがあり、どの木もそれなりに好きであるが、カヤについてはよい碁盤がとれる木ということで特に関心がある。
なにしろ、カヤ盤は高値、四方柾目などと言えばまさに高嶺の花。
ヘボに限って道具に凝るというのは、どの道も同じようで「いつかはカヤ盤を」というのはヘボ碁打ちの夢である。
神木として祀られてきた木に対して、碁盤がどうのなどというのはまことに不謹慎なので、あまり長居をしないで帰ってきたが、そのたたずまいは目に焼きついている。