昨年、義父が所有している鳥取県、境港市の旧家から古式銃のパーカッション(管打ち式)・ライフルが出てきました。まぁ刀くらいはあるかもしれないと思っていましたが……灯台下暗しとはこのことか?(笑)。早速、警察に発見届を提出し、教育委員会の審査を受けて登録証を取得したことはいうまでもありません。
さすがに100年以上放置されていたこともあり、すでに錆び付いて動かない状態であったものの、義父としてはもし可能なら撃てる状態にまで整備したいとのこと。そこで、私がいつも射撃競技用の古式銃でお世話になっている向島のM銃砲店に一連の作業をお願いすることにしました。
発見されたのはこれ、オーストリアで軍用として製作されたM1849ライフル。オーストリア製の古式銃、日本国内では初めて見ました。このタイプはイタリアへも輸出され、統一運動時にはジュゼッペ・ガリバルディ率いる赤シャツ隊で使用されたため、通称 “ガリバルディ(garibaldi)・ライフル” と呼ばれています。
この銃、軍用銃の常でいくつかのメーカーで製作されていました。現在判読できるプルーフ・マークから推測する限りでは、どうやらウィーンのフェルディナンド・フリューヴィルト(Ferdinand Fruwirth 、1867年にステイヤーに吸収された) で製作された銃のようです。南北戦争時にはアメリカに2万5000挺以上が輸出されたということなので、もしかしたらアメリカ経由で入ってきた銃かもしれませんね。
銃身と銃床に島根県の壬申刻印が打刻されていました。つぶされている打刻からすると、一度神奈川で登録された後に島根で再登録された模様。
発見時には銃身の側面に朽ち込みのような錆のかさぶたがあったので心配していたのですが、除去してみたところ幸い大して深くはありませんでした。Mさんにもこれなら十分撃てるとお墨付きを下さいました。
1800年代中期の旧い銃ということもあり、口径は.71という12番の散弾銃に匹敵するバカでかい物。12条のライフリングは磨滅することもなく、きちんと残っていました。これに関しては次回にでも画像をUPします。
銃床には御覧のように一部に傷みがあるものの、まだまだ綺麗に直せる範囲。
これはロックを分解してみたところ。幸いスプリングも折れていませんでした。
リアサイトも欠損なし。もちろんちゃんと可動します。
発見されたときにはサビサビだったものの、分解して確認してみたところオリジナルの状態を維持した正直な銃であることが分かりました。管打ち式銃の場合、後年に狩猟用に転用するために先台を短く切り詰めたり、散弾銃にするためにライフリングを削り取ったり、サイトに変な改造をされたり……オリジナルの状態を逸脱している例が少なくありませんが、この銃は恐らく幕末以来ずっと眠ったままだったのでしょう。
この銃の詳細や整備の途中経過に関しては、またこのブログでご報告させていただくことにしますのでお楽しみに。
※注意
古式銃は文化財であり、その修理、修復の範囲に関しては、1989年に文化庁(文化財保護委員会)との間で取り決められた厳格なガイドラインがございます。古式銃のレストア等を行う場合には、決してその範囲を逸脱しないように、くれぐれもご注意下さい。
さすがに100年以上放置されていたこともあり、すでに錆び付いて動かない状態であったものの、義父としてはもし可能なら撃てる状態にまで整備したいとのこと。そこで、私がいつも射撃競技用の古式銃でお世話になっている向島のM銃砲店に一連の作業をお願いすることにしました。
発見されたのはこれ、オーストリアで軍用として製作されたM1849ライフル。オーストリア製の古式銃、日本国内では初めて見ました。このタイプはイタリアへも輸出され、統一運動時にはジュゼッペ・ガリバルディ率いる赤シャツ隊で使用されたため、通称 “ガリバルディ(garibaldi)・ライフル” と呼ばれています。
この銃、軍用銃の常でいくつかのメーカーで製作されていました。現在判読できるプルーフ・マークから推測する限りでは、どうやらウィーンのフェルディナンド・フリューヴィルト(Ferdinand Fruwirth 、1867年にステイヤーに吸収された) で製作された銃のようです。南北戦争時にはアメリカに2万5000挺以上が輸出されたということなので、もしかしたらアメリカ経由で入ってきた銃かもしれませんね。
銃身と銃床に島根県の壬申刻印が打刻されていました。つぶされている打刻からすると、一度神奈川で登録された後に島根で再登録された模様。
発見時には銃身の側面に朽ち込みのような錆のかさぶたがあったので心配していたのですが、除去してみたところ幸い大して深くはありませんでした。Mさんにもこれなら十分撃てるとお墨付きを下さいました。
1800年代中期の旧い銃ということもあり、口径は.71という12番の散弾銃に匹敵するバカでかい物。12条のライフリングは磨滅することもなく、きちんと残っていました。これに関しては次回にでも画像をUPします。
銃床には御覧のように一部に傷みがあるものの、まだまだ綺麗に直せる範囲。
これはロックを分解してみたところ。幸いスプリングも折れていませんでした。
リアサイトも欠損なし。もちろんちゃんと可動します。
発見されたときにはサビサビだったものの、分解して確認してみたところオリジナルの状態を維持した正直な銃であることが分かりました。管打ち式銃の場合、後年に狩猟用に転用するために先台を短く切り詰めたり、散弾銃にするためにライフリングを削り取ったり、サイトに変な改造をされたり……オリジナルの状態を逸脱している例が少なくありませんが、この銃は恐らく幕末以来ずっと眠ったままだったのでしょう。
この銃の詳細や整備の途中経過に関しては、またこのブログでご報告させていただくことにしますのでお楽しみに。
※注意
古式銃は文化財であり、その修理、修復の範囲に関しては、1989年に文化庁(文化財保護委員会)との間で取り決められた厳格なガイドラインがございます。古式銃のレストア等を行う場合には、決してその範囲を逸脱しないように、くれぐれもご注意下さい。
私も電話で発見の第一報を聞いたときには、口径の大きさから滑腔銃身のゲベール銃の類だと思いました。
第二報で銃身にライフリングがあるということを聞き、もしかしたらスプリングフィールドかもしれないと思っていたものの・・・まさかオーストリア製の軍用銃だとは夢にも思いませんでした。
オーストリアの軍用銃、 “フルミルト銃” として日本に入っていたことは知識としては知っていたものの、現物を見るのは初めてです。Mさんもこのタイプは初めて見たとのことなので、現存数は少ないのかもしれません。
幕末にはすでに旧式だったはずなので、一度アメリカに輸出された銃が、一束いくらの中古銃として入ってきたのでは?と推測しています。
しかし、フルミルト=フリュービルトだったとは、全然気が付きませんでした。
半谷