長宗我部ファンクラブ

目指せ!長宗我部、大河ドラマ化!

「月 の 桂 浜」 浦戸城址保存会会長  永 国 淳 哉

2009-01-28 | 浦戸城
今年の1月18日、「長宗我部ファンクラブ」か結成されました。

その中で、地元高知に居ながら高知の歴史上の人物や偉人を知らなさ過ぎる。

戦国武将の中でも人気の高い「長宗我部」について、県外の若い人たちが中心になって、"めざせ!長宗我部 大河ドラマ化!"の取り組みをしていることを知りました。

坂本龍馬のルーツでもあり、高知の観光資源の一つである貴重な歴史的文化を、もっと情報発信して多くの人に知ってもらおうということになりました。

長宗我部顕彰会の了解のもと、これまでに発行された「城山」の中からピックアップして、お知らせさせていただきます。

乞うご期待!  「長宗我部ファンクラブ」事務局役員一同




「月 の 桂 浜」
浦戸城址保存会会長  永 国 淳 哉

   

「桂浜の出身地だそうですが、語源は分かりませんか」との問い合わせを頂戴した。今まで考えてもみなかったことが不思議である。

 桂浜を愛した文豪に大町桂月がいる。本名は芳衛だそうだが、「桂浜月下漁郎」から桂月としたという。

  "見よや見よ みな月のみの 桂浜

     みずの面より 出づる月かげ"

長宗我部時代の浦戸城地図には「勝浦濱」とある。それが「月の名所の桂浜」のイメージから「桂」と書き始めたと推察できるが、それが何時の時代からであろうか。

 オリンピックでお馴染みの月桂樹。地中海沿岸原産の常緑低木で、英語で「ベイ」「ベイリーフ」「ローリエ」、フランス語で「ローレル」などと呼ばれる。

 月に生うる神聖な樹木とされ、その枝で作られた冠は勝利と栄光のシンボルとしてギリシャ・ローマ時代から使われてきた。

 私の生まれ育った桂浜の家の中庭にも一本の月桂樹があった。春には黄白色の花をつけ秋にはオリーブくらいの紺色の実をつけるという。が、しかし見たことがない。調べてみると雌雄異株で、日本では雌株は育ちにくいそうだ。

 しかたなく葉をハーブとして活用してみようと、煮込み料理の中にほりこんだ思い出がある。たいした香りも味覚増進の効果もなく「やはり外来種なんだ」と自分勝手な結論をだして何十年もたってしまった

 私の生まれ育った桂浜の家の中庭にも一本の月桂樹があった。春には黄白色の花をつけ秋にはオリーブくらいの紺色の実をつけるという。が、しかし見たことがない。調べてみると雌雄異株で、日本では雌株は育ちにくいそうだ。

 しかたなく葉をハーブとして活用してみようと、煮込み料理の中にほりこんだ思い出がある。たいした香りも味覚増進の効果もなく「やはり外来種なんだ」と自分勝手な結論をだして何十年もたってしまった。


 「月桂樹になったダフネ」の話も、青春時代に夜の桂浜で寝そべって聞いたことを思い出した。東京から来た女子大生たちに波打ち際で夜光虫を見せてあげた。その"お返しに"と、一人の美人が東京弁で語ってくれたギリシャ神話であった。

 「愛の神エロスが、金の弓矢で男女を結びつけるのを"変な玩具遊び"とアポロンがからかったのよ。"じゃあ、恋の苦しさが遊びかどうか試してあげようか"とアポロンに金の矢を射ておいて、テッサリア川神の娘ダフネの胸には鉛の矢を打ち込んだの。そしたら大変。アポロンはダフネが大好きになり、逆にダフネはアポロンが大嫌いになってしまったの。アポロは狂ったようにダフネを追って、とうとうテッサリア川辺でダフネに抱きついてしまったの。"止めてよ、大嫌い。お父様助けて"父親のテッサリア川神は、娘のダフネの白い肌を樹皮に変え、その細い体を月桂樹にしたのよ。」そう話しておいて「変なことすると私達も大木になるわよ」と、土佐男たちを東京美人たちは睨みつけて笑った。


 日本には月桂樹ではなく、「桂」という樹があったはずである。インターネットで見ると日本特産の「桂」は「花蘇芳(はなずおう)属」「建築材や家具などにも利用され、高さは三十メートルぐらいになる」大木で「山地の渓流沿いなど水辺にあり、早春、赤い花が咲き、葉は丸くハート形で、よく目立つ」とのことだが、まだ見ていない。「月桂樹」のように「月の名所」と「桂」は結びつかないのかと調べると万葉集にあった。

 「黄葉(もみじ)する時になるらし月人(つきひと)の楓(かつら)の枝の色づく見れば」

 幕末に流行したといわれる「よさこい節」の次の歌詞は、単なる地名の羅列ではないという。

    見ませ 見せましょ

    裏戸を開けて

    月の名所はカツラハマ

 土佐の若衆宿や夜這い(よばい)慣習も結びついた隠語で、このカツラのハマは色っぽいことだそうだが、私には分からない。

 こんな話も聞いた。

 酒国である土佐の藩政時代は、盆暮れと祭り以外は酒がご法度だったと。ところが、このご法度も海上には及ばないということで、「釣りにゆく」と徳利酒持参で浦戸湾を出て、五色の浜に上がって酒盛りをしたという。呑み助たちの集い場所の名前には「勝浦」よりも「桂」がよいというのだ。

 桂浜の特色は、五色の浜と松生うる竜王宮の奇岩と思い、そのあたりでもいろいろ考えてみたが、やはりカツウラ浜の語源は全くわからない。へ理屈でもよいので、誰か何か教えてくれませんか。

城山  第5号  平成16年6月19日発行 (浦戸城址保存会・長宗我部顕彰会・元親会)p.1~2より転載





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